遠架堂

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ほとけかずら

目を覚まし、彼らは周囲を見渡した。
 
目を覚ましたタイミングに僅かな差は有ったものの、その場に転がる刀剣男士四振りは、靄の掛かったような頭で薄暗い周囲を見渡す。
窓も無く、独特の静けさと生死した空気。どうやら地下のようだと察しをつけた。
 
「……ぅ、ん…。ここは一体…? あんたらは…?」
 
僅かに周囲より早く、意識を取り戻した薬研藤四郎は、まだ霞の掛かった頭に手をやり、小さく呻きながら起き上がる。周りの同胞らしき影を見渡し尋ねる。
その声に、目は開けてはいたが心ここに在らず、と言った様子の乱藤四郎もはっとしたように飛び起きる。
 
「!長谷部さん!」
 
そう呼んで、周囲を見回すが探す相手はいない。
 
「えーと、ここは……」
 
粟田口の短刀二振りが覚醒する中、どこかまだぼんやりとした表情の今剣は傍らに横たわる岩融を揺する。
 
「…んん…今剣か…?」
 
小さな短刀に揺り起こされ、大きな薙刀が目を覚ます。揺り起こした相手の顔を認識し、他の者たちもそうしたように記憶を辿る。そうして、はっとした表情をして慌ただしく周囲を見渡した。
 
「主! 主はどうした!?」
 
「あるじさまは……」
 
慌てたような岩融の声に、今剣は不安げな顔をして周囲を見渡し粟田口の短刀二振りへ視線を向ける。
 
「ええと……ほかのほんまるのかたなでしょうか?」
 
「薬研に今剣くんに、岩融さん? うちの本丸のみんなじゃ、ないよね?」
 
その言葉を受けて、改めてお互いに顔を確認し合う皆の様子を見渡しながら乱は首を傾げる。
 
「ああ、俺っちは全員初対面だな。…そっちの二人は同じ本丸の刀か?」
 
今剣が揺り起こした岩融と、どうやら同じ『主』を探しているらしい動作に薬研が確認するように問えば、乱も後に続く。
 
「はじめまして、だよね。二人は仲良さそうだよね?」
 
「ええ、そのとおりです!」
 
今剣は力づよく頷き、岩融もそれに続く。
 
「うむ、いかにも俺は岩融、今剣は俺の本丸の仲間だ!」
 
推察通りに、今剣と岩融は同じ本丸の所属であり、薬研藤四郎と乱藤四郎はそれぞれ別の本丸の者らしく、その上で本丸間でのやり取りも無く、完全な初対面であることが判明した。
だがそんなことがはっきりしても、ここで目覚めるに至った事情が分からない。
 
「なるほどな。…で、まぁ一応聞いておくが、ここがどこだか分かるやつはいるか?」
 
そう聞く薬研も、当然のように見当がつかない。
警察官である主の命で捜査をしていた…のは確かなのだ。
確かなのだが、一体なんの捜査だったのか、それを覚えていない。ただ、はっきりと記憶に残るのはその捜査の最中に何者かに襲われた、ということだ。
 
ここにいる他の三振りに、襲った何者かに繋がる情報はないかと尋ねる。
 
「ううん、知らない。っていうか何でここにいるのかもはっきりわからないんだよね」
 
薬研の問いかけに乱は首を振る。
 
「わかりません……」
 
「なぜここにいるのか、ここがどこなのかもさっぱりわからんな!」
 
今剣も岩融も、分からないと首を振る。事情を知る者は誰もいないようだ。
 
「あ、でも!」
 
この奇妙な現状は何も分からないが、乱には此処を訪れた理由があった。
 
「どうしてここにいるのかは分からないんだけどボク、長谷部さん…うちの本丸のへし切長谷部を探してるんだ」
 
何がどうして、こんな薄暗い中で目覚めたのかははっきりとしないが、大切な友を探す為にやって来た。それは確かな事実だ。
 
「長谷部を?」
 
乱の言葉に薬研が首を傾げる。
 
「いなくなってしまったのですか……?」
 
今剣も不思議そうにする。
別の本丸の内情など、そうそう分かるものではないし目の前の『乱藤四郎』の探す『へし切長谷部』という個人を知る訳ではないので、どうとも言えない。だがあの刀が自発的に行方を晦ますようなことをするだろうかと、疑問に思ってしまうのだ。
 
「うん…いなくなっちゃったんだ。ボクの大切な仲間なのに」
 
「起きたときに長谷部、と言っていたのはそのためか。何か手がかりはあるのか??」
 
岩融が心配気に聞くが、乱は首を振って答える。
 
「手がかり…あったらよかったんだけど」
 
「そうか…仲間がいなくなったとは心配だが…まあそう気を落とすな!!」
 
その酷く落ち込んだ様子に、岩融は腕を伸ばし大きな掌で励ますように乱の頭を撫でた。薬研も、別の本丸の者とは言え大本は同じ、兄弟を励ますようにぽんぽんと肩を叩く。
 
「そうそう、元気出せって。案外、ここで手がかりを見つけられるかもしれねぇだろ」
 
「うん…ありがと。きっと探せば何か見つかるよね」
 
乱の表情に少し明るさが戻ったのを確認してから、ところで、と薬研は話を切り出す。
 
「俺っちは警察官の主の命で何かの捜査をしていて、途中で何者かに襲われたってとこまでは思い出せるんだけどな…お三方はそういうんじゃねぇのか」
 
「薬研は襲われて、気づいたらここにいたってこと? ふたりは?」
 
その言葉に乱は大きな青い瞳を見開いて、驚き、怪我は無いのかと問うように薬研をしばし見つめてから残りの二振りを振り返る。
 
「おぼえてないんです。あるじさまはまだおさなごですし……」
 
今剣は僅かに眉を顰めて答える。
薬研のように主に協力し、何か事件に巻き込まれたということは起こりえない。
 
「襲われたとはまた物騒な…俺もここに来た経緯は覚えておらん。ただ一つ確かなことは、主は幼い子供で、俺は近侍で、主の元に帰らねばならぬ、ということだ」
 
「ええ。岩融といっしょに、あるじさまのもとにかえらなければ」
 
岩融の言葉に今剣も険しい表情で頷き、同意を示す。
小さな、幼い主の傍には常に近侍の岩融が控えていた。早く戻らなければ、あの小さな主を酷く不安にさせてしまう。
 
「ふたりのところの主さんはまだ小さいんだ。離れてるの心配だね」
 
皆ここにいる理由がばらばらで、その中には何者かに襲われた者がいる。今剣や岩融がここで目覚めたことも、薬研の主が調査していた事柄と関係がある可能性がある。
それならば尚更、一刻も早くあの幼い主の傍へ戻るべきだ。
 
「そんじゃ、ここでこうしていても仕方ねぇな。とりあえず何かないか、この部屋から調べてみようや」
 
よし、と一つ気合を入れて薬研は立ち上がる。
 
「はい、そうしましょう。なにかてがかりがみつかるかもしれません」
 
それに続き今剣も、薄暗く空気の停滞したこの空間へ目を凝らす。
 
「そうだね。何かないかなあ…」
 
「うむ、心得た! 手がかりを探そうぞ!」
 
乱も岩融も二人に倣い、何か意識に引っかかるような点は無いかと辺りを探る。
そうして周囲を調べた結果、自然と皆の視線が一つの扉へと集まった。この空間には見るべきものがそれしかなかったのだから、当然と言えば当然の結果だ。
 
「うわ、鍵かかってやがるぜ…」
 
物怖じせずに扉へ手を伸ばした薬研が、ガタガタと音をさせながら言う。
先程周囲を皆で調べてみて分かっていることだが、此処にはこの扉以外に目ぼしい物は何も存在しなかった。この扉の向こうへ行くには無理やりこじ開けて進むしかなさそうだ。
 
「岩融、でばんですよ! ぼくもてつだいます!」
 
岩融以外は皆短刀だ。そんな彼らが扉を調べるのに邪魔にならぬようにと背後から様子を窺っていた岩融へ、今剣が何所となく楽しそうな声でぱたぱたと手招きをする。
 
「うむ! 力技なら任せておけ!!!」
 
手招かれるのに、大きく頷き胸を張る。
 
「ボクもボクも!手伝うよ!」
 
外見は可愛らしい少女のような乱だが、彼だって間違いなく刀剣男士として戦う為に存在している。
 
「張り切りすぎて木っ端微塵にすんなよー」
 
妙に張り切る三振りを宥めつつ、薬研も扉をぶち破ろうと加勢する。
 
「でられればいいんです、でられれば!」
 
「どおりゃあああああああ!!」
 
本気で止める気は無い薬研の言葉を流しつつ、岩融を筆頭に揃って力を込める。鍵がかかり開こうにもがちゃがちゃと音を鳴らして抵抗していた扉がみしりと軋む。
ただ一瞬軋んだ後に、どう考えても修復不能に陥るであろう中々にえげつない断末魔を上げて扉はあっさり粉砕されてしまった。
哀れになってしまう程に、扉は完膚なきまでに破壊されてしまった。
 
「…って、言ってるそばから容赦ねぇな。…まぁいっか。先行こうぜ」
 
哀愁漂う残骸を一瞥し、薬研が扉の先を示す。
 
「やりましたね!!」
 
「やったね!」
 
今剣と乱が嬉し気に顔を見合わせ、こんな訳の分からない事態でなければお互いの働きを讃えてしばし歓談したい程だった。
 
「はっはっは、すまんすまん! やったな!!」
 
謝罪を口にしながらも、やはり岩融も笑顔で乱と顔を見合わせる。お互い初対面、全く交流のない本丸の者同士だが、こうして協力することで友情のようなものが生まれた気さえしてくる。
 
共同作業の成功にもうしばし笑いあっていたい気もするが、今は先へ進むべきだろう。
すっかり遮蔽物としての機能を果たさなくなった扉の先へ踏み出した。
 
 
 
扉の先は上へ昇る階段になっており、やはり先程の空間は地下だったのだろう。階段を上へと進めば、その先には広い空間が広がっていた。
辺りは霧に覆われ、空間全てを見通すことはできない。それ程までに広大な土地で、あちらこちらに様々な花が咲き誇る庭園なのだ。
全ての花を見せる為か、通路としては不便で効率の悪そうな幾度も曲がりくねった小道が霧の奥へと続いている。
それ以外に道らしい道はない。もしもこの小道を無視するのならば辺りに咲き誇る花々を踏み荒らして進む他ないだろうが、これ程立派な庭園の中で、そんな無粋なことをする者などはいないだろうが。
 
「このみちにそってすすめ…ということでしょうか」
 
「かなあ。それにしても綺麗だね」
 
現に、庭園の中を余すことなく巡るようにのびる小道を確認した今剣はそう判断した。それに誰も異議はないようで道の示す通りに進む。
花々の中を蛇行しながら続く道を進めば、自然と視界が美しい花で埋め尽くされる。
 
「ほぉー、なかなかに広い庭園のようだな!!」
 
花はみな、今が盛りとばかりに咲き誇り、霧が露と凝ったものがまるで玉のように瑞々しく色鮮やかな花の上できらきらと光っていた。
 
「こんなにきれいな花が咲いていると、一つくらい主に持って帰りたくなってしまうな」
 
「そうですね! きっとよろこんでくれます!」
 
いつも主の傍に在った岩融の言葉に、今剣も大きく頷く。
きっとこんなに綺麗な花を土産に持ち帰れば、あの小さな主は喜んでくれる筈だ。
 
「こんなのみつけました!」
 
小道の上を周囲の花々を眺めながら進んでいた今剣が、花の根元に隠れていた何かに気づいた。それを拾い上げ、皆に示して見せる。
 
「え、スコップ? お花植えるのに使ったのかなあ?」
 
庭園の花々に気を取られていた乱が、今剣の声に僅かに驚いたようにして目を向ける。
 
「ちゃんとかたづけてもらえなくてさみしそう……せっかくなので、いっしょにいきましょうね」
 
勿論、ただのスコップは彼ら刀剣男士のように意思を持ち、喋ったりなどしない。しかし彼らの本質は道具なのだ。どうしても、そちら側の立場で喋ってしまう。
 
「片づけ忘れたのか? …そうだな、連れてってやろうや」
 
必然的に『人』に対するような物言いになりながら、薬研も同行することに頷く。
 
「おお、スコップか! うむ、それがいい、よく似合っているぞ、今剣!」
 
ふんす、とばかりにスコップを携えた今剣を眺め岩融も笑う。
 
「もー、使ったものはちゃんと片づけなきゃね。いいと思うよ」
 
乱もやはり、しっかりと片づけて貰えなかったスコップを憐れに思ったのか、一緒に行くことに賛成する。そうして、改めてスコップを携えた今剣を見て似合ってる、と笑みを零す。
 
「ありがとうございます! よしよし、これでさみしくないですよ」
 
皆からの賛同も得られ、手の中のスコップに話しかける。そんな微笑ましい様子に岩融が一際大きく笑い、短刀三振りとその一振りに握られたスコップを見渡す。皆、岩融から見れば随分と小柄だ。
 
「小さいのがまた増えたな!! よしよし!!」
 
新たな同行者を加え、さて、先に進むかという段で乱が薬研の肩を突き、岩融の高い位置にある顔を見上げる。
 
「ねえねえ、薬研と岩融さんは? 何か見つけたの?」
 
ほう…、と見とれるように花を眺めていた乱は、他に何かないと気になったのだ。
 
「いや、こっちは特に何もなかったな」
 
「ん? ここのものは全て小さいからな、何も気づかなんだわ!」
 
二振りとも、特に手掛かりになりそうな物は見つけられなかったようだ。
 
「そっかあ。今剣くんお手柄だね!」
 
「えへへ……あたらしいなかまもみつかりましたし、このちょうしでてがかりをみつけましょう!」
 
改めて置いてきぼりを食らったスコップを発見した今剣の功績を褒める。褒められた当人もくすぐったそうにしながら、俄然やる気が出て来たと言うように明るい表情になる。
全くの見ず知らずの場所で目覚め、心配ごとを抱えて酷く不安な心持ちだった。だがこうして言葉を交わし、共に行動する仲間がいるということが、こんなにも心強い。
 
岩融は同じ本丸の今剣は勿論、明るい声と笑顔で場を和ませた乱藤四郎も守ってやらねば、という使命感を覚えた。
 
決意も新たに、と言いつつも敷かれた小道に従って進むしかない四振りは、杜若の咲き乱れるエリアに出た。薄い蒼紫の花が今が見ごろのように咲き乱れている。
此処までの小道とは違い、魅せる為に場を整えられ、開かれている。
 
「わあ! きれーい!」
 
「わぁ、きれいですね!」
 
広い視野を埋める淡い色に感激の声を乱が上げると、それに今剣の感嘆が重なる。
 
「ほぉー、杜若か!! 盛りで美しいな!」
 
二振りよりもうんと高い視点から見渡す岩融も思わずと言ったように息を吐く。
 
「ここは本当に花ばっかりだな。誰が手入れしてるんだ?」
 
薬研が手近な一輪に手を伸ばし、しげしげと杜若を見つめる。湿地に咲く花を、他の品種もあるこの庭園でよくもまぁ綺麗に咲かせている。
 
「さあ、だれでしょう……? このこもがんばったでしょうけど、どうぐはつかうひとがいてこそですからね」
 
人の気配を一切感じずに歩いて来たが、人の手を加えずにここまで見事に咲くことはないだろう。
 
「ああ、そうだよね。ひとりでこんなに綺麗に咲けないよね…誰がいるのかな」
 
短刀三振りが感知できる範囲にも、人らしき気配はない。不思議そうに周囲や歩いて来た小道を乱が振り返るが、誰かがいる様子はない。
 
「…ん? 今はまだ四月ではなかったか?? 杜若が咲くのはまだのはず…」
 
辺りの杜若を見回していた岩融が疑問を抱き、そのまま口にする。本来杜若の盛りは五月からの筈だ。それなのに一月も早く見頃の花をつけている。
 
「あれ? しがつでしたっけ……?」
 
今剣は小さく首を傾げ、再び咲き誇る杜若へ視線を向ける。
 
「時期が違うってことは、ここも本丸の庭みたいに管理されてる場所ってことか?」
 
彼らの主がいる本丸はそこの審神者により、自由に季節を変えることができる。そしてそれに倣って庭に咲く花の種類が変わり、木々の葉が色づく。
 
「だとしたら咲くと思うけど…ほんとに誰がここの庭を造ってるのかなあ…?」
 
だとしたら本丸の機能を利用できる人物だろうか? いくら彼らが刀として存在していた時代から遠い未来だからと言って、国全体の季節を自由自在に変えられるとは思えない。
 
「少なくとも、俺っちたちをこの場所に連れてきて閉じ込めた犯人はいる。それが、ここの庭を造った奴と同一かは分からねぇけどな」
 
「…そうだよね」
 
木っ端みじんにしてしまったとは言え、目覚めた地下ではご丁寧に扉に鍵が掛けられていたのだ。はっきりと襲われたと認識している薬研にとっては『犯人』と表現するには十分だった。
ここを造った『誰か』。それについて思考した乱も薬研の言葉に険しい表情をする。
 
「気をつけろよ。綺麗な場所だが、見た目どおりに安全だとは思えねぇ」
 
「みてください、あそこにあかいかきつばたがさいています」
 
この美しい庭園に潜むかもしれない悪意に想いを馳せていた粟田口の二振りは今剣の言葉にはっと顔を上げる。
 
「…赤い、杜若だね」
 
「だな、赤いなー。…これってこんな色で咲くんだっけか? 雅なことは俺の担当じゃねぇからなぁ」
 
「うーん…お花は綺麗だと思うけど、ボクも別に詳しい訳じゃないからなあ…」
 
岩融の疑問の言葉に改めて花を観察していた今剣が一角を指さす。淡い蒼紫の中にぽつりぽつりと赤い色の花弁が覗いている。
青に傾いた紫の中に白や黄色がほんのり差すことはあっても、花全体が赤く色づくことはない。杜若は古い花ではあるが、そんな品種改良がされたということも聞いたことはない。
 
「赤い杜若…?」
 
今剣の指さす方へ視線を向けた岩融も、その存在を主張するような色の花を目に留める。
 
「狂い咲き、ということみたいだぞ。っ…なあ、今剣、主の母上のことを覚えているか?」
 
赤い花を見つめたまま、唐突に同じ者を主とする今剣に尋ねる。一瞬だが、何かを堪えるように言葉が引っ掛かる。
ずきりと瞳の奥が痛むような感覚を押し込むようにして尋ねる。
 
「あるじさまのおかあさま……?」
 
問われた短刀は、考え込むが直ぐに岩融を見上げ申し訳なさそうにあやまる。
 
「すみません、おぼえていないみたいです……」
 
「すまん、なぜか思い出してな…事故で重体になり、元気になるためには莫大な金が必要だと聞いた…」
 
しゅんと落ち込んだようにする今剣の様子に何だかこちらも申し訳なくなってしまったようで、思わず謝ってしまう。そして再び赤い杜若へ不思議そうな視線を向ける。
 
「そんな金は本丸にはなく…それで…。なぜこれを見てそんなことを思い出したんだ…?」
 
それで…それで…、残念なことに思い出せたのはそこまでで、その先に記憶が繋がらない。
思い出す切っ掛けになるとは到底思えないのだが、不思議なことに赤い杜若を見ていて唐突にそんなことを思い出した。
 
「じこで……あるじさまもきっとこころぼそいはずですよね。ぼくたちがはやくほんまるにかえって、すこしでもあんしんしてもらわないと」
 
そこまで聞いてもやはり今剣は思い出すことは出来なかったが、早く本丸へ戻ろう、と。記憶を思い出した岩融も、なお一層早く主の元へ戻らなければという想いを強くする。
 
「…ああ、早く、帰って安心させてやらねばな…。とりあえず何か手がかりを探すために先に進まねばなるまい。薬研! 乱! 何か見つかったか?」
 
赤い杜若を調べていた薬研と乱は振り返り、特に成果はないと少し困り顔で首を振る。
 
「えっと、杜若が綺麗な赤だなーってだけかな…」
 
「がっはっは!! 綺麗な花はいいな!」
 
何も見つけられずに、すまなそうな顔をしつつ素直に思ったことを伝える乱へ気にするなと言うように笑い、率直な意見を肯定する。
 
「花は見てても腹膨れねぇからな……いや、こっちはなーんも」
 
二振りも、今剣と同じに異質な赤い杜若を見ても別段何かを思い出すことは無かったらしい。
確かに綺麗な花は見ていて飽きないが、薬研の言う通り今の状況を打開するための何かに繋がらないのもまた事実だ。
辿って来た小道はまだ先へ続いている。
いつまでも立ち止まっていても仕方がない。手掛かりを探す為にも四振りは先へ進むことにした。
 
再び小道に添い、庭園を進むとまた花を魅せる為に整えられた空間に辿り着く。水色や桃色の紫陽花の咲くエリアに出た。
全体的に淡い色の紫陽花が並んでいる。
 
「今度は紫陽花…? どういうことなんだろう…?」
 
並ぶ紫陽花を眺めながら乱は不思議そうに呟く。
 
「おっ、さすがにこれは知ってるぜ。なるほどな、確かに時期が全然違う花だ」
 
本丸の庭にも季節になれば、或いは景観を弄れば紫陽花が咲く。その時は本丸も梅雨になり、重い色の雲と雨が降る日が多くなる。
 
「きれいなあじさいです! ……でも、やっぱりきせつがおかしいですよね」
 
「ほほう、次は紫陽花か! 四月だというのにまた面妖だな」
 
確かに美しく咲いているのだが、違う種類の花が揃って狂い咲きをしているというのも気味が悪い。なんだか妙な空間に思える庭園に手掛かりはないかと皆、紫陽花を良く観察してみる。
 
「……へんなの。こんどはきいろいあじさいですよ」
 
先程赤い杜若を見つけた今剣が、再び異なる色彩の花を見つける。
黄色の紫陽花は無いこともないのだが、それだって殆ど黄緑色の萼らしい色であったり白い物が若干黄色く見えるだけだ。誰が見ても黄色だと表現できる程の色はない筈だ。
 
「黄色い紫陽花? …そんなのあったっけ?」
 
「黄色い紫陽花?」
 
変、と言い今剣が指し示す方へ薬研と乱が視線を向ける。そこには紛れもなく鮮やかな黄色の紫陽花が咲いていた。土壌の質で色を変える紫陽花だが、一体どんな税分があれば水色や桃色の咲く中であんな異質な色に染まるのだろうか?
 
短刀三振りが胡乱なものでも見るように、黄色の紫陽花へ視線を注ぐ中、岩融は何かに気づいて屈む。じっと目を細めて大きな葉が重なり隠された根元を注視する。
 
「…んん??」
 
そうして見つけた小さな立札を指さす。
 
「『#81/83:紫陽花』…わかるか??」
 
「……なんだそりゃ、何かの暗号か?」
 
示された立札を確認し、薬研は首を傾げる。
 
「はちじゅういちとはちじゅうさん……どういうことでしょうか」
 
こてり、と今剣も首を傾げる。声に出して読み上げてみてもピンと来るようなことはない。
 
「どういうことだろ…」
 
小さな立札の真正面にしゃがみ込み、じぃ…っと眺める乱も、新たなことを拾い上げることは出来ずに考え込む。
 
「うーん、わかんないや…普通の立札にしか見えない!」
 
暫く立札と睨めっこし、考え込んだ後に乱はそう結論付けた。
 
「俺にも皆目わからん」
 
見つけた岩融もさっぱり分からないときっぱり言い、花の根元の小さな立札を見る為に屈んでいた背を伸ばす。
 
「まぁ、一応覚えとこうぜ」
 
このまま進みまた別の花にも立札があれば、暗号じみたこの文字列の規則性が掴めるかもしれない。
 
「…ほぉー、黄色い紫陽花か」
 
しゃんと背を伸ばした岩融も、皆が先程も見つめていた黄色い紫陽花へ目を向ける。
今剣はそんな岩融を見上げた。
 
何か、映像か、想いか…相変わらずここに至るまでの記憶はさっぱりなのに、そんなものを押し退けて胸に焼き付いたものが込み上げる。
戦場に立つ岩融の姿。鮮やかに刀を振るう、彼の姿。あの本丸で誰よりも誉を取っていた、近侍。今剣はそんな岩融の姿を、主のことよりも先に思い出した。
ただ、そんな岩融は常に小さな主のことを気にかけていたのだけれど…。
 
じっと岩融を見上げた瞳の、その奥がずきりと痛んだ気がした。
 
「……ほかのおはなのところにもこんなたてふだがあるのでしょうか。よくみながらすすみましょうか」
 
蘇る記憶にぼんやりとなりかけたのを取り繕うように、そして自分自身へ言い聞かせるように、しっかりと言葉にする。無意識に痛んだ瞳へ伸ばしかけた手も、何ごとも無かったかのように下ろす。
 
「うむ!! また後でわかるかもしれんからな!!」
 
自身を見上げていた今剣の表情がどことなく優れないように感じ、うんと低い位置にある小さな頭をわしわしと撫でる。
 
「そうかもしれないね。よし、よく見ておかなくちゃ」
 
うんうん、と乱が頷く。
手掛かりという程でもないが、何に注意すべきか、見るべきもの探すべきものが定まり少しやる気が湧いてくる。
岩融にわしわしと撫でられ、明らかに嬉し気な表情の今剣は先へと進む。嬉しい気持ちがそのまま動きに表れたのか、跳ねるように進む。先を急ぐように小道を辿る小さな短刀に続き歩き出した。
 
一体次はどんな花が待っているのかと進んだ先には牡丹が咲き乱れるエリアが有った。
色や形、様々な品種の牡丹がまるで競うように咲き乱れている。
 
「ぼたんですね! 歌仙がつけているおはなですよ」
 
「今度は牡丹と来たかあ…じゃあピンクはあってもおかしくないってことだよね…!」
 
一足早くその場に踏み込んだ今剣が、先程花と睨めっこをし眉根を寄せていた乱や薬研へ上機嫌のままにこにこと言う。
風雅を愛する、自称文系名刀の胸元に飾られた大ぶりの花を思い出しながら四方を囲む花を見渡す。
 
「はっはっは! ここは本当に花ばかりだな! 牡丹か!」
 
数歩分だけ、遅れてやって来た岩融は当の花を見るよりも先に根元を覗き込むようにする。先程のような立札が無いか確認するためだ。
 
「あー…そういやあんな花、衣装に着けてた気がするなぁ…今度もまた、妙な色のが混じってんのか?」
 
確かに花弁の重なる花を着けていた…ような…? とは思うのだが、それが正確にこの中のどの花と同じなのかは判断できない、というように薬研は首を捻る。そうして、胡乱なものでも見るような目で、奇異な色は無いかと周囲を探る。
 
実に奇妙な所だと、改めて思う。
花をつけるのは四月から六月で、何も問題ない。問題ないのだが、二季咲きやわざわざ手を掛け冬に開花すようにしたものまでが花をつけている。これだけ手の込んだ庭園で、そこだけおざなりというのも妙だ。
 
「うむ、盛りだ盛りだ! はっはっは、きれいな花が見れただけでよしとしよう!」
 
じいぃ…っと視線の熱で花弁が焼け焦げるのではないかという程観察してみたが、何も目ぼしい物は見つからない。驚く程に何も不可解な異物を見つけられない。
とても綺麗な花でいっぱいだ。
何も手掛かりになりそうなものを見つけられずに黙り込む中、盛りの美しい花だという事実のみを受け止めて岩融が豪快に笑う。
 
「いやぁ、盛りだなぁ…」
 
すぅん、とばかりに何所か遠い目をして同意を示す薬研だが、心なしか牡丹から焦点がズレている気がする。
 
一重咲きもあれば、万重咲きもある。赤やピンク、黄色やオレンジもあれば、紅白の二色を持つ株もある。さらには黒い品種もある。最早存在しないのは青色位だという、品種の多さ。
そんな形状も色も様々な花が、全て己を誇示するように咲き乱れている物だから何だか目がちかちかしてしまい、頭が情報を整理できない。
 
「本丸に帰ったら詳しい人に教えてもらおうかなあ…」
 
ここに至るまで花についてさっぱり分からなかった乱がぽつりと呟く。
誰か、自分の属する本丸で詳しい人…。
 
その思考に引き寄せられるように、記憶が蘇る。

乱藤四郎の本丸の主は花が好きだった。本丸の庭でもこんな風に綺麗な花が沢山さいていたのだ。そして、そんな主の好きな花の世話をしていたのが、へし切長谷部だった。主の為にと、審神者の傍らでとても幸せそうにしていた大切な友の姿が思い出される。
 
湧き上がるように蘇った記憶と一緒に、瞳の奥でずきりと痛みが芽吹いた気がした。
 
「…教えてもらいたいなあ、本丸で」
 
「……そうですね。はやくほんまるにかえりたいです」
 
先程の今剣のように、どこか落ち込んだ風の乱の言葉に少し寂しさを覚える。
 
「うーむ…あまりに綺麗な牡丹だから気を取られてしまうな! 何もわからん!」
 
もう一度、せめて先程の立札と同じものはないかと岩融が大きな身体を屈めて覗き込むが、やはり何も見つけることは出来なかった。
もう少し先に進み、別の手掛かりを探した方がいいだろうと、少ししんみりとしてしまった乱と今剣を促す。
 
 
また示されるように小道に添って進むと、目の前には池が広がっていた。
どぷりと重たげな泥で濁った水面には美しい蓮が浮いている。
 
「おっと、池か。あれは…蓮だな??」
 
突然現れた池に驚いたように足を止め、淀みの上に咲く清い花をじっと見つめる。
 
「はす……ですね。たてふだとか、なにかありませんかね……」
 
岩融の後ろからひょっこりと顔を覗かせ、蓮を確認した今剣は先程見つけることの出来なかった立札は無いかときょろきょろと周囲を探す。
 
「ここのお花もやっぱり綺麗なんだね…」
 
何者かが手を入れ時間をかけ、愛でる為に整えられた花。それも有るが、淀んだ泥から穢れの無い花を咲かせる蓮という物が、その対比もあって殊更美しく見えるのかもしれない。
 
「蓮かぁ。蓮根の煮物が食いたいなぁ…」
 
薬研は気持ち的にもう花は満腹だとばかりに、その花の下に形成される美味しい根っこに想いを馳せる。
 
「蓮根か!! あれは美味いな!」
 
薬研の言葉に大いに同意し頷く岩融だが、視線は池の縁を辿っている。今剣と共に先程は見つけられなかった立札を見つけることに集中していた。
その為に、池に咲く蓮を、その下の濁った泥の中を覗き込み息を呑んだように固まる乱藤四郎と薬研藤四郎の表情に気づくことができなかった。
 
花と、その先に続く根をじっと見ていた彼らは水面へと伸びる茎の間、濁った泥の奥に人影を見たような気がして確かめるように覗き込んだ。
まさか…何かの見間違いか。そう思い近づいてよくよく目を凝らした彼は見た。泥の中に『数珠丸恒次』が静かに沈んでいる。水中でもがくこともなくただ静かに。彼は微動だにせず、水の中をたゆたっている。
水面を覗き込んだ彼らは確信するだろう、彼は死んでいるのだと。
 
「お、あったぞ! 『#17:蓮』だそうだ!」
 
「えーと……じゅうなな、はす……」
 
岩融と今剣が見つけた立札を読み上げるのと、嫌に大きく響いたぐしゃりと湿った音が重なる。
 
「……っ!?」
 
「ちょ、薬研大丈夫!?」
 
乱の慌てた声にそちらを向けば、酷く動揺した表情の薬研が泥に足を取らて転んでいる。泥に嵌まり込んだまま転び、妙な力の掛かり方をしたのか足が不穏な方向へ歪んでいる。
それを確認し、今剣は驚いた声を上げる。
 
「薬研……!?」
 
「! …薬研、大丈夫か!?」
 
乱と岩融に腕を引かれ、助け起こされた薬研は呆然と重い色をした水面を見つめる。
 
「ああ、…っと、すまねぇな。あんまり蓮が見事なもんで、うっかり身を乗り出しすぎちまったぜ」
 
左右から腕を抱える二振りを見て、助け起こされたことへ礼だけ告げ事実については呑み込んで置く。
 
「そうかそうか、何もないならよかったよかった!がっはっは!!」
 
片足を歪めてしまったが、その程度で刀剣男士が身動き出来なく成る訳もない。少々バランスを取り辛そうだが、薬研がしっかりと立てるのを確認し、岩融は支えた腕を離す。
 
「……いくらおはながきれいでも、あしもとにはきをつけてくださいね?」
 
今剣の知る薬研らしくはないと思いながらも、追及することはしない。憂色の滲む言葉だけをかける。
 
しかし乱は未だ腕を支え、というよりも薬研の腕に抱き着くような状態から動かない。
岩融が見つけた立札を今剣と改めて検分し出すのを確認してから、小さな声で薬研に問いかける。
 
「…薬研も、見えたの」
 
「……乱が言っているのが、底に沈んでいる奴のことなら…な」
 
暗い色の問いに同じものを見たのだと確信する。
 
「……見えたんだね。ふたりはまだ気付いてない…かな」
 
心配そうに離れて行った岩融と今剣を振りかる。
 
「たぶんな。…このまま黙っておこうぜ」
 
余計な不安を煽るものでもない。
 
「うん、わかった。…はあ、やっぱり綺麗なだけじゃ終わらなかったね」
 
ふぅ…と、とても残念そうな息を吐いた乱も岩融と今剣が検分する立札の方へ目をやる。
 
そう言えば…主の捜査を手伝う中。証拠品として沢山の花が押収されているのを見たことがあったな…と未だ蓮を見つめたいた薬研は思い起こす。ちょうど先程見たような赤い杜若、黄い紫陽花。青い牡丹といった変わった花もあったような…。
瞳の奥がズキリ、と痛んだ気がした。
痛みを追い払うように首を振り、直ぐに乱同様立札を改めている二振りへ顔を向ける。
 
「紫陽花には81に83、蓮には17…ううむ、何なんだろうな、この数字は…?」
 
むむむ、と顔を顰め考え込む岩融の元へ向かいながら、もう問題無いというように軽い調子で謝罪し先程見たものも、思い出した記憶も一瞬の痛みを押し込み合流する。
 
「いやぁ、心配かけて悪いな、気をつける。…そういやぁ、俺たちにも政府が決めた番号ってあったよな。17番は誰だったか…」
 
先程池の中に見出した者と記された数字に嫌な予感を抱きながらも、『そういえば』と言った風を装い尋ねる。
情報を管理する都合上刀帳に割り振られた番号が有った。
もしかしたら、と。
 
「17…は数珠丸ではないか?」
 
「はーい! ばんごうがちかいのでしっていますよ! 数珠丸恒次ですね」
 
少し考えるようにしてから答える岩融と、元気よく手を上げる今剣の答えが重なる。
ぴったりと揃ってしまった答えに乱はぞっとしたものを感じながら立札を睨みつけるように見つける。
 
「数珠丸がどうかしたのですか……?」
 
今剣にしてみたら、唐突に出て来た名前を不思議に思い首を傾げる。
 
「ねえ、じゃあ81と83って誰だったけ」
 
その問いには答えず、立札から視線を離すこともしないで乱は重ねて問いかける。
 
「81は宗三、83は小夜だったように思うが」
 
「わぁ、岩融はきおくりょくがすばらしいですね!」
 
すらすらと淀みなく答える岩融の横で、凄い凄いと嬉しそうに今剣が跳ねる。その嬉しそうな顔に、岩融も何だか嬉しくなり今剣へにっこりと笑いかける。
 
「はっはっは!何となくな!それで、二人が何か関係あるのか…??」
 
だがやはり、突然なぜそんな質問に至ったのか分からず不思議素に首を傾げる。
 
「そうだったそうだった。…いや、どの数字もなーんか見覚えあるなぁって考えてただけだ」
 
「…ううん!ボク覚えてなかったから気になっちゃって!岩融さんすごいね!」
 
先程みたものを、今は黙って置こうと決めた二振りは何となく、ということにして、答えを見つけてくれた岩融への礼を示す。
 
「ふふぅん!!役に立てたなら光栄だな!」
 
「俺たちがここへ拉致された意図も、まだ分かってないだろ? 全員刀剣男士だって以外に、共通点がない。そっちの二人はまぁ、同じ本丸っていう共通点があるけど」
 
どんな繋がりでも、見出すことが出来れば何か分かるのではないか。その薬研の言葉に、先程も迄嬉しそうにはしゃいでいた今剣が静かな、真面目な声をだす。
 
「……でも、そうかんがえるとなんだかいめーじにあうおはなですよね。はすはほとけさまとかんけいがふかいですし」
 
暗く淀む泥から咲くにも関わらず、その花は一切泥に染まることなく綺麗な花を咲かせる。その特徴は極楽浄土に生きる正しき人々の心を表すとされる花。
 
「ふむ、確かにな…共通点、か。確かに三人に似合う花だな」
 
「あじさいも、ほんとうならももいろやあおいろがおおいです」
 
短刀二振りの言葉に頷きながら、此処までに見た花も思い返す。
 
「数字が見つけられなかった牡丹も、想像できる男士がいるからなぁ…」
 
「そうだなぁ、今剣の予感はあたっていたというわけか」
 
「何をしたいんだろうね、僕らを連れてきた人にしろ、この庭を造っている人にしろ」
 
刀と花と言うのも、何だか妙な取り合わせにも思えてしまうが…。元の刀はどうであれ、戦力を求められてこんな人のような形を与えた者と、見目の良さを求めて手間を掛けられる花…。
 
「さぁ。…ただ綺麗で珍しい花を咲かせてみたいだけだったりしてな?」
 
「へんないろのおはなのことはまだわからないですし。それにぼくたちとおはなをむすびつけるいみもまだわかりません」
 
対極のような自身達と花に一体どんな繋がりがあるのか…全く犯人の意図が分からない。と言うように今剣がきゅっと眉を顰める。
 
「……やぁだ、悪趣味」
 
見つけてしまった者と、『似合う花』という言葉に乱が顔を顰める。困ったような、考えるような今剣の表情とは違い嫌悪から来る表情。
 
「うむ、目的も分からんし、珍しい花の意味も分からんな」
 
「…なんにせよ、気をつけて進もうぜ。俺たちは悪意を持ってここに拉致されたんだ。ただで済ましてもらえるわけがねぇ」
 
先程思い出した、押収された珍しい花。
青い牡丹は見つけられなかったが、異なる色の花々はこの庭園で見ている。まだ確信は無いが、薬研の主が捜査していた事件とこの庭園に関係が有るのだろう。
だとすれば、犯人にはこちらへの明確な害意が有る筈だ。
 
「だね。気をつけよう」
 
重々しく乱が頷く。
 
「がっはっは、そうだな!!気をつけるに越したことはない!」
 
とて慎重な粟田口の短刀二振りの頭を、偉い偉いとでも言うように岩融が撫でる。
 
「……わかりました。きをつけましょう」
 
何か、酷く深刻そうにする二振りの様子は分るのだが、それが『何か』を聞くことは躊躇われ、こくりと頷くことしかできない。
 
「しかし、まあどんな敵であっても、この岩融が狩りつくしてやろうぞ!心配するな!」
 
小さな刀三振りをまとめてぎゅっぎゅとしなが岩融が抱え込む。
 
「ふふっ、岩融はたのもしいです!」
 
「頼りにしてるよ、岩融さん!」
 
今剣は嬉しそうに、乱もにこにこと笑う。
 
「おっ、勇ましいねぇ。頼りにしてるぜ!」
 
抱え込む逞しい腕をぽんぽんと叩く。ついでにそろそろ苦しいという若干の抗議も込めて。
この場所、襲って来た何者かへの疑念と危機感が募るばかりだがこうして言葉を交わし、気遣い合うことで張り詰めた緊張が解れる。
変に気を張って居ては、大事な物を見落としてしまう可能性もあるだろう。
四振りは周囲へ注意を向けながらも、少しばかり軽くなった心持で先へ進むことにした。
 
 
進んだ先には、曼殊沙華が咲き乱れるエリアだった。明るい緋色をした筈の花が、些か黒い色をしているように見えた。
極楽浄土に咲く花の次は彼岸の花。
決して枯れかけて黒ずんでいる訳では無く、輪生状に外向きに開いた花弁は萎れた様子はない。
 
「わぁ……ひがんばなですね。いやないろをしていますが……」
 
花は確かに盛りと、美しい姿形をしているがその色を綺麗だとは思えない。
 
「うむ。曼珠沙華と言えば誰だったか…」
 
最早だれも秋の花が四月に咲き誇っていることに触れる者はいない。
 
「何て言うか、いよいよ不吉な感じの色だね…」
 
「だなぁ。ま、もともと食ったら死ぬって意味では不吉な花だけどな」
 
黒に傾く赤い花を見渡しながら、乱は呟く。ああ、それでも主は『黒い花も欲しい』と言っていた…。
そう思って、自分の思考に一瞬驚き、直ぐにその主の言葉に追従して記憶が蘇る。
 
乱藤四郎の主は、本当に花が好きだった。本丸に温室を作り、様々な花を育てる程に。
ここで目にす前にも、真紅の杜若、黄色い紫陽花、蒼い牡丹を見たことがあるような気がする。
そうして、言っていたのだ。
 
『黒い花も欲しいけれど…あればかなり珍しいからね』
 
また、先程感じた痛みが瞳の奥でずきりと響いた。
思い出してはいけないことを、思い出してしまったような気がして、その記憶から逃れるように視線を彷徨わせる乱の視界に、例の小さな立札が飛び込んで来る。
 
「『#73:曼珠沙華』……黒い、花」
 
真っ黒では無いけれど、これが主の欲しがっていた『黒い花』なのだろうか…。主は、こんな不吉な物を欲しがったのだろうか…?
立札を読み上げた乱が、ちいさく震える手で目元を抑える。
 
「73…というと燭台切か」
 
「うわぁ……」
 
ぞっとしたものを感じた乱と、直ぐに立札の数字が示す先を導きだした横で、今剣が驚いたように半歩後退する。
 
「ん?どうした今剣?」
 
「何か見つけたか、今剣?」
 
様子のおかしい今剣の顔を岩融が覗き込み、屈み込み根元を覗き込むようにしていた薬研も立ち上がり顔を向ける。
 
「ええと……あまりみないほうがいい、のかも……」
 
覗き込む岩融の顔を、困ったように見返し言い淀んでから先程顔色の悪かった薬研と乱へ目くばせする。
 
「…見たのかな」
 
その視線の意味を察した乱が問う。
 
「…誰か見つけたのか?」
 
薬研がはっきりと『誰か』と表現した。
 
「……ええ、燭台切がそこにいました。おさっしのとおり…ですが」
 
先程見つめていた先へもう一度視線を向かわせる。
自然の、皆が今剣のその見つめる先を追う。
 
その先には…咲き誇る曼珠沙華に埋もれるようにして、『燭台切光忠』はいた。
彼の痩せた躰から直接、曼珠沙華は咲いている。
 
「…燭台切。刀剣男士の遺体を養分に咲いている、のか…??」
 
「みたいに見えるよな…」
 
「いままでのばしょも……いえ、かんがえないほうがいいのかも」
 
薬研や乱の口から伝えられる以前に、美しい花の下にあるものを見つけてしまった今剣は自身の思考に首を振る。手掛かりにはなるのでは、と探していた立札の示す真実を知ってしまった後ではその意味を振り替えることは憚られる。
 
「そうか、数珠丸も…いや、そうだな、考えない方がいい…」
 
不揃いな記憶の中でも、豪快に笑っていた岩融の表情にも力がない。
 
「いったいだれがこんなことを……」
 
人の手を借りずにこんなにも見ことに花が咲くことはない。刀剣男士の作り物の人体から勝手に花など咲くものだろうか…?
もちろんそんなことは起こり得ない。この悍ましいことを行った『誰か』が存在するのだ。
 
「…黒い花は、珍しいんだって」
 
三振りが暗い顔で言葉を交わす横で、金縛りにでもあったようにじぃっと黒い不吉な花とその下に横たわる燭台切りを見つめ続ける。
絞り出すように呟かれた言葉に、乱へ視線が集まる。
 
「どうしよう、ボク、知ってるかもしれない…はじめて見たんじゃないかもしれない…」
 
「?…どこかで見たことがあるのか…??」
 
「みたことがある……のですか?」
 
酷く戸惑ったように呟く乱は、無意識なのか目を押さえ、おろおろとしながら言葉を紡ぐ。狼狽える乱を不思議そうに、心配そうに岩融と今剣が尋ねる。
 
「…、何か思い出したのか?」
 
明らかに様子のおかしな乱へ問いかける薬研も、右目を押さえている。
 
「主さんの、主さんの温室で見た気がするんだ…杜若も、紫陽花も、牡丹も…」
 
どうしよう、どうしよう…と今にも泣きそうにしながらも問いかけに応える。
主は『黒い花が欲しい』と言ってた。温室でこの庭園に咲くものと同じ、奇異な色の花を見た。
 
「温室とは珍しいな。乱んとこの大将は花が好きなのか?」
 
大きな青い瞳を潤ませたままに乱は頷く。
 
「主はお花が好きだよ…」
 
「……そこのおはなも、こんなふしぎないろだったのですか」
 
「…うん。真っ赤な杜若に黄色い紫陽花…牡丹も青かった。ここまで見てきた不思議なお花の色とおんなじ」
 
答える程、考える程、思い起こす程に不安が募り嫌な想像が加速していく。
 
「……そうですか」
 
今剣も乱が酷く不安そうに取り乱す心持ちを理解する。
 
「それは偶然…とは考えにくいな。乱の主がこの庭園に何か関わっているのか??」
 
岩融の疑問こそが、急き立てられるような焦りの正体。
もし…もしも、自身の主がこんな恐ろしいことに関与していたら、という恐怖。
痛むかのように目を押さえていた手で、顔を覆ってしまい、乱は俯く。
 
「……乱」
 
手を伸ばし、些か雑にだが薬研は乱の頭を撫でてやる。
 
「とりあえず、今は長谷部を探すことを考えようや」
 
「……うん」
 
わしわしと髪をかき混ぜるように撫でる薬研の袖をぎゅっと握りながら頷く。
余程の動揺だったのか、自分を落ち着けようと手を握りしめていたのか、袖を握る乱の手が皮膚が裂け血が滲み指が歪になっていた。そのことにはあえて触れず、よしよしと頭を撫で続ける。
 
「ちなみに、長谷部以外に行方不明になってる刀はいないよな?」
 
「わかんない…ごめん、そこまでは思い出せなくて」
 
少し落ち着いたのか、顔を上げた乱が申し訳無さそうに首を振る。
 
「気にすんなって。なら探すのは一振りってことだな」
 
思い出せない記憶に対してどんなに悩んでも仕方ない、出来ることをしよう、と。自身がぐしゃぐしゃと撫でた頭を直してやりながら言う。
 
「うむっ、そうだ。悩んでも仕方のないことをいくら悩んでも仕方がない。長谷部を探そうぞ!」
 
「だいじょうぶ。おもいだせないのはわるいことじゃないですよ」
 
「はっはっは、そうだ、悪いことではない!まずは目の前のことから、だな!」
 
「ええ、岩融のいうとおりです!」
 
皆がすっかり暗い表情になってしまった乱を励ます。
 
「…そうだね、みんなありがとう」
 
落ち込んでいるばかりでは何も変わらないと。気合でも入れ直すように頷き、礼を言う。薬研が直してくれはしたが、性格の表れかまだ微妙に絡んでいた髪を手櫛で直し、よし!と頷く。
 
「乱、そういやさっき目を押さえていたみたいだが、痛むのか?」
 
持ち直したらしい乱の顔を見て、先程聞きそびれてしまったことを尋ねる。そういう薬研も痛むのかのように、右目を押さえていたのだが…。
 
「薬研も目が痛むのか??どれ、見せてみよ」
 
それを思い出し、きっと指摘しなければ自己申告をしないであろう薬研へ岩融が問い、頬を支え軽く仰向かせる。
 
「いいや、ちっと痛んだだけだぜ。目にゴミでも入ったかなぁ」
 
「そうか…うむ、特に変な様子はないようだ。また何かあったらいうのだぞ。」
 
大したことは無いだろう、と言いながらも傷などはついていないかと瞳を覗き込む岩融にされるがままになる。眼窩に異物や眼球に傷がついていないのを確認し、手を離すがもしまた痛みが有るようだったら申告するようにと念をおす。
 
「…そうかい。悪いな、旦那」
 
本当は、痛みだけではない。
乱が『花』に関して思い出したように、薬研もある記憶が蘇っていた。刀剣男士の身体を苗床にして花咲く『ほとけかずら』という植物の存在。そして今、庭園で目撃した者達。
主に命じられていた捜査というのが、その花と苗床の不法売買についてだった。
ただ今はその記憶について、話すことはしない。本丸で『ほとけかずら』らしき花を見ており、友人が行方不明の乱、母親の為に莫大な金額が必要になったという幼い主を案じる岩融と今剣。
彼らのことを考えると、今はまだ語るべきではないと判断した。
 
心配させてしまったことを詫びるようにひらひらと手を振り、大丈夫だと言うように軽く笑ってみせる。
 
この庭園に潜むかも知れない危険や、思い出せない記憶に対する不安は増すばかりだが先へ進もう。出来ることから解決していこう、と皆が顔を上げた所で今までに無かった変化が起きる。
 
歌が聞こえる。
 
今まで目に入る鮮やかな花ばかりだった空間で、何処かからか、誰かが歌う声が耳に届く。
この場で初めて感じ取る自分達以外の何者かの気配。
 
どこか聞き覚えのある声に耳を傾ける。
 
「ん??この声は…堀川か??」
 
「堀川さん…?」
 
岩融と乱が同じ名前を口にし、それに薬研も同意する。
 
「ああ、多分そうだ」
 
「堀川がここにいるのですか……?」
 
ここに来て漸く感じ取る、今まさに存在している気配を探るように今剣は花に囲まれた空間を見渡す。
 
「うむっ、確かに聞こえるぞ。どこからだ…?」
 
「どこから聞こえてくるのかな…」
 
自然と声を辿るようにそちらへ足が進む。
目に入る花よりも、耳に届く声を頼りに進んだ先には、奇妙な桜の木があった。枝一杯に付いた桜の花は満開で、その花弁を仄かに灰色に染めていた。
そんな奇妙な桜の根元に、彼はいた。
ここへと至るに至った声の主、堀川国広が髑髏を抱きかかえて歌を口ずさんでいる。
奇怪な桜の横にはさも当然のように『♯91/99:桜』と書かれた小さな立札が有る。
 
確かに、声の主を探し進んだが…その結果目撃したものに唖然とする。
ぼんやりとした瞳で折れた刀を抱えて、ただただ子守歌のように歌を口ずさむ。
 
「……たいせつなかたなといっしょにいるのですね」
 
その折れた刀が『和泉守兼定』であることに気づいた今剣が呟く。
 
「おい!堀川!!俺の声が聞こえるか!?」
 
立札を目にし、一瞬固まっていた薬研が弾かれたように駆け寄り、膝をついて声を掛ける。
一瞬ぼんやりと、唯開いていただけのような目に正気が差し、確かに薬研と視線を交わす。だがそれは一瞬のことで、何か言葉を交わす前に世界を震わせるような慟哭が、彼の口から溢れ出す。
 
「あ、あ…あぁあああぁあああああああぁあああ!!!」
 
その叫びに康応するように仄かに灰の色を呈していた桜が、あっと言う間に黒へと染まっていく。空を覆う程にあった満開のさくらは数拍の間に全てを深い黒に染め上げた。
桜が黒一色に染まると同時に、堀川はぷつりと電源でも落ちたかのように静かになり、がくりとその場に倒れ込む。
そこから、一切動く気配を見せない。
だが一人近づくことが出来ないでいる。動くことが出来なかった。最も近くにいた薬研でさえ、直ぐに安否を確かめることへ移れなかった。
何故なら、彼の絶叫と共に四振りの目に痛みを感じた。瞳の奥が、燃えるように熱く、痛い。記憶の断片を思い出すたびに、ずきりと痛んだのとは違う痛み。
 
痛みを感知し、脳が理解し、何故、と痛みから逃れようと何かをするよりも早くのぱちゅ、と湿った音を立てて右の眼球が押しつぶされるように爆ぜ、眼窩から何かかが生え、伸び出して来たのが分かった。
 
恐る恐る顔を上げ、周囲の面々の顔を見渡す。
皆同じように右目に『花』が生えていた。
 
「いった…え、菊…?」
 
皆の目から生えた花を認識し、自身の顔を触る。ふさりと手に触れる花弁の感覚が確かに伝わる。
 
「な……なんですか、これ」
 
菊、という乱の言葉と自身が感じる変化に咄嗟に眼球を押し退けて咲いた花へ手を伸ばす。反射的に虫を追い払うように、突然湧いて出た花を毟りっとろうとする。
余程動揺していたのか、慌てて伸ばす手で僅かな花弁と自身の手の肉を毟り取とる。
 
「…っ、くそっ…!!」
 
舌打ちをし、薬研も己の顔に咲く菊を握りつぶそうと鷲掴みにする。
 
『すいません…』
 
突然芽吹いた菊に、皆が動揺する中岩融は主の言葉を思い出す。
一体何を謝るのだろう?一体何時の記憶か…。
確か、主の母が事故に遭った後だ。すっかり沈み込む幼い主が、二人っきりで出かけたいと誘ってくれた。酷く不安そうにするばかりだった主が出かけたいと自分から言ってきたのだ。
少しでも気分転換になればいい、一時でも心が晴れるならいい、その共に自分を選んでくれたことが誇らしく喜んで主について行った。
その外出先、食事中に急に眠くなり、意識が途切れる間際になって聞こえたのが、先の主の謝罪だ。
 
「…っ!??何だ、これは…菊…??」
 
想起された記憶に呆気に取られ、瞳に花開いた菊に漸く意識が向く。
 
「……ごめんなさい。ごめんなさい…………」
 
己の顔に咲く花に手を添えて、添えた手を破壊して…そんな姿で固まってしまった今剣が謝る。制止した姿のまま菊を咲かせた岩融を見つめ、ただただ謝る。
 
「今剣…」
 
明らかに様子のおかしく同じように何かを思い出してしまった様子の今剣を見つめ、静かに岩融が名前を呼ぶ。
 
「……でも、ずっといっしょにいたかったんです。とられてしまったみたいでかなしくて、ぼくだけをみてほしくて」
 
名を呼ばれても、震えながら譫言のような言葉を連ねる。
花を咲かせた岩融を見て、蘇った記憶。
 
何処で聞いた話だったか…絶望で黒く染まった『ほとけかずら』は、高値で売買される。『岩融』を売れば、母は助かる、と主に吹き込んだのは今剣自身だった。そして、自分も一緒に売って欲しいと頼み込んだ。
今この現状は自分自身が望んだものだったのだ。
常に小さな主の傍に控える岩融を見ていた。それでも、岩融が見ていたのは主だった。刀なのだから、持ち主がいて、使い手がいてこそだ。だから岩融の態度には何も問題はない。
それでも、それでも…『刀剣男士』として人のように作られた肉に宿った自我が寂しいと訴えた。
ずっと共に在ったのは自分で、それが例え主でも大切なものを取られてしまったような気がした。そして、とても狡い手段でもって主も岩融も欺いてしまった。
酷いことをした自覚も、こんな手段を取ってまで岩融を取れらたくないと願った自分の浅ましさも理解している。咄嗟に零れた謝罪に、その気持ちに偽りはない。
それでも思ってしまった。
 
あぁ、これで彼とずっと一緒にいられる。ずっと、ずっと。
 
「ふたりとも、そんな無理やりしたら危ないかもしれないよ!」
 
乱暴に花を握りつぶそうと力を込める薬研と、蘇った記憶に花に手を伸ばした状態で固まってしまった今剣。二振りを止めようと、近くにいた薬研の腕に縋るようにして乱が言う。
 
「落ち着け!無理やり抜いてどうにかなるなら、燭台切たちがどうにかしているだろう!!」
 
「……あはは、そうですよね」
 
じっと、見るともなくただ視線を向けてた岩融に声を掛けられて我に返ったように、今剣は力なく笑う。
 
「うむっ、心配するな、俺がそばにいるぞ!!」
 
笑いながらも、やはりどこか、魂の半分でも置き忘れてきてしまったような今剣をわしわしと撫でる。
 
「……えへへ。それならぼくはどうなってもしあわせです」
 
撫でられて、また嬉しそうな顔をする。しかしその笑顔は真実を忘れて、花の下の真実を知らなかった時のような明るさはない。ただただ岩融に撫でれて上機嫌に笑った表情とはかけ離れ、どこか影の落ちた笑みだった。
 
「ああ、我らは鎌倉のころより一緒だからな、ここでも共にいれて嬉しいぞ!!」
 
今剣の暗く陰った笑みに気づきつつも、気づかないふりをする。
ただ明るく笑って今剣を撫でる。
 
慌てた乱に腕を掴まれた薬研は険しい顔のままだ。
 
「だからって、大人しくこのまま苗床にされてたまるかよ!」
 
握りつぶそうとするように力を込めるのは止めるが、その指先は未だに菊の花へ伸びている。
 
「大人しくされるがまま、なんて言ってないよ。落ち着いて」
 
「畜生、あのとき油断したばっかりに…」
 
己を落ち着けようとするように、大きく息を吐く。
薬研にしてみれば、明確に襲われた記憶が有る分油断しなければ回避できたかも知れない現状が、もどかしくて仕方がない。
 
「だったらなおさら行かなくちゃ、ね?」
 
「……ああ、そうだよな。悪い」
 
苛立たしそうに息を吐いた薬研へ、乱が笑いかけようやく花から手を離し、小さく笑い返す。
 
「そうだな、おとなしくされるがままも性に合わん。手がかりと言ってはなんだが、堀川の様子も見に行くか」
 
岩融の向けた視線の先では、倒れた形のまま一切動いていない堀川がいる。
 
「堀川…」
 
痛ましい物を見るように、至近距離から彼を覗き込む。
彼の背が桜の樹に張り付いていることに気が付いた。癒着し、まるで同化しているかのようだった。岩融にぴったりとくっ付てやって来ていた今剣も、背に隠れたままにその様子を伺う。
 
「…苗床にされてすぐに死ぬわけではないようだな」
 
今は完全に沈黙してしまった彼も、先程もでは確かに意識があった。正気が有ったかは定かでは無いが…それでも大切な刀を抱いて、歌を口ずさんでいた。
 
「ああ。だが開花した以上、どれだけの猶予があるか……急がねぇと間に合わなくなるぞ」
 
ああなってしまうまでに、一体どこまで正気を保っていられたのだろう。そもそも、樹木と身体が癒着してしまっては物理的に動けなくなってしまう。
 
「俺たちの花とはずいぶん違うようだ…桜と菊では違うのは当たり前か…」
 
「そうですね……」
 
岩融の背に張り付いたままに、今剣は頷く。岩融の衣服を掴んだまま離れようとしない。
 
これまでの花ももっと良く見ておくべきだったかな…と乱は少し後悔するが、あの瞬間の心でそれが出来たかと言えば、きっと無理だ。
 
「…まぁ、樹が生えてこなかった分、まだ動きやすくて助かったってことにしとこうや」
 
「ははははは!!そうだな、樹が生えてきたらさすがの俺でも動きにくくてかなわん!!」
 
「岩融さんに生えてくる樹って、すごーく大きそう!まだまだ動けるうちになんとかしなくっちゃね」
 
「……ええ、そうですね。とんだりはねたりできなくなってしまったらいちだいじです」
 
薬研や岩融に同調するように、軽口をたたくような調子で言うのにどうしてもその声に力が入っていない。視線は堀川から…倒れ伏して尚抱え続けている折れた刀から外せずにいる。
 
どうしても考えてしまうのだ。
ずっとずっとそばにいられた彼らは幸福だったのだろうか、と。
 
「じゃあ、とっとと行きますか」
 
「動けるうちに何とかせねばな!行くぞ!」
 
焦りはあるが、努めて冷静にと言い聞かせながら先を目指す。
進まなければ、もうそれしかないのだから。
 
再び静かになった庭園を進む中奇妙な梅の樹が咲くエリアに気がついた。一つの機に薄紅と灰色の花が咲いてるのだ。その樹の根元に座り込んで身を寄せ合う『鶯丸』と『大包平』がいる。
どちらもその眼を閉じているがそれは眠っているのか、それとももう既に…。
 
「古備前のか…鶯だから梅、か」
 
近づき、様子を伺うとどうやら二振りの身体からその二色の花を着けた梅の樹が生えているらしい。
 
「おや…こんなところで会うとは」
 
近づいた四振りに気づいたのか、目を開き常のように微笑みかける。
 
「鶯丸さん…!」
 
正直、こんな風に『普通に』声を掛けられるなんて考えていなかったものだから驚いてしまう。
 
「あぁ、そうだ」
 
乱の驚いたような声に気を悪くした風もなく、少しやつれているとは言いながらも、本丸のでの見る彼の同様当たり前の、穏やかな表情で頷く。
 
「鶯丸…まだ、正気か??」
 
「…まぁ、俺の方は正気だな」
 
随分と直球な質疑にも、酷く直球な答えが返って来る。
 
「どうしてここにいるの…?」
 
鶯丸へ問いかけながらも、乱の視線は未だ目を閉じ鶯丸にもたれかかる大包平は目覚める気配がない。
 
「どうして…か。金と引き換えに売られた結果だ。一部の好事家は赤や白の花が、真っ黒に染まっていく様を愉しむらしくてな。俺はまぁそこまででもなかったが。大包平はな…」
 
「金…か、そうか」
 
岩融は、先程思い出した主の言葉を思い起こす。
 
「…すみません、か…謝らずともよいものを…主には主の願いがあったのだろうて…」
 
「…………あるじさま」
 
岩融の静かな、酷く静かな言葉に今剣は呟く。
 
「……あなたたちをかったひとについて、なにかしっているのですか」
 
「買い手…の方は知らないな」
 
少し考える風にしてから、ゆったりと首を横に振る。
 
「…旦那はいつからここに?」
 
何を思い出したのか、岩融と今剣の本丸で一体何が有ったのかは知らないままだ。当人達が語らないのならば、尋ねるべきではないと薬研も鶯丸に向き直る。
 
「いつから…いつから。まぁ、そこそこ日は経っているだろうが…何分、日がな一日、此処にいるだけだからな。どれだけ経ったのやら」
 
おっとりと、それこそ内番から抜け出した時よろしく、穏やかに考えるように首を傾げる。導き出された答えも、いつも通りにゆったりとしている。
 
「ここには人間が鑑賞に来るのか?」
 
こうして鶯丸と大包平に出会うまでに、一度も純然たる『人間』を見ていなかったが…。彼の話では、この庭園を見て回り感じた通りに人に鑑賞させる為のもののようだが、そういった気配は一切無かった。
 
「そうだな。たまに来るな。鑑賞に来たと思しき人間や、庭師なんかが」
 
どうやら頻繁に訪れる訳ではないらしいが、やはり花の世話をしている人間がいたようだ。それならば、その人物とはどこかでかち合う可能性があるかもしれない。
 
「…その庭師、鶯丸さんはみたことある?」
 
「あぁ、日が暮れる頃には、あちらの方に去っていくな」
 
四振りが歩いて来た方とは逆方向、その先に何があるのか分からない方を指し示す。
 
「そちらにいけば、ひとがいるのかもしれませんね。あまりであいたくない…けど」
 
指示される方を見やりながら、今剣が呟くがその声には警戒の色が濃くにじみ出ている。
庭師と言うからにはこの庭園の花を世話してる者で、当然、その花がどんなものかを知っているはずだ。そんな者の前に花を咲かせた刀剣男士が現れたらどんな行動をとるか…少なくとも友好的な関係を築けそうにはない。
 
「向こう、か。その庭師とやらがいればいいんだけどな…」
 
そう言いつつ、薬研は現在の空の色を確認する。傾きつつはあるが日暮れにはまだ時間がありそうな頃合いだ。
 
すこしおずおずとしてから、酷く申し訳無さそうに乱が口を開く。
 
「他に、刀は見なかった?へし切長谷部、とか」
 
「いいや。俺は此処から動けない身だからな…余所に誰がいるかまでは分からないな」
 
「長谷部はおらんのか。残念だったな」
 
「まだ探していない場所もある。全員で探せばきっと見つかるさ」
 
「ええ、そのとおりですね」
 
「そっか、ありがとう」
 
「うむ、きっと長谷部を見つけようぞ!」
 
「そうか…探し物があって此処に来たのか。何も出来ないが、再会を祈ろう」
 
花の真実が明らかになってしまった今、皆焦りや様々な思いが有る中で身勝手な質問をしてしまったかと、後ろめたさを感じていた乱だが誰一人大切な友人の心配する彼に嫌な顔などしない。
 
「なんにせよ、この花をどうにかしようってんなら、ここを管理する人間…庭師を問い詰めるのが一番だろうな」
 
「おそらくな」
 
こくりと鶯丸も頷く。
 
「そうだな、庭師に聞いてみるより他なさそうだ」
 
「俺は行くが、お前らはどうする?」
 
既に鶯丸が指し示した方へ身体向けた薬研が問う。
先程感じた通り、庭師がここの花を管理しているのなら決して彼らとは友好的ではいられない。一体何が起こるかも分からないのだ。
 
「ボクも行く」
 
薬研傍へ小走りに寄りながら乱は言う。
 
「岩融についていきます」
 
先程からずっと、岩融の服を握り付いて歩いていた今剣はその指先に更に力を込める。
 
「そうか…なら急ぐといい。…間に合うといいがな」
 
皆の決意に鶯丸は頷き、先程指示した方向へ視線を向ける。
 
「……あ、そうだ」
 
示された方向へ踏み出す中、今剣は足を止め二色に分かれた梅の樹を振り仰ぎ、鶯丸へ問いかける。
 
「おはなのいろがまっくろにそまるといっていましたが……。ここにくるまでにはふしぎないろのおはなもたくさんありました」
 
こてりと小さく首を傾げ、「きいろのあじさいとか、あかいかきつばたとか…」と実例を付け足す。
 
「主はなんて言っていたか…これは確か『ほとけかずら』と言って、刀剣男士の体を苗床にして咲く花らしい。宿主の感情に反応して色を変えるそうだ。例えば喜びは黄色、怒りは赤。青系は悲しみ、嘆き…だったか?宿主が持つイメージに対応した色の花が咲くらしい。俺と大包平とで色が違うのは、そのせいだな」
 
目を伏せ、暫く過去に想いを馳せるようにした後に語る。
言葉の終わりに自身の肉に癒着した樹木を見上げる。
 
「なるほど……」
 
「黒は…絶望、だな。大包平の梅が灰色をしているのは、そのせいだ」
 
灰色と薄紅の花から視線を外し、もたれるように、ただ眠るように目を閉じる大包平を見つめる。
 
「絶望…か」
 
一瞬で灰から黒へと染め上がった堀川に咲いた桜を思い出し、口を噤んだ。
 
「ふぅん、てことは脳に根が張ってんのか…? いや、俺たちは身体が見た目こそ人間に似通っているが、実際の器は別物か」
 
自身の眼窩から芽を出した菊を、軽く突きながら不思議そうにする。刀剣男士は頑丈だ。身体が半壊しようが、依り代が無事なら、肉の身体なんて幾らでも直せる。
脳に生えているのなら一度頭部を全損させる気概で引き抜けば…と一瞬考えまた別の可能性に首を捻る。
 
「あなたのおはなのいろは……」
 
改めて今剣は、薄紅色の梅を見上げる。
梅の香りも相まってその淡い紅色が酷く柔らかな、温かい色に今剣の目には映った。
 
「じゃあ鶯丸さんは、」
 
乱ももう一度梅の花を見つめる。
 
「俺の花の色…か。まぁ俺達のことは、気にするな。…これでも俺は、大包平を独り占め出来て存外、幸福なのでな」
 
やはり、やつれているせいかどことなく笑顔に力が無いが真実穏やかな笑みだった。
 
「幸福、か…ずっと待っていたものな、おぬしらしい」
 
「そう……ですか」
 
嘘偽りなしの、穏やかな笑みに思わず目をふせてしまう。
 
「…じゃあ、お邪魔虫は退散しますかね」
 
「あぁ、頑張るといい」
 
肩を竦める薬研に、穏やかな顔のまま鶯丸は軽く手を振る。
 
「ああ、そうだな。達者で…」
 
岩融も別れの挨拶を、と手を上げかけ一瞬動きを止める。
 
「…とはいかんが、幸福でな」
 
改めて告げた別れの言葉は酷く正しい物のような気がした。
 
「鶯丸さんの幸福が、少しでも長く続きますように」
 
乱も手を振り、足を進める。
 
「……おしあわせに」
 
最後まで立ち止まり、幸福そのものの表情で笑む刀を見つめる。
大切な物の傍、誰に奪われることもなくそこに寄り添っていられることが庭園に来る前に今剣の願った姿そのものに思えてしまった。
 
「今剣、いこうぞ!!」
 
一人立ち止まる今剣へ、岩融がその大きな手を差し出す。
 
「……はい!」
 
眩しい笑顔を向けられ、今剣も笑顔でその手を取った。
明るく手を握る二振りと、灰と薄紅の梅を振り返る。乱藤四郎は、己の右目が有った場所へ手を伸ばす。自身からは見えない位置にある花。
…感情は他人に見えはしないし、まれに自分自身でさえ気づかないことも有る。一体自身に咲くこの花がこのまま育つと、一体何色に染まるのだろうか…。
 
 
足を進める中、ふと今剣以外の皆が足を止める。
 
「…花の匂い」
 
立ち止まった乱が呟く。
 
未だ周囲には梅の樹が立ち並び、甘い香りが空気を染めているが、強い風が吹いた瞬間に別の花の香りが混じる。また直ぐ近くに強い香りを持った花が有るのだろう。
 
「…花のにおいがするな」
 
薬研も気づいた様で、どこから香るのかと辺りを見渡す。
 
「強い花の香り…梅ではないな」
 
岩融も風向きから、どこから香るのかと辺りを見渡す。
 
「おはなのにおい、ですか?」
 
手を繋いだままの今剣が岩融を見上げる。
 
「うむ、すぐ近くだと思うのだが…」
 
見上げる今剣を見返し頷く。
こちらだろうか…と風向きを辿る先に、藤の大樹を見つけた。だが、本来は薄紫である筈の花の多くは、黒く変色している。
その大樹の根本に、下半身が半ば樹の幹に埋没した『へし切長谷部』がいた。まるで、樹に磔にされているかのように。
 
「長谷部さん!!」
 
探していた大切な友人の姿に乱はその名を呼び、一直線に駆け寄っていく。
 
「おい!!」
 
駆けだす乱を追い、薬研も続く。
 
「その、花…はは、は…お前達も…主に売られたのか…」
 
駆け寄る乱と薬研を乾ききった笑みで迎える。しかしその自嘲なような笑みも二振りにかけた筈の言葉に崩れ、己の言葉に動揺するように声を震わせる。
 
「あ、あぁ…そう、だ…俺は主に、捨てられ…て…」
 
撹拌していく思考と心情を抑え込もうとするかのように、両手で顔を覆うが溢れ出る嘆きが止まることは無い。
 
「嘘だ、嘘だ、嘘だ… どうして、俺を捨てたのですか、主。身も心も全て、貴方に捧げてきたのに、何故!!」
 
何か落ち度は有ったのか、何故不要に成ってしまったのだと、自問自答するようにここにいる訳でもない主へ向かい呪詛のような絶望を吐き出し続ける。
 
彼の絶望に呼応するかの如く、絡みつく藤の花が真っ黒に染まっていく。
 
「長谷部……」
 
僅かに引いた場所から彼らを伺っていた岩融と今剣は何方ともなく、或いは双方なにか言葉を掛けてやることも出来ずに呟く。
彼を探していた、友人である乱へ視線を向ける。
 
「しっかりしなよへし切長谷部!」
 
このままではいけないと、鋭く声を掛けごく至近距離へ寄る。一度引っぱたくことをしてでも、深く成って行くだけの泥沼のような思考を止めなければと振り上げた手が届く前に、妙に凪いだ瞳とかち合う。
 
「お前は、なんで…」
 
先程までの身を切り裂くような嘆きも抜け落ち、全ての情動が振り切れてしまったような顔で真っすぐに乱を見つめる。
彼の藤色の瞳からは。ぼろぼろと涙が零れ落ちていく。
 
「乱。教えてくれ、どうして主は俺を捨てたんだ?」
 
どうとも答えてやることの出来ない問。何を言ってやることもできない彼の様子に皆が息を飲み、静まり返る。
 
誰かが何かを言う前に、不意に背後から足音が響き反射のように振り返る。
 
「おいおい…なんで苗床が動き回ってるんだぁ…?」
 
聞いたことの無い声の通りに、スコップを持った見知らぬ男。
 
「たく、おとなしくしてろってのっ!」
 
忌々し気に四振りを見やり、舌打ちでもしそうな勢いで吐き捨て襲い掛かってくる。
 
「知らないよそんなの!ボクに聞かないで主に聞いたら?」
 
探していたこの庭園を管理しているらしき人物。鶯丸の言っていた庭師とは目の前の人物だろう。
やはり想像の通りに友好的とは行かないようだ。
ただ、その訪れた危機により硬直していた時間が動き出しようやく言葉を発することができた。
 
「だから、一緒に帰ろうね長谷部さん」
 
帰ろう。そう告げ、乱は悪意と害意に満ちた庭師へ向き直る。
この言葉が長谷部に届いたのかは分からないが、今は目の前の脅威を何とかしなければ一緒に帰ることもできない。
 
「旦那、物の管理がなってねぇな。植物も刀も、そっちが思っている以上に繊細にできてるんだぜ?……なんにせよ、これでなんとか大将の命も果たせそうだな」
 
薬研も庭師へ向き直り、闘争の意思を示す。
言葉は飄々としているが、不自然に体に力が篭る。調査を命じられ予め『ほとけかずら』の存在を知っていたのだ。今更こんなことを言っても仕方ないのだろうが、もっと早く思い出していたなら…。と思わずにいられない。戦闘に前に気持ちを落ち着けようとするが、自分の不甲斐なさに腹の奥がむかつくような感覚を押し込もうと、押さえた腕が腹を突き破り腸を握りつぶしてしまう。
 
「……いっしょにいられるのはしあわせだけど、あんなやつのおもいどおりになるのはしゃくです」
 
今剣はぎゅっとしがみ付いたままだった手を離し、真っすぐに岩融を見つめる。
 
「ああ、そうだな、今剣。俺も俺たちを苗床というやつの思い通りになるのは、なぁ…武蔵坊弁慶とともに999の刀を狩った薙刀・岩融の名がすたるわ」
 
「いきましょう、岩融。それにみんなも」
 
「よかろう!狩るにあたって不足なし!皆、敵を狩りつくそうぞ!」
 
全員が戦う意思を示した中、短刀の中で機動力の高い今剣が本体である【短刀】の鞘を払い、庭師へ向かって跳ぶように駆ける。
 
「……岩融、おねがいします!」
 
「おうよ!!!集まれ刀ども!!!」
 
自身の本丸で近侍を務め、部隊長を務めることの多い岩融の【一声】で皆も一斉に動き出す。駆け出したのは今剣の方は早かったが、背丈と薙刀という獲物のリーチ的に【岩融】の刃が庭師へ向かうが、大振りの攻撃だったためか、運のせいか間一髪の所で岩融の一撃は躱されてしまう。
 
岩融と今剣が庭師の動きを封じてる間に、へし切長谷部を取り込むように佇む藤の大樹をどうにかすることは出来ないかと薬研は【特上銃兵】でもって狙いを付ける。
放たれた鉛は過たず、樹木へと叩きつけられ【花びら】を散らす。しかし、樹にダメージを入れようが、足を完全に幹に呑み込まれた長谷部を開放することは難しそうだった。
 
「こっちですよ!」
 
岩融の攻撃をぎりぎりで避け、体勢を崩しかけた所へ【今剣】が鋭い軌道を描いて飛び込む。的確に急所を狙う短刀に、骨を断たれる位なら、重要でもない【臓物】程度くれてやるとばかりに庭師は無理な回避を試みる。狙いが僅かに逸れるが、今剣は軽々と方向を正す。
 
自身の眼窩や、ちらりと視界に入った乱に咲いた【ほとけかずら】の存在を意識すし、ここでしくじる訳にはいかないと力が入る。
悪あがきに、小さな姿の今剣に【蹴り】を入れ逃れようとするも【薙刀の剛力】でもってねじ伏せられてしまう。
 
「ぐあぁあああ!!」
 
凶器を握った腕を【短刀】がまるまる肩から切り落としてしまう。
あまりにも見事な一閃に、同刀種の二振りから歓声が上がる。
 
「すごーい!!」
 
「さすがだぜ!」
 
「はっはっは! いいぞいいぞ!今剣!」
 
同じ三条派であり、同じ本丸に属する今剣をさも誇らしげに讃える岩融の声に今剣は勢いの付いたまま、構え直し斬り込む。
 
「もういちげき、いきますよ!」
 
ひょいっと、身軽に跳び上がり先程の斬撃から立ち直れていない庭師の頭部を白刃が過る。小さな手に握られている筈の短刀が深々と【脳】にまで達したのではないかという勢いで【眼球】を裂く。そのまま勢いを殺すこと無く、くるりと身を翻し、追撃を行う。
しかし勢いがつき過ぎたせいか僅かに狙いが逸れそうになるが、せっかく岩融が褒めてくれた、自分を見てくれたというのに…!その焦燥に近い深い想いでもって、何とか狙いを正す。
 
「ぐっ!!」
 
ほんの一瞬前に、視覚を潰された庭師に避ける余地はなく【脊椎】や【肉】を白刃が断つのに、口から短い呻き声がもれるだけで反撃に転じることも出来ない。
 
「くそっ…!」
 
吐き捨てるように悪態をつき、庭師はふら付きながら今剣から逃れようと藤の樹へ向かい移動する。それを許すわけも無く今剣も追う。
 
「でっかいのををお見舞いするぜ!」
 
逃れようとする庭師と追う今剣。それを追い越すように薬研の威勢のいい声と、彼の装備した【銃兵】から放たれる鉛玉が藤の樹へとたどり着き豪快に藤の花を散らす。
彼も【ほとけかずら】の存在故に、一手たりとも無駄にはしない。
 
「さすがですね!」
 
「がはははは、いけいけぇ!!」
 
藤の大樹から散る花はいっそ見入ってしまいそうな程だ。
 
「気持ちいいくらいだねえ!」
 
これだけ『ほとけかずら』へダメージを与えれば、少しでも長谷部への負担は軽減しないかと、大切な友人へと視線を向けた乱は彼の表情に不穏なものを感じ、再び長谷部の元へ駆けだす。
 
鉛玉の砲火を浴び、巨木は悲鳴のように黒い花弁を舞い散らせる。
視界を覆う程の墨色に塗りつぶされた藤の花弁の中、へし切長谷部の、藤本来の色を持った光彩が狂気に揺れる。見開いた瞳はここにはいない誰かに縋りつくような、いや、縋る者に突き放され途方に暮れ問いかけるように天を仰ぐ。
 
「【主、主、どうして俺を捨てたのですか!】」
 
悲鳴のような叫び。
聞く者の心を引き裂くような嘆き。
同じ本丸に存在し、同じ主に使えた乱にはその悲嘆の責任の一端は自分にもあるのではないかと錯覚してしまう程に痛々しいものを感じる。
が、すぐに自身がしっかりしなければと首を振る。
 
いつだか、誰だか、とある人間は言ったらしい。子供にとって母親は神にも等しい存在なのだと。正にその通りなのかも知れない。
幼い主は共に歩んできた刀剣よりも母を択んだ。それほどまでに大きな存在なのだ。絶対的な存在。何に置いても優先すべき、依るべきもの。
では、刀剣男士にとっての母、神とは誰なのだろうか?
自身たちでさえ神の名を冠する彼らの神とは?
 
少なくとも、このへし切長谷部にとっての神と言うべき絶対の存在は、今生に仕える主だったのだ。
 
空気さえも震わせるような嘆きと悲嘆と絶望に濡れた慟哭に呼応するように、ひらりひらりと舞い落ちていた花弁が風も無いのに突風に煽られたように【花吹雪】となって辺り一帯に吹き荒れる。
それは花弁に有るまじき硬度でもって、巻き込まれた三人の【はらわた】を抉って行く。
それどころか、今剣から逃れようと、更に大樹の方へと進む庭師の【骨】までも砕いて見せた。
 
吹き荒れる花弁の中、花弁が肉を抉り骨を砕くなどと言う事象も意に返さず、殉教者に成り損ねた哀れな、ただの人間のようにへし切長谷部は絶望を叫び続ける。
どんなに投げかけても決して返ることのない問いを投げかけ続ける。
 
「【あぁあ、何故、何故、どうして!!】」
 
一番で無くてもいい、近侍でなくてもいい、手放しさえしなければ。
決してそれが本心では無いけれど…。手元に置いてくれるのなら、そんな最後の堰さえも破って溢れ出る濁流の如き絶望の発露に、乱は真正面から向き合う。
 
「いいよ、長谷部さん。話くらい聞いてあげるよ」
 
ずっと探していた大切な友なのだから、と。
 
絶対に逃がさないとばかりに追って来た今剣へ、隙を付くように襲い掛かる。人間の形である者のプライドを捨て、大きく【顎】を開き噛みつこうとする。
肉を裂く花弁と、同胞の慟哭に気を取られていた今剣は正に隙である。
回避する余裕も無かった今剣と庭師の間へ乱が飛び込み【庇う】。そのまま【肩】の肉を食いちぎらせる。
 
庭園で目覚めてから、明るい声と笑顔で皆を和ませてくれていた乱が己を庇い、傷ついた乱を目撃し今剣の中で何かが募る。
 
「分からない、分からない…俺には何の落ち度もなかった筈だ、それなのに…!!」
 
長谷部にとっても友人であった筈の乱藤四郎が傷を負っても、彼の精神が浮上することは無い。ひたすらに奈落の底から叫ぶように嘆く。
【我が主、我が主、どうして私を見捨てられたのですか】と、神の子とされたヒトが磔刑に処された際に語ったように。
 
「…そうだね、あなたは何も悪くなかったよ」
 
同じ人間を主としている乱藤四郎には。そう声を掛けることしか出来ない。締め付けられるような心中で、その真実を言葉にすることしか出来ない自分に、息苦しさが増して行く。
 
「さっさとかたづけましょう。乱、ちからをかしてください!」
 
狂気が伝播でもしたように、苦し気な表情の乱れへ今剣が声を掛ける。
 
「うん、いこう!」
 
今剣の言葉に、暗い想いを今は振り払わなければと自身の本体である【乱藤四郎】を構える。今一度、襲い掛かろうと踏み出すようにする庭師の胸へ飛び込むようにして、【心臓】へ短刀を突き立てる
 
「ちくしょう…!」
 
その押されるような衝撃に、後方へよろめくのを見逃さず足払いでもするような軽い動きで【今剣】は庭師の足を断つ。
 
「ぐあぁ!!!くそぉお!」
 
支えるものを失い、盛大に後方へ転がりながら威嚇するように庭師は叫ぶ。しかしその咆哮も長く続くことはなく、今剣の返す手であっさりと封じられる。
それ以降再び襲い掛かるどころか、恨み言を吐くことさえなく庭師は沈黙した。
 
「すっごーい!!」
 
「わーい!」
 
今剣の戦果に思わずと言ったように乱が手を伸ばせば、戦う為の存在として嬉しくない訳もなく伸ばされた手を重ねひょこひょことはしゃぐ。
 
「はっはっはっは!、やるな、今剣!!」
 
「とうぜんですよ!」
 
岩融に褒められ、嬉しそうにする今剣だがそんな空気も、肉も切り裂くべく花弁が舞い【花吹雪】が襲い掛かる。
花弁が刀を傷つけるなどという冗談のような現象で、花吹雪に包み込まれた乱れと岩融の【腹部】へ斬撃を与える。
 
が、今剣は「とんだりはねたりおてのも!」とばかりに渦巻く花弁の群れを一足飛びに飛び超え、藤の樹の元に辿り着く。
花弁に腸を抉らてた衝撃から持ち直した乱も、駆けだす。今度こそ、花や庭師に邪魔されない内に友の元へと駆ける。
 
長谷部を藤の樹から引っぺがすには、完全に幹と癒着してしまった足から切断してしまうか、もう少し樹を抉ってしまうしか無いだろうと考えた薬研が再び【銃兵】を使うとする。
のだが、『ほとけかずら』により片目が潰れている為にどうも遠近感が狂ってしまう。万一、狙いが外れへし切長谷部の本体を打ち抜いてしまったら…と考えずにはいられない。
 
躊躇いが生じた薬研の横に、岩融が並ぶ。
 
「旦那、助かるぜ!」
 
【ほとけかずら】で潰れた視覚を補うべく、岩融が【手を貸し】狙いを定める。
 
「いいぞいいぞ、どーんといけ!」
 
言葉の通りに銃撃が放たれる。
 
「あわせますよ!」
 
一息先に飛出していた今剣が【短刀】を構えるのと鉛の弾が飛来するのが重なる。
 
「頼んだぜ、今剣!」
 
先に到達した銃弾が長谷部を取り込むようにした藤の枝を打ち砕く。
 
その極至近距離で爆ぜる木片に、一瞬だけ怯むがここで決めなければ、と。どこの誰とも知れない者の良いようになどされたくはない。そんな形での『ずっと一緒』なんて認めたくはい。きっとそれは、『誰かに取られて』しまうことと同義なのだ。そんなことは認められないと【短刀】を握り直す。
乱が抱く想いの種類はきっと違うのだろうけど、大切な友人を探してやって来たのだ。誰かを想っての行動は、理解できる。
ここまで一緒に歩んできた仲間の為にも、早々に決めるべきだと刀を突き立てる。
 
人とは異なる体構造とはいえ、小さな器の中に押し込められる機能には限度がある。小柄な今剣の腕に、乱も【手】を添え不足する力を補う。
 
その一撃で、完全に藤の幹に埋もれていた【足】が断たれへし切長谷部は大樹から解放され、重力のままに地面に崩れ落ち倒れ伏したまま動く気配を見せない。
ひらりひらりと周囲を舞っていた花弁は、ただ静かに降り積もり、辺りは無音に包まれた。
 
花弁が降る音も止み、周囲にはもう悪意を向ける者は存在せずただ藤の香りが残った。
 
◇◆◇◆◇◆◇
  「……まだ、いきはありますか?」
 
大きな斬撃を与えてしまった今剣が心配そうに長谷部の様子を伺う。
そっと倒れ伏した長谷部に歩み寄り、花弁が埋め尽くす地に膝をつき乱も心配そうに、不安げな声をかける。
 
「…乱、か…」
 
消え入りそうな声に、長谷部は薄っすらと目を開け覗き込む乱を見上げて、その人物を確かめる。
 
「長谷部さん!」
 
呼ばれた名前に安堵し、先程は戦うことしか出来なかった手を握る。
 
「おお!生きていたか!!」
 
目を開け、しっかりと乱を認識た長谷部に安堵したように岩融は笑う。
 
「お前…なんで、こんなところにいるんだ…」
 
「何でって、貴方を探しに来たんだよ。会えてよかった…」
 
本当によかった…と心底安堵し解けた緊張からか、地べたに崩れ落ちそうになりながらも握った手は放さずにきゅっとさらに強く握る。
 
「なんで…そんな……馬鹿だろう………」
 
「何さ、友だちに会いたいのが馬鹿っていうの?」
 
「……馬鹿だ。……お前まで、『ほとけかずら』を咲かせてしまって…」
 
乱がしっかりと握った手を、長谷部が握り返すことはない。悲しそうに『ほとけかずら』の宿る乱の顔を見上げて呟く。
 
「このくらい平気だよ。ボクが貴方を探すって決めた結果なんだから、長谷部さんが悲しい顔する必要なんてないよ」
 
「そう、か………」
 
弱々しくではあるが、漸く長谷部は乱の手を握り返した。
 
「"へし切長谷部"はせきにんかんがつよいかたなですからね……まきこんだせきにんをかんじているのかも」
 
一歩引いて、二振りの様子を静かに見守っていた今剣が同じく見守るに徹する岩融と薬研へ小さく呟く。
そう、呟いた後に巻き込だ責任と言うならば、それは間違いなく自分にあるものだ。紛れもなく岩融を巻き込んでしまったのは自分なのだと、顔を見ることが出来ずに目を伏せる。
 
「どこの長谷部もそうなのかねぇ。ったく、乱がどれだけ心配してたか、見せてやりたいよなぁ」
 
「ふむ…まあそれが長谷部の長谷部たるゆえんだ…気にせずともよいのにな。あんなに心配していたのだ、長谷部にはちとつらいかもしれんが、生きていてよかった」
 
薬研の言葉に頷き、答えながら目を伏せこちらを見ようとしない今剣を撫でる。なにも、今の言葉は長谷部に対しての言葉だけではない。
 
「……まったく。ほんとうにそのとおりです」
 
決して許されたとは思わない。岩融は、笑って許してくれるのかも知れないが身勝手を起した自分自身を許すことはでいない。それでも、元気づけるように撫でる手の優しに安堵し薬研の言葉に返すことができた。
 
「そうだよ、ボクの勝手だからね」
 
酷く疲労した長谷部に三振りの言葉届いたかは分からないが、乱もその言葉に頷き今一度自分が決めたことなのだ言い切る。
 
「…ねえ、長谷部さん」
 
「………なんだ」
 
「これから、どうしようか」
 
「…俺は……もう、どうだっていい。…帰れない、だろう……」
 
「言うと思ったよ。でもボクとしてはどうだってはよくないんだよね。長谷部さん、帰れないとは言ったけど、帰りたい?」
 
主に必要とされることを望む刀が現状を『捨てられた』と認識し『ほとけかずら』を黒く染め上げていたのだ。
 
「………本当は全部、分かっているんだ…。主は「黒いほとけかずら」を所望された。だから、俺を大切にしてくださった。『へし切長谷部』という刀が、黒い花を咲かせやすい刀剣男士だと…ご存知だった、から…だから…俺に課せられた役割は、終わり。……帰る意味も……………何も……ないのに……」
 
最早『へし切長谷部という刀』は不要と断じられた。『黒いほとけかずら』を得る為の手段でしかなく、その用途さえも終わってしまった。もう主に必要されることはないのだと、語る言葉は徐々に嗚咽に沈み込み掠れて聞き取れなくなっていく。
乱はその言葉に相槌を打ちながら、耳を傾ける。
どんな話でも、いくらでも聞くと言った言葉の通りに長谷部の言葉を受け入れる。
 
暫くして、震えるように続いた嗚咽も止み、酷く疲れ切った声が届く。
 
「少し…眠い…な…寝かせて欲しい…」
 
「うん、おやすみ。少ししたらまた起こすよ」
 
乱の声が最後まで届いたかどうか、という辺りで目を閉じ完全に眠りに落ちていた。
 
「……このさきどうするのかきめるのは、もうすこしあとにしませんか? まだここからでられるときまったわけじゃないし……」
 
長谷部が完全に眠りについたのを確認し、控え目な声で今剣が言う。
まだ解決しなければいけない問題はある。
 
「うん、ごめんね。待たせちゃった」
 
今剣の言葉に頷き、自身の本丸の事情で時間を取ってしまったことを謝罪して顔を上げる。
 
「気にすんなって」
 
友人を見つけるという目的は果たせたが、心のそこから手放しで喜べないといった様子の乱の頭を薬研が励ますように撫でる。
 
「うんうん、気にするな。そうだなぁ…出る手段がないとなんともな」
 
岩融も笑って頷いてやってから、直接的な問題について考え込む。
 
「だなぁ。あとは脱出さえ出来れば、なんだが」
 
薬研は再び人の気配を失い、静かになった周囲を見渡す。
話を聞く心算だった庭師は問答無用で襲い掛かってきたため手掛かりは自分達で探すしかない。
 
「何か、出る方法の手がかりとか…?」
 
今剣も薬研にならって辺りを観察する。
 
「…おっ。もしかしてあそこ、庭師どもが使っている小屋か?行ってみようや」
 
「ん?何か見つけたか?」
 
警戒するように周囲を探っていた薬研が何かを見つけたように、指さす。
それ程は成れていない位置に、プレハブの小屋が立っている。客をもてなすような物でもない。完全に庭園を管理する側の物だろう。
あそこに行けば、何か分かるかもしれない。
 
「ほぉー、何かありそうだな!行ってみるとするか!」
 
「はい、いってみましょう」
 
薬研の見つけた物を確認した岩融が頷き、今剣も後に続こうとして眠りに落ちた長谷部はどうするべきだろうか…と考える。今は無理に連れて行かずに、脱出方法を見つけてからの方が良いのだろうか…。
 
「あ、待って!…長谷部さん連れていきたいんだけど…いいかな」
 
小屋は直ぐ近くなのだが、どうしても置いていってしまうのがが心配な乱が三振りの顔を順繰りに見つめて尋ねる。
 
「おっと、長谷部…どうする?俺が背負うか?」
 
岩融以外は皆短刀ばかり。本体の刀ならいざ知らず、成人男性の形をした者を連れて行くのならば、自分が適任だろうと岩融が提案する。
 
「ありがとう。うん、岩融さんにお願いできたら安心だな」
 
「岩融にまかせればあんしんですね!」
 
うんうん、と今剣は頷く。
 
「はっはっは!この岩融に任せておけ!」
 
「ああ、頼んだぜ」
 
「俺たちがやったことだが…ずいぶんちんまりした大きさになったものだなぁ…」
 
「てかげんするべきだったかも……ごめんなさい」
 
すっと苦も無く長谷部を抱えあげた岩融は苦笑する。脚部が全損してしまえば、そうだろう。破損の大部分の原因である今剣がしゅんと、申し訳無さそうに項垂れる。
 
「ん?今剣、お前の働きは見ことだったぞ!義経公もかくあれり!という攻撃だった!…それに、長引いた方が長谷部にはつらかろう」
 
「えへへ……岩融にそういってもらえるならあんしんです」
 
「ね、ボクらよりも小さいよ。早くここから出て治さなくっちゃね」
 
この庭園で目覚めてからそうしてきたように、乱は努めて明るく頷いた。
 
「ああ、治してやらんとなぁ」
 
「そうだな……っと、こりゃあ使えそうだ」
 
後方のの三振りの会話を聞きながらも、意識を小屋へ向け警戒しながら扉を開けた薬研が屋内を見渡し呟く。
中には誰かがいることもなく、別段気に留める程の物も無い。薬研が目聡く見つけた通信機器以外は。
 
「…ん?これでどこかにつながるのか??」
 
「薬研、あてがあるの?」
 
早速通信機器を手に取り、操作をする薬研の手元を目を細めて覗き込む岩融や、乱も疑問に答えず、後で話すと言うように軽く手を上げ己の主へ連絡を繋げる。
 
(ずっと連絡が取れなくて心配したんだぞ!)
 
通信を繋ぎ、直ぐに彼の主の声が飛び込んで来る。
 
「悪いな、大将。しくじった。が、お陰で敵さんの本拠地を特定できたぜ。苗床にされた刀剣も何振りか保護してる」
 
相手方の声は聞こえないが、薬研の言葉で通信の相手は彼の主であり、朧げだが彼の事情を察し三振りはそれ以上声を掛けるのを控える。
 
「指示を頼む。これからどうすりゃいい?」
 
(分かった。こっちから捜索隊を送るから、それまで待っていて欲しい)
 
「りょーかいだ。……あーと、大将。怒らないで聞いてほしいんだけどさ」
 
(ん、なんだ?)
 
どこかバツの悪そうな薬研の声に先を促す。
 
「俺っちもほとけかずらを咲かせちまったんだわ。だから、急いでもらえると嬉しいなーとか…」
 
苦笑交じりの報告に、笑っている場合ではないだろうとばかりに慌てた声が機器の向こうから響いてくる。
 
(な、な、なんだって!? ど、どれくらい、何輪咲いちまった感じなんだ!?)
 
「俺と三振りはまだ一輪、もう一振りは……樹まで生長して咲いちまったのを、無理やり引っぺがして保護してる」
 
静かに通信が終わるのを待ってくれている三振りを振り返り、そして岩融に背負われている長谷部を確認し少し言葉に詰まってから、そう報告する。
薬研と、その主らしきの会話に「そういえば」とでも言うように眼球を押し退けて開花した『ほとけかずら』にふれ、岩融はその存在を確認する。今剣もまるでまねるように自身の花へ手を伸ばし、そこにある物を確認する。
 
(はぁ、よかったぁ。一輪だけなら、まぁ大丈夫だろう…。でも、樹、樹、樹かぁ………)
 
相手方の声は乱には聞こえていなかったが、『ほとけかずら』についての話題に岩融み背負われた長谷部の様子を伺い、通信での成りきを不安そうに伺っている。そんな様子に気づいた薬研はその先の声は潜める。
 
「立派な大樹だったな。…正直、俺にはあの状況は手遅れでもおかしくないように見えたんだが、実際のところはどうなんだ?」
 
正直、主の溜息から希望的な答えは聞けないのだろう、と。
 
(あー…『ほとけかずら』は、宿主を養分として咲く時にだな…色々と溶かしてしまうんだ。自己再生に必要な成分系がやられるっていうか…一輪、二輪程度なら問題ないが…。樹だろ?…その刀は多分、そう長くはもたないぞ…?)
 
「なるほどな。…だから眠ったのか」
 
酷く疲労した様子で眠りに落ちたへし切長谷部を思い出す。
『ほとけかずら』による衰弱は不可逆的なもので、本体が無事なら幾らでも直せるという訳では無いのだろう。
 
(ちなみに、誰なんだ? その刀)
 
「へし切長谷部、だ。…なぁ、大将。その長谷部と同じ本丸の刀剣が一振り、一緒にいるんだが、今の話を伝えてやっても良いか?最悪、もう話せる機会もなくなるかもしれない」
 
(あー…『へし切長谷部』かぁ……多いんだよなぁ……となると大藤か。それだと、長くて数か月程度だろうなぁ。…そのあたりの判断は、薬研に任せるよ)
 
「助かる。じゃあ、後の情報は帰還してからだな。面倒かけるが、待ってるぜ」
 
「あぁ、そうだな。…無事…ってわけじゃないが。生きていてくれてよかった、薬研」
 
心底安堵したような主の声に、力ずよく返す。
 
「今回ばかりはかなり危なかったが、俺はあんたの刀だ。そう簡単には折れないぜ」
 
「あぁ、俺が退職するまでずっと、頑張ってくれ。信じてる」
 
「おうよ、任せてくれ」
 
短刀詐欺だと言われる、実に男らしい返ことをし通信を終えた。そのまま静かに薬研と主の通信を静かに見守っていた面々を振り返る。
 
「今、俺っちの大将が助けを寄越してくれる。ほとけかずらだが、俺たちはまだ一輪しか咲いていないから、なんとかなるそうだ」
 
「そうですか……」
 
今剣はほっとしたように息を吐き出し、こんな形での『ずっと一緒』を既に望んでいない自身に心底良かった、と思えた。
 
「ほほう、そうかそうか!」
 
ただ、と薬研が険しい顔をする。
 
「長谷部の旦那は……藤の大樹を咲かせちまったから、もうそう長くはもたないらしい」
 
そうして主から聞いた『ほとけかずら』の性質を皆に伝えた。
 
「…長谷部は…うむ…」
 
岩融は担いだ長谷部を見つめ、目を伏せた。
 
「……そう」
 
途中から薬研も声を潜め、どんな会話をしているのか分からなかった。だが、何となく空気で察することは出来ていた。
 
「……せめて、さいごのじかんをすこしでもこころやすらげるばしょですごせればいいのですが」
 
そう言い、長谷部をちらちと見る。彼という刀の性質を想うと…何が一番良いのか、と。
 
「そうだなぁ…主が命の長谷部のことだ、大ことにしてくれる主のもとにいるのが一番安らぐだろう」
 
岩融の言葉の通りのなのだろうが、その主に不要とされてしまった彼自身が、そんな自身を許容できるのだろうか…。
 
「ボク達は主さんの元には帰らない、ってボクは思ってるけど」
 
純然たる刀だった頃なら、欲しい物の為の対価として扱われても何ら問題も無く、むしろ当然のことだっただろう。
後付けで作られた体に宿った心のせいだろうか。乱は自分の意思で友を探してここにやって来たが、元の通りに『主』と呼べる気がしなかった。
 
「…乱。お前のところの本丸の審神者だが、ほとけかずらの苗床の不法売買で逮捕されることになるだろう。どっちにしても長谷部にとっちゃあ酷だろうが、俺んところの大将に相談すれば、今後の助けくらいにはなれると思う。どうする?」
 
少し言い辛そうにしつつも薬研ははっきりと告げる。
 
「…そう。その場合、本丸の刀たちの行く末は薬研の主さんに助けてもらえるようおねがいできる?」
 
しかし乱はそれほどとりみだすことはない。むしろ今剣の方が、薬研の言葉に顔を強張らせる。
 
「不法売買なぁ…俺たちの主は幼いから大丈夫か」
 
「……あるじさまはわるくないんです」
 
心配そうに顔を歪めたまま、今剣は呟く。
小さな主は悪くない、唆したのは自分なのだと。自分の子供のような独占欲で、こんなことになったのだと。罪が有るのは主ではなく自分なのだ、と。
 
「ん?そうだな、主は悪くない!母を想うのは幼子なら当然だからな!」
 
「ああ。そっちも任せてもらっていいぜ。事情聴取を受けてもらうことにはなると思うけどな」
 
「……そのときは、ぼくもいっしょにじじょうをはなします。せつめいするべきなのは、ぼくのほうですから」
 
「そうか。そのときは俺も力になろうぞ!」
 
「……ありがとう、岩融」
 
やはり、怒りも見放しもしないでくれた岩融に心の底から礼を告げた。
 
「ごめんね、お願い。長谷部さんのことは…ちょっとだけ、待って」
 
ちょいちょい、と乱が岩融を手招くようにする。
 
「ん?長谷部か?」
 
意図に気づき、担いでいた長谷部をそっと下す。
壁にもたれるようにする長谷部の横に乱は膝をつき、とんとんと肩を叩いて名前を呼ぶ。
 
「長谷部さん、長谷部さん」
 
「ん………乱、か……どうか…したのか…?」
 
呼びかけに応え、薄く目を開く。
とても眠たげなぼんやりとした声で、乱へ問いかけた。
 
「おはよう。ねえ、ちょっとだけボクとお話ししようよ」
 
「……何の話、を…?」
 
やんわりと緩く首を傾げ、続きを待つ。
 
「ボクの我儘の話。聞いてくれる?」
 
「……どん、な?」
 
「ねえ、あなたはへし切長谷部だから、やっぱり主が必要?」
 
「…………いや。こんな身では…役に、立てないだろう……かえって、苦しい……」
 
自分が必要とするかではなく、必要とされる刀であるかに比重が向いてしまう。
 
「…うん、じゃあ。じゃあね、長谷部さん、ボクと一緒にいてくれる? ボクは刀だから、あなたの主にはなれないけど、一緒にいたいって我儘、叶えてくれる?」
 
「…お前には…迷惑を、かけた……からな……。それが、お前の…望みなら」
 
じっと藤色の瞳が乱を見つめ、細められ少しだけ微笑む。
 
「えへへ、ありがとう長谷部さん。ボクは、あなたと一緒にいたいんだよ」
 
「…そう、か…。ありが、とう…乱…」
 
ようやく笑ってくれた友へ、それ以上の笑顔を向ける。
 
「話、聞いてくれてありがとう。おやすみなさい」
 
眠たげにしながらも言葉を繋げていた長谷部はその言葉を聞いて、そっと目を閉じ再び眠りに落ちた。
 
「はっはっは、やっと笑ったか!!お前のおかげだな、乱!」
 
二振りの様子によかったよかった、というように岩融が笑う。
 
「みんなありがとう。みんなが助けてくれたから、長谷部さんに笑ってもらえたよ」
 
皆の方を見て、もう一度乱は笑顔で礼を言う。
 
「乱藤四郎。なによりも、それはあなたのおかげですよ」
 
「うむ!今剣の言うとおりだ!よかったな!」
 
控え目に微笑む今剣と、からりと快活に笑う岩融にもう一度ありがとう、と告げ薬研へ向き直る。
 
「ってことで薬研、ボクらは長谷部さんが眠りにつくまでどこの本丸にも属さないつもりなんだけど…できそうかな」
 
「そうだな……確実な返答はできねぇが、その希望が通るよう最大限の努力をすると約束するぜ。俺っちと大将が」
 
流石に警察官としての主の権限までは把握出来ておらず、すこし考えるようにするが彼らの為に努力を怠ることはないと断言できる。
 
「その現実的な返事!信頼してるよ」
 
「おうよ!大船に乗ったつもりでいてくれや」
 
互いに明るく笑い合う二振りを見つめ、今剣は隣にいてくれる岩融へぽつりと小さく尋ねる。
 
「……岩融。あるじさまのおかあさまは、げんきになられたのでしょうか」
 
「どうだろうなぁ…元気になっていればいいが…もう金は手に入っているだろうから、あとは…主の母上次第だ
 
「……そうですね」
 
少し考えてから、岩融の顔を見上げ真面目その物の声で言う。
 
「……岩融。いまのあるじさまには、あなたがひつようです。おかあさまがげんきになるまで、まだまだこころぼそいでしょうから」
 
もう、取られてしまう等とは思わない。
幼い主には常に傍に控えていた近侍が必要なのだ。
 
「…ああ!!そうだな!!」
 
随分と低い位置から真摯に見上げる今剣へ岩融は笑いかけ、その小さな短刀を軽々と持ち上げ視線を合わせる。
 
「今剣、ともに帰るとしようぞ!!俺にはお前が必要だからな!」
 
「!! ……はい、これからもいっしょに、あるじさまにおつかえしましょう!」
 
ずっと胸の内に蟠っていた物が解けたようで、ようやく今剣も心の底から笑い、大きく頷いた。
 
 
 
 
 
宿主の愛情を形となすほとけかずら。
満たされた心から咲く花は美しい。
その花を絶望で染め上げるための生贄に選ばれた哀れな刀がいた。
落涙が如き花びらが地に零れ落ちる様の、なんと切ないことか。
貴方達は、黒い花吹雪が舞い散る光景を忘れることはないだろう。

おくづけ

原案 「刀剣乱舞 -ONLINE-」より
(DMM GAMES/Nitroplus)

シナリオ制作     シャルレナ

リプレイ小説     くろいぬ
文章校正       雨里

乱藤四郎       うさた
岩融         皆上
今剣         らべんだ
薬研藤四郎      ミヤ
ロゴ

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