遠架堂

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写しの主

西暦 2205年、時の政府は過去へ干渉し歴史改変を目論む「歴史修正主義者」に対抗すべく、物に眠る想いや心を目覚めさせ力を引き出す能力を持つ「審神者」と刀剣より生み出された付喪神「刀剣男士」
━ ネクロマンシー技術により生み出された肉に自我を、審神者の霊力で打たれた刀剣に魂を預ける ━
彼らを各時代へと送り込み、戦いを繰り広げている
 
 
 
とある本丸にて、近侍である骨喰藤四郎に呼ばれた四振りはその各々の顔を見合わせ、刃選に訝し気にしながらも骨喰が口を開くのを待つ。
 
「…主が、先輩と連絡が取れないと騒いでいる。だから相手の本丸に直接行って、様子を見てきて欲しい」
 
「なんでも一ヵ月前に連絡した時、相手が応答しなかったそうだ」
 
つまり、偶然その審神者が席を外していて応答しなかった、という事でなければ一ヵ月も安否が確認できていないことになる。
 
「その時は気にしなかったものの…昨日に連絡した時も応答が無く、心配になったそうだ」
 
これは戦だ。なにか不測の事態が起こった可能性もある。
彼らの主人が不安になるのも仕方ない。
仕方ないのだが…。
 
「それは別にいいけど、なんでこの面子?」
 
集められた当初から気になっていたことを、加州清光はとうとう言葉にして聞いてみた。
骨喰は僅かに目を細め…所謂「ジト目」という表情を作って言う。
 
「…お前たち、誰か一人に任せたら『何故、あいつが』と主に聞きにいくだろう?」
 
集められた四振り。加州清光、亀甲貞宗、へし切長谷部、巴形薙刀。
皆主への忠誠心…と執着が強く、お互いを牽制しつつ、できる限り主の傍で役に立ちたいと願っている刀剣だ。
…巷の審神者たちの言によれば、「主ガチ勢」。
 
「まあ、そうかもなぁ。了解」
 
その答えに、問いを掛けた加州自身あっさり肯定しその役目にも異議がないことを伝える。
 
「否定は出来ないなぁ」
 
亀甲は穏やかな顔立ちに苦笑を浮かべる。
その顔を横目に見やり、長谷部は一つ咳ばらいをする。しかし否定はしない。
 
「まあ、主がお困りなのであれば仰せのままに」
 
「ふむ…主の心労は、この俺が取り除いてみせよう」
 
以前どうどうと主の取り合いを繰り広げていた巴形が長谷部に張り合うように頷いてみせる。
 
「その先輩の審神者さんは、どういった方なのかな?」
 
不穏な気配を察知した亀甲が、すかさず任務に臨むにあたっての情報を尋ねた。こくり、と骨喰は何やら張り合いを始めそうな二振りを放置し亀甲へ向き直る。
 
「名前は『結城』というそうで、主よりもかなり先輩で、熟練した審神者らしい」
 
「ふーん、それで普通に行き来はできそうなの?」
 
加州は「つまり人となりの情報は今一分からないのか…」と思い、その点を心に留める。
 
「ぼくらは一先ずの様子見ってところみたいだね。それじゃあ、準備が出来次第向かおうか」
 
むぬぬ…! と対抗心を覗かせあう巴形と長谷部をつつく。
 
「ふむ…主が困っているのであれば、急ごう」
 
どこかしら大きな雛のような印象を与える巴形薙刀がこくりと頷き、出立の準備を整えようと立ち上がる。
 
「あ、一応投石兵装備してくね」
 
「…そうだな、向こうで何があったのか分からない。気を付けてくれ」
 
一見すれば己の主の先輩に当たる審神者の本丸を訪ねるのに、わりと本気目の武装を整えて向かおうというのは失礼なような気もするが、連絡が取れず安否不明となっている本丸を訪れるのだ。
用心するにこしたことはない。
そういった現実に、近侍の骨喰も頷き肯定した。
 
「了解した。すぐ支度を整えて戻る」
 
それを全て飲み込んで、最後にへし切長谷部も準備に向かった。
 
◇◆◇
 
四振りがすっかり身支度を整え、さあ向かおうとしていると声が掛けられた。
振り向くと、堀川国広が大き目の包みを抱えてやってくるところだった。
 
「皆さん、他所の審神者のところへ行くんですよね? はい、これ手土産です」
 
そういってその包みを差し出す。
 
「ありがとう。助かるよ。これは……?」
 
なるほど、確かに主の先輩に当たる審神者を訪れるというのに、手ぶらというわけにはいくまい。そう思い届けてくれた堀川に礼を言い、中々に大きな包みの中身は何かと問う。
 
「大福ですよ。結構、沢山入っていますね」
 
その持ち上げた感覚からそう言い、堀川は加州に手土産の包みを手渡した。
 
「ありがと。先輩だったら刀もたくさんいるだろうしね」
 
少しずっしりとした重さを確認しながら加州は礼を言って受け取る。
 
「確かに手土産のひとつもなく、というのは失礼かもしれないな」
 
うんうん、と頷く巴形の顔をちらりと見上げて自分もそう思ったのに…と亀甲が少しむっとする。その小さな表情の変化に気づいたのか、巴形は小首を傾げて見返した。
 
「…ん、どうかしたのか亀甲?」
 
「いや、何でもないよ。巴形くんの言う通りだ」
 
言う通りと言いながらも、どこか不機嫌そうな亀甲に「そうか…」と巴形が寂し気に目を伏せた。
 
「じゃあ重そうだし、巴形に任せよっかな。持ってくれる?」
 
どことなくしょんぼりした様子の巴形を元気づけるように、巴形にしかお願いできないこと、と言って包みを渡す。気を取り直したように「承知した」と大事な手土産を受け取った。
そんな各々のやり取りを見ていた長谷部は、堀川へ確かに承った、と意思を伝える。
 
「主の代理として、確かに手渡しておこう」
 
それに頷き返し、「気を付けてくださいね」と堀川に送り出された。
 
◇◆◇
 
件の審神者の本丸には、問題なく辿り着いた。
四振りが門をくぐり、見渡した空間は本丸の常の通りに広い庭が広がっている。左手には鍛刀小屋があり正面には立派な玄関がある。
 
そうまさに、常の通りの本丸。
ただ空気に色がなさ過ぎるのだ。
 
「なんか、気配あんまりないね…」
 
加州の言うとおり、気配がない。空気も流れずに停止しているようなそんな静かな空間が広がっている。そのあまりの静けさに長谷部も眉間に皺を寄せ、周囲を見渡す。
 
「さて、無事に到着したわけだが…そうだな、たしかに人の気配がまるで無い」
 
「おかしいね。これだけ大きな本丸なら多少なりとも声が聞こえてきそうなものだけれど」
 
先の二振りの言葉に、亀甲も同調する。
彼らの主よりも随分経験の深い審神者だという。それならば、本丸に存在する刀剣男士も相当な数いるはずだろう。どんなに遠征や出陣が重なろうが、本丸を空にするようなことはないだろう。
そしてどんなに本丸に残った刀剣男士が少なかろうが、こんなに何の声も活動音も感じ取れないというのは明らかにおかしい。
余りの異様な静けさに再確認するように巴形もつぶやく。
 
「…これは、気を引き締めてかからなければならないようだな」
 
「そうだね……ご主人様が心配するのも頷けるな。何かあったのかもしれない」
 
しれない、ではなく確実に「何か」はあったのだろう。
 
「すみませーん、誰かいますかー!」
 
あまりの無音、静けさに戸惑う面々から加州が一歩踏み出し、大きな声で呼びかける。数拍、返答はないかと皆耳を澄ます。
 
「ふむ…やはり無人のようだな」
 
巴形が冷静に、結論を出す。
 
「必ず近侍が一振はいるはずなのだけど……」
 
その結論が生んだ矛盾に亀甲は首を捻り、嫌な推測をしてしまい、各々の顔を確認するように見渡しながら深刻そうに告げる。
 
「敵の襲撃に遭った、とかかな?」
 
「かもしれない。警戒するにこしたことないね」
 
念のためにと備えてきた装備や、腰から生える羽毛を持たない羽を緩く動かし確認をしながら、加州は皆に警戒を促す。
 
「なにやら不穏な気配すら感じるな…だが、返答が無いのであれば中に入ってみるより他ないか…?」
 
「確かに。でも何が待ち受けているか分からないからね。気を引き締めていこう」
 
皆が皆、認識を共有し目的と方針を定めたことにより、伽藍洞のように虚ろに空いた本丸へのうすら寒さが僅かに癒え、改めて気をしゃんと張りこの本丸の現状を見極めようと動き出した。
 
皆はそう判断を付け、直ぐ左手側にある鍛刀小屋へと足を向けた。
特に変わった様子はなく、当たり前に自分たちの本丸にもあるような鍛刀小屋がある。ここも人の気配はしない。
注意を向けつつ中に入るが、何の気配もないばかりか炉の火も落ち、しん…としていた。
脇に設えられた資材の棚もほぼ空、と言って良いほどでその有様は四振りに思い起こさせるものがある。
 
その感覚は唐突に、確かに起こった出来事であり確かなキオク、【遠征】に関する思い出。
 
何度も何度も、繰り返し繰り返し。
資材を集めるべく遠征を繰り返した。
しかし、帰ってくるとまた資材が減っている…。
終わらない任務…あぁ、辛い日々だった…。
 
「資材0…、うっ、頭が…!」
 
集めても集めても、じりじり減っていく資材の悪夢に加州が青い顔をした。こんなふうにほぼ空になってしまっているなら、今すぐにでも遠征に行かなくては…。
 
「しっかりしろ加州、ここは俺達の本丸ではないぞ」
 
「そ、そうだね。ありがとう巴形…」
 
うっかり遠征へと飛び出していきそう絶望感を覚えていた加州は、巴形の声になんとか気を取り直す。
 
「この本丸の審神者さんも、鍛刀キャンペーンで使い果たしてしまったのかな……」
 
ははは、どことなく乾いた声の亀甲は完全に遠い目をしてしまっている。
 
「手入れにも資材は必要だろうにな」
 
資材は鍛刀だけでなく、手入れにも必要だ。日課の任務をこなすには出陣は避けられない。そうなれば手入れの必要も出てくるだろうに…。
そう、他所の本丸ながら心配になる長谷部に、どこか遠くを眺めていた亀甲も頷く。
 
「これだけ少ないのは珍しいね」
 
いくら鍛刀に熱中しようがここまで見事に使い切ってしまうものだろうか…。
 
「なんにもないっていうのも妙だしね」
 
加州はそう言い、周囲を探るように見回す。他の三振りもそれに倣うように何かないだろうかと見渡す。その中で「あっ」と亀甲が声を上げた。
 
「待って、ここに何か…」
 
その気づいた何かの方に向かいながら、それを拾い上げる。
 
「…これは…」
 
一体何を見つけたのかと亀甲の手元を覗き込んだ長谷部が小さく驚いた声を上げる。
それは鍛刀に必要な依頼札だった。皆にもしっかり確認できるように亀甲は示して見せる。
 
「少し汚れたはいるけど、霊力も感じるし、使えるんじゃないかな。でも資材が殆ど無いからね…どうしようか?」
 
どうしようか、とはつまり、鍛刀をしてみようか? という事だ。
 
「試してみる?資材ないけど…」
 
そう、ほぼ空なのだ。
 
「待て待て。道理としてはここの主に許可を得てから…いや、しかしな」
 
「…他所の審神者の本丸で、勝手に使ってはまずいのではないか?」
 
何だか危うい流れに長谷部が慌てて止めに入り、巴形も咄嗟に止めに入る。
 
「それなー。しかも新しく出てきたやつに事情聞くわけにもいかないし」
 
確かにそうだ。今、この場で新たな刀剣男士を呼び出したとして、事情の分からないものが増えてしまうだけだ。畳みかけるようにダメ出しをされてしまい、亀甲はすこししゅん、と悲しそうにする。
 
「もし顕現出来たら、この本丸に審神者がいる、という証明にもなるかと思ったんだけど、流石に失礼だったかな」
 
しゅんと項垂れる亀甲を加州はよーしよし、と子犬を慰めるように励ます。
 
「いや、発想としてはありでしょ。うーん、もうちょっと様子見てから決める?」
 
「あ、ありがとう…」
 
加州に慰められ、しょんぼりとしていた瞳が嬉しそうに輝いた。
巴形もそれに倣い、案自体は悪くなかったと告げる。が、
 
「短刀を呼ぶ資材もなさそうだ」
 
鍛刀を行う最低値の資材さえもない状況なのだ。万が一この本丸の者に会う事ができ、更に鍛刀する許可を得たとしても肝心の資材がないのだ。実行に移すことはできないだろう。
 
「あ、そっか。ほんとに全然ないもんね」
 
「一先ず持っていこう。ここの主に許可を得てからまた考えるのでも構わないだろう」
 
そんな実行不可能な線が濃厚な鍛刀だが、札をじっと見ながら長谷部はそう提案した。
 
「ここで見つかるのはこれくらいかな?」
 
本当に、何もかもなくなっているようだ。
何一つ有益な物がない空間で、巴形ふと、気づいたように呟く。
 
「…少し、埃っぽいな。しばらく誰も中に入ったことがなかったのではないか?」
 
「あれ、ほんとだ。日課の鍛刀してなかったのかな」
 
四振りが入り、周囲を探した時の足跡が残っており、それ以外はうっすらと白く埃が積っている。その薄い埃を爪先で払い、厚さを調べる様にした加州がここはしばらく足を踏み入れてないのだな、と結論付け、審神者の任務も行われていなかったのだろうか、と疑問を口にする。
 
「いよいよ不穏になってきたな」
 
人の気配が消え静けさに包まれた本丸、審神者による日課が遂行された形跡のない鍛刀小屋。
 
「主が世話になっている先輩なのだろう? 審神者はせめて無事だとよいのだが」
 
連絡が取れない事を心配し自分たちをここへ遣わした主が、もし世話になった先輩に何か有ったと分かったら主がどれだけ悲しむかと、長谷部は気にしているのだ。
 
「本丸の中の様子が気になるな…」
 
「そうだね。そろそろ移動しようか。ふたりもそれでいいかな?」
 
室内からは見えないが、本丸の方を見て巴形が呟き、亀甲も首肯する。そうして残りの二振りを見やり確認を取る。
 
「オッケーだよ」
 
「大丈夫だ」
 
◇◆◇
 
四振りが、一応声を掛けつつも少し遠慮気味に入った玄関には沢山の写真が飾られていた。まるでこの本丸の歴史を示すように写真ごと審神者らしき人物とそのひとを中心にして写る刀剣男士達の写真だ。
 
「めっちゃ写真あるね。あ、これここの審神者かな?」
 
加州はその中央に写る人を見つめる。中性的な面立ちの人物だ。
 
「結城さん、といったっけ」
 
亀甲も加州の声に反応し、主の先輩に当たるその審神者を見つめる。
他に刀剣男士とは違う被写体は見当たらない。
 
「どうやらそうらしい」
 
ふむ、と頷き長谷部もそう結論づけた。
皆、その数多の瞬間を切り取った風景に見入る。どの写真も皆一様に笑みを浮かべ…もちろん生来の性格的にあまり笑うことのない刀剣も、皆不満など何一つなさそうに満たされた雰囲気を醸し出し、一つの世界を紙面に固定している。
 
「どの写真も審神者の隣は山姥切だね。初期刀かな」
 
写真に写る人数も少なく、この本丸の初期に撮られたと思われるものにも山姥切国広はしっかりと審神者の横に写っているので、初期刀だろうと推測したのだ。
その言葉に巴形も頷く。
 
「確かに、どれも右側には山姥切がいるな」
 
え? と亀甲が声をあげ、それぞれの写真を確認する。
 
「あ、あぁ、そうだね。左側には長谷部くんばかりだ」
 
「あ、本当だ」
 
初期刀の存在を見つけた加州も、審神者を挟んで隣に写る長谷部の存在に気づく。
別刃ではあるが、大本は同じである当の長谷部がふむ、とその様子を見つめて頷く。
 
「別の本丸の俺か」
 
「最初期の数枚以外は、長谷部が左側にいるようだな」
 
「初期刀は山姥切くん、近侍は長谷部くんだったのかな」
 
今は人の気配がことごとく消え去ってしまい、形の掴めなくなってしまった本丸のかつての様子を巴形と亀甲が読み取ろうとする。
その考察に、加州はどこかさみし気にする。
 
「かもね。初期刀だからっていつまでも特別扱いはしてもらえないかー…」
 
どこの審神者にとっても、初期刀は初めから共に歩んでくれた者だ。審神者にも、当の刀剣にも特別な思い入れはあるだろうが戦力が増え、環境が変わって行けばそのまま、という訳には行かない。
これは戦なのだから、感情だけでどうにかできるものではない。
分かっているからこそ、少し寂しく思ってしまうのだ。
 
「いやいや、全ての写真において右にいるのは山姥切だぞ? …まぁ、近侍が長谷部固定になっていたかもしれないというのは否定できないが…」
 
ちょいちょい、と落ち込んでしまった加州を励ます様にする。
 
「主のお傍に置いてもらえるのはとても幸せなことだ」
 
長谷部はきっぱりと、言い切る。
 
「どの刀にとっても」
 
そう付け足した言葉に、巴形も亀甲もその通りだと頷くが、僅かに暗くなる。どうしたって主の最初の一振り、というものは覆せず、近侍として傍に控え続けることは皆ができる訳ではない。それでも主の傍に置いてほしい、と皆が願うのだから、その願いからあぶれてしまう者が出るのは仕方のないことなのだ。
何の気配もなくどことなく空気さえ重く沈殿してしまったような雰囲気に拍車がかかる。
 
「あ、あー。そだね。まあ、戦力が増えるのはいいことだよ、うん」
 
最初に、寂し気な表情をしていた加州が何とかこの空気を変えなければと、半分己に言い聞かせるように言う。
 
「とはいえ、皆幸せそうな笑顔をしているな」
 
この切り取られた瞬間の中に写る彼らにも、こんな葛藤があったのかもしれない…そう考えつつもやはり皆が皆幸せそうな満ち足りた表情を浮かべている事実がそこにある。
 
「良い本丸なんだね。でも、こんなにいた刀は今どこにいるんだろう」
 
「幸せそうに過ごしていたようなのに、どうしてこんな静かなんだろう」
 
大きな本丸だと認識したが、こうして視覚的に得た情報でも大勢の刀剣男士が存在していたことが確認出来た。それゆえに今のこの静けさ、空虚な空間にうすら寒さと得体の知れなさが増してゆく。
 
「気がかりだな…」
 
皆の心中を巴形が代弁する。
これ程までに幸せそうな記録を残した本丸に、静寂が鎮座しているというのは、何かが起こった故なのだろう。
 
「調べてみるしかあるまい」
 
その通りだ、と皆が同意をしめす。
 
「…よし、進むぞ」
 
無人のように見えるが、人様の本丸。しかも主の先輩に当たる審神者のものだ。生真面目な長谷部が決心したように宣言するが、なかなか最初の一歩を踏み出さない。
 
「中に入るしかないよね。お邪魔しまーす」
 
それを察した訳では無いだろうが、加州が本丸の奥へと声を掛けさくさくと上がり込む。それに倣って、皆一応声を掛けながら上がることができた。
玄関を後にするさい、亀甲が何かに思い至ったかのように屈み込む。
鍛刀小屋には埃が積り人が出入りした形跡はなかったが、果たしてここは。床にはそれ程埃が積っているようには見受けられなかった。
それは、つまり、少なくともここを通る誰かはいる、ということだろうか…。
 
◇◆◇
 
四振りは玄関から進み、直ぐ左手側にある部屋を覗き込む。そこは食堂の様だった。
中に入り、ざっと見まわしてみても何の変哲もなく彼らが普段使用しているものと大した差異は見受けられない。それでも何か異変の断片はないかと、注意深く見ていく。
 
「何も見つからん」
 
ざっと周囲を見回した長谷部には、普通の食堂以外のものには見えずいささか不機嫌そうに呟く。その言葉は取り合えず横に置いておき、じっと周囲を注意深く見つめていた巴形が何かに気づいたような顔をする。
 
「あれ、ここ埃っぽくない?」
 
巴形が何かを言う前に、加州が思ったことを口にし、巴形は我が意を得たり、とばかりにこっくり深く頷いた。
 
「あぁ、ここも少し埃っぽいな」
 
鍛刀小屋のように何日も誰も使用していないように、床をうっすらと埃が覆っている。
 
「玄関には無かったのにね」
 
「加州くんも気づいた?」
 
「うん」
 
玄関は使われてるんだなーって、と加州と亀甲が話すのを聞き、長谷部もようやく床の埃に気付く。
 
「…この部屋もなのか」
 
「数日程度、使われていないのかもしれないね」
 
「ねー」
 
ようやく気付いた長谷部に少し得意げに説明する亀甲に便乗し、更に得意げに同意する加州。心なしか腰の羽まで誇らしげにしているような気がする。
 
「厨房の方も見にいってみよう。そこなら何か見つかるんじゃないかな」
 
ぐぬぬ…と悔しそうにする長谷部の方を見ながら、宥める様にぽんぽんと肩を叩き隣接した厨の方を示す。
 
「だね、次は長谷部も見つけてよ?」
 
貶める意図のない、嫌味のないカラっとした加州の言葉に長谷部はふんす、とやる気を出す。
 
「…次こそ挽回してみせよう。主の名に懸けて!」
 
少々過剰なような気もするが、上手い具合に気合が入ったようだ。
 
◇◆◇
 

隣り合っており、直接食堂から移動できる場所にある厨へ向かう。
向かってはみたのだが…。
 
「うーん、こっちはなにもないっぽい?」
 
「何も見つからないなぁ」
 
先程、得意げにしていた二振りが、何も見つけられずにがっかりとするなか、ぱりっ…と密閉空間を引きはがすような音に驚いてそちらを見ると、巴形が自身の背丈と同じくらいの高さのある大型冷蔵庫の扉を開き中身を覗き込んでいた。
 
「…殆ど空のようだな」
 
「ちゃんと電気は通ってるんだよなぁ」
 
巴形の横からひょっこりと覗き込んだ加州は、冷蔵庫から流れ出る冷気と、何も収納されていないにも拘わらず、照明に明るく照らされた何も無い空間を眺めながら言う。
閉めるぞ、と覗き込む加州に注意を促し、ぱたりと冷蔵庫の扉を閉める。
 
「そっか、生鮮食品の類いはないんだね」
 
今のこの時代、食品は様々な保存方法がある。生ものが一切なくてもそれなりに食事を用意することはできるが、電気が通りいつでも使用可能な状態の冷蔵庫が空のまま放置されているということをなんだか妙に奇妙に感じた。
 
「…ほほう?」
 
長谷部は先程の宣言通りに、何かに気づいたらしい。
食べ物は無いらしい、と判断した三振りが声を発した長谷部の方を注視する。
 
よほど先程の加州と亀甲の成果に対抗心を刺激されたらしく、本来、人間には存在しない余分な目も開け違和感を探していたようだ。
三振りの視線が集まったのを確認し、先程の加州と亀甲のように得意げな顔をして話す。
 
「床下に収納があるようだ。残りの量にも余裕がある」
 
足元に四角く切り取られたような、床下の収納口を開けて見せる。
 
「…保存食があるな」
 
先程の加州の様に長谷部の横からその床下に仕舞い込まれた物を覗き込む。
 
「一ヵ月程度、といったところか? その程度なら暮らしていけそうな量が残されているが」
 
「人の子一人であれば、一ヵ月程は生きていられる…か」
 
たった一人が一月だけ。
 
「地下収納のあたりは埃が少ないように感じる。誰か行き来していたのかもしれん」
 
収納周辺を観察し、長谷部はそう付け足す。
 
「大勢の刀剣男士が生活する本丸とは思えないな。…生活感がないのが不気味だね…」
 
写真に写された大勢の刀剣男士たち。皆、幸せそうな顔をしていたのに、あれだけ暖かな温度を持った風景が切り取られていたのに、今のこの本丸はあまりに静かすぎる。
誰の温もりも感じられない。それが薄ら寒く何とも言いようのない不安を煽る。
 
その感覚的なうすら寒さを実際に感じたのか、亀甲は己の肩を抱き寒さに耐える様にさする。
 
「大丈夫か?」
 
「だ、大丈夫だよ。ありがとう」
 
自身でも気づかずにそんな仕草をしていたのか、唐突にかけられた声に僅かに身構えるようにしながらも配慮を見せた巴形に礼を述べる。僅かに首を傾げながら、なら良いが…と気づかわしそうにする巴形へ、もう一度ありがとう、大丈夫と伝える。
長谷部はそんな二人のやり取りをどこかつまらなそうに眺める。
 
「うーん、何が起こったのかも分からないし、不気味なのは同感」
 
「どうしようか、どこから回る? 奥に審神者の部屋があるようだから、まずはそこへ行きたいかなと思うんだけれど」
 
「異様な雰囲気に呑まれていたが、それもそうだな。主命が第一優先だ」
 
人の気配が一切ない、生活感もなく、審神者が日課の任務を行った形跡もない不気味な本丸の状態に戸惑っていたが、元々の役目は主の先輩審神者の安否確認をしに来たのだ。
勿論、一ヵ月間も連絡が取れないということで何かあったのかも知れないという危惧もあったが…。
まさかここまで異様な事態だとは思っていなかった。
 
「それが先決かな」
 
主の命は、先輩の安否確認だ。
それを果たすべきだろう、満場一致で審神者の部屋を訪れることにした。
 
堀川国広に渡された手土産も、未だに渡せてはいないのだから。
 
◇◆◇
 
そろりそろりと、他人様の本丸を進み奥にある審神者部屋の前に辿り着く。
辿り着いたのだが、扉には鍵が掛かっている。
亀甲が控え目に「失礼します」と声を掛ける。
 
「■■本丸から参りました。亀甲貞宗と申します」
 
名乗りを上げ、来訪を告げるがなんの反応も返ってこない。
 
「…壊すわけにもいかんしな」
 
じぃ…っと、鍵を見つめた長谷部が脆い肉ではなく金属でできた腕を鍵に伸ばすが、流石にそのまま壊すことはしなかった。
 
「それはそうだろう、主の先輩審神者の本丸だぞ? いきなり壊すのはよろしくないだろう」
 
ひどく真剣な真顔で巴形が言う。
 
「返事もないみたいだね。鍵探すしかないか」
 
もしこれが本丸ではなく現世ならば、室内で倒れているのを懸念されドアをぶち破られることがあるが…。ここは本丸だ。そんな簡単な問題ではないだろう。
 
しかし地道にとは言ったものの、どこから探すべきかと考え込んでしまう。
 
「目の前の粟田口の部屋から見てみようか」
 
直ぐ近くの大きな部屋を亀甲が指さす。他所の本丸だから、本当に粟田口が使っているのか、この静まり返った状況では判断できないのだが…。
 
「さすがに、あの大きさで粟田口部屋ではありませんでした、ということはなかろう」
 
「近いしね。広いところまず潰そうか」
 
あちこちを歩き回って探すよりも近場からという加州の案に、その暫定粟田口部屋へと向かうことになった。
 
◇◆◇
 
覗き込んだ大部屋は閑散とし、この部屋を使っていたのが誰なのかさえ見て取れない程に何も見当たらない。恐る恐ると言った体で部屋の中を見回すが、まるで生活感が感じられず私物のような物もない。
 
押し入れにも何もないのかと、加州は襖を開ける。
思った通りに、押し入れの中には荷物が詰まっていた。どうやらここは推測通り粟田口の部屋だったようで短刀達の持ち物が仕舞われていた。
 
全ての荷物が。
 
今の季節には必要ないから片付けた、という物ばかりではない。
普段使う物や日用品なども仕舞い込まれてしまっている。こんなに仕舞われてしまっていては、不便だろうに。長い間使う予定がないかのように。
 
「な、なにも見つからない…」
 
「まぁ、気を落とすな亀甲。そちらはどうだ?」
 
何も見つけることができず巴形に励まされている亀甲に、ちょいちょいと押し入れを開いてその様子を示した。
 
「なんか全部仕舞われてるんだけど…季節ものも日常品も全部! 短刀の荷物っぽいから粟田口部屋で間違いないんだろうけど…」
 
「お引っ越しでもするのかな?」
 
亀甲の言う通り、まさにそのような有様だ。ここを離れるための準備のような。
 
「そういう感じだよね…。でも荷物はあるのに、本人たちはいないって」
 
「長谷部くんは、どうしたんだい?」
 
粟田口部屋に入ってから、まったく声を発しない長谷部はどうしたのかと見回すと、部屋の隅に置かれた机の前で何かを真剣な面持ちで検分していた。
 
「こちらには薬品の瓶が転がっているな」
 
皆の視線に気づいたのか、長谷部は顔を上げ、難しい顔で腕を組み先程まで見ていた物を示す。そこには確かに数本の薬瓶が並び、いくつかの資料が散乱している。
その内のいくつかには手書きで書き込まれた部分がある。
 
「効果あり、量を増やす…? なんのことだ?」
 
その書き込みを指でなぞり読み上げる。
何のことだかは、誰にも分からない。
 
「これは…」
 
長谷部の目の前に並んだ薬瓶を一つ取り上げ、巴形は眉をひそめる。
 
「なんかの薬を使ってたってこと?」
 
加州は背伸びをして巴形の手元を覗き込もうとする。
 
「あぁ、これだ」
 
横で背伸びをする加州の目線に合わせて腕を下げる。
 
「ありがと。…なんだこれ」
 
ラベルは貼られているが、それが何なのかはさっぱり分からない。
 
「誰か、これが何か分かるか?」
 
加州が薬瓶を確認できたのをみてから、巴形は再び腕を上げ二振りにもラベルの面を示して見せる。
 
「いや? さっぱり分からんな」
 
薬瓶と共に机上に散乱した書類に目を通していた長谷部も首を傾げる。
 
「一体何に使っていたんだろう。用途が気になるね…」
 
ともに添えられた資料に目を通していた長谷部が、読み上げた「効果あり」という言葉を拾っていた亀甲は険しい顔をする。
共にあったということは、その資料はこの薬瓶の中身についてのものだろう。
 
効果あり、ということは使用していたのだろう。
 
「あぁ、誰が何の目的でこんなものを使っていたのか…」
 
「薬研…でもないだろうしな。少なくとも俺達の本丸では、あいつはそんなもの持っていなかった筈だ」
 
ここが粟田口部屋だということと、薬品の取り扱いや野戦医療とはいえ、本丸で治療行為を行う薬研を思い浮かべたのだが、彼がこういった怪しげな物を持っているとも考え難い。
 
「ひとまず、ほかの部屋も探してみるべきではないか?」
 
初めに探ってみた部屋で、更に状況の不気味さと理解の及ばなさが増しただけであった。
 
「そうだね。審神者の部屋に近いところからだから…」
 
「ならこの部屋かな」
 
加州が廊下へ顔をだし、亀甲がそれを引き継いで指をさす。
 
◇◆◇
 
次に向かった部屋は、粟田口部屋の様に異様に片づけられたという印象は受けなかったが、既視感を覚える者がいた。
 
「……わぁ」
 
入室した瞬間に亀甲は気づく。
 
「ふふ、本丸が違っても刀派の雰囲気は似たり寄ったりなんだね」
 
そしてどこか安堵したように笑い、部屋のなかを見渡す。揃えられた調度品や、置かれた私物が自身たちの部屋に良く似た雰囲気を持っており、帰城した時の様な安心感を覚えたのだ。
やはり、大本の魂が同じなのだろうと実感する。
 
「貞宗派の部屋かあ」
 
亀甲のその落ち着いた様子に加州も察する。
 
「多分ね」
 
そう言いながら部屋を見回すが、亀甲自身はほぼ確信していた。
 
「長谷部でも山姥切でもないのか…」
 
玄関に飾られていた写真から、審神者の部屋に近いこの部屋は、近侍の長谷部か初期刀の山姥切の部屋かと考えたのだが、どうやら違ったらしい。
 
長谷部は部屋まで踏み込まず、腕を組み三振りの動きを見守っている。
 
亀甲は、ここが正確には違うが根本を同じくする者の部屋だと思うと何となく先程のように、緊急事態とはいえ「家探しをしている」という微かな罪悪感が拭われ、直感が良く働くような気がしてきた。
自分だったら、どこに何を仕舞うかと脳の中で普段の行動を反芻する。
 
そして決定的な物を見つける。
 
ここでは…!? と思った場所を探ると大正解である。それはどうやらこの本丸の亀甲貞宗がしたためた記録のようで、その内容は「様々な縛り方」についてまとめたものである。
常日頃、美しい縛り方を極めたいと思っていたのだが人の身を得てからの経験値は浅く、一人ではその探求の進捗は芳しくなかった。もしも、この任務で訪れた本丸にも亀甲貞宗がいたならぜひにアドバイスをもらいたいと思っていただが…まさに別の自分の集大成と言っても過言ではないものが目の前にあるのだ。
大成功と言わずしてなんと言うのか。
 
思わぬ行幸に目を輝かせ、少し先達の成果を拝見させて頂こうとしたところで、加州の声が響いた。
 
「ちょっと、亀甲! これ誰の趣味?」
 
「加州? どうかしたか?」
 
突然の大きな声に、外からそっと様子を窺っていた長谷部が近づく。
長谷部よりも加州の近くにいた亀甲は、より早くその掲げられた冊子の表紙を目にする。
 
「わ、わ、わーー加州くん隠して!」
 
「机の引き出しからこれ見つけた」
 
人様のご趣味を更に広めようと加州は躊躇なく長谷部へ差し出す。内容までは窺い知れないが、部屋の様子を見るに嗜好はほぼ同じ。自身の趣味が暴露されそそうな危機を前に抵抗するも、あっさりその禁断の冊子は新たな者の手に渡ってしまった。
 
「なんだこれは?」
 
「そ、そういう類いのものは人目に晒してはいけないと思うな!?」
 
渡された物を確認しようと視線を落とす長谷部から、顔を逸らしながらもせっかく見つけた別の自分の集大成はそっと懐に仕舞い込む。
そして渡された物を認識した長谷部は一瞬凍り付き、その後に目を見開き、赤面し言葉に詰まる。
 
こういった物はいつの時代だってあった。
いつの時代だって、男は少なからずすけべだった。ただこの時代においては、写真というものが普及し過去のそれとは比べものにならないほど、写実的なご本と化したのだ。
 
表紙だけでも際どい角度からの美女が蠱惑的に誘っている。
 
ぷるぷると赤面しながら固まる長谷部や先程から慌てている亀甲を不思議に思ったらしい巴形が、ひよひよと歩み寄ってくる。
 
「ん、どうかしたのか?」
 
亀甲は慌てて近寄ってきた巴形の方向を転換させ、背を押して諸悪の根源たるエロ本から距離を取らせる。
 
「巴形くんは向こうに行ってようか。君にはまだ早い気がするんだ」
 
赤面し、ふるふると怒りに打ち震えながら長谷部は叫ぶ。
 
「ふ、不健全だ! こんなものを、よりにもよって主の部屋の近くで隠し持っているなど…!!」
 
「そんな大声で叫んで、どうかしたのか?」
 
何とか距離を取らせたと思ったが、長谷部の叫びに巴形が方向転換をし、ぴよぴよという効果音が聞こえそうな様子で近寄ってくる。
 
「だ、大丈夫。巴形くん待って、大丈夫、何でもないよ!」
 
何故だか巴形にエロ本を晒されてしまうのは忍びない。なんとも恥ずかしい。亀甲も赤面しつつ悪魔の書の如くエロ本を弾劾する長谷部に近よって行く巴形の腕に縋りつき必死で止める。
殺傷力を上げるたに腕へ絡みついている有刺鉄線を避ける落ち着きが残っていたことを、自分で褒めてやりたくなった。
 
「誰にだって秘密はあるものさ…!」
 
それは稀に戦場で暴かれる時があるが、それは今ではない。
 
「ただではおかんぞ、貴様そこに居直れ!」
 
何なのかと状況が理解できずにいる巴形を押し留めている亀甲へ長谷部のありがたいお説教がはじまる。
ブツを見つけ出し、衆目にさらしてしまった加州は修羅場を迎えている亀甲を眺めつつ、少し申し訳ない気分になった。
 
「長谷部くん違うよ、ぼくじゃないよ! た、確かにこの本丸のぼくが持っていたかも知れないけれど!」
 
そう、この亀甲貞宗の私物ではない。ましてや審神者の部屋に近いこの部屋を使用していたのも彼ではない。そんなことを言われても流石にどうしようもない。
 
「二人共、本当に様子がおかしいぞ?」
 
あまり見ないレベルの白熱っぷりに巴形が不思議そうに首を傾げる。
誤魔化せたかと思った巴形が再び気にかけてしまい、亀甲は見るからに慌てる。確かにそれはよろしくない、と思った長谷部も未だに説教をしながら、例のブツを加州にそっと渡し、元の場所へ戻せと目で訴えかける。
 
「本丸の風紀を乱すものを所持していたのだ、ほかでもない主の近くで!」
 
「風紀…? ひとまず、主の命で調査をしている今回の件とは、直接関係ないのか…?」
 
「いや、まあ、今回のこととはたぶん無関係かな…」
 
たぶん、というか恐らくないだろう。逆に万一あったらそれはそれでどう主に報告するべきか困ってしまう。
しれっと長谷部から受け取った冊子を後ろ手に元の引き出しにしまい直す加州に亀甲も同調する。
 
「そうだね、関係ないよ!」
 
「ふむ、そうか…」
 
なんとも釈然としないながら、関係ないのなら今は良いだろうと、巴形も大人しく引き下がる。
 
「貴様らはほんとうに…ほんとうに…はぁ…」
 
今のやり取りに全力を出し切ったかのように、長谷部が肩を落としため息を吐く。
いつか宗貞の弟たちが、「悪い兄ではないんです。悪い兄では…」とどこかの刀派よろしく訴える日が来るかも知れない。
 
この事態のカギになりそうなことも審神者の部屋の鍵も見つかりはせず、その上疲労の溜まるやり取りを繰り広げるに至ったわけだが、何故か張り詰めていた緊張が少しほぐれたような気がした。
 
◇◆◇
 
初期刀や近侍が審神者の部屋の傍の部屋を使っている訳ではないようだと分かった以上、片っ端から探すしかない。
そうして辿り着いたのは「誠」の旗が掲げられた部屋だった。
 
「新撰組だね」
 
わかりやすいなーと、付け足す。それは自身の部屋もそうなのだが事実なので仕方ない。
 
「まともな部屋で良かった…」
 
入室早々に周囲を見回していた長谷部が、目に見えて胸を撫でおろす。余程先程の騒ぎで疲れ切っているようだった。
沖田くん人形が飾られているのを見つけた巴形が、加州や大和守の部屋だろうかと発言する。
 
先程の件もあるが、誰が審神者部屋の鍵を保管していたか分からいので申し訳ないが探させてもらうことにする。うーん…とどこを探すべきか周囲を見回していた亀甲は無難に、手近な引出しの取っ手を引いてみる。
 
「…そうだね、新撰組に関係のある部屋みたいだ。めぼしい物はなにも無いようだけど…」
 
そっと引出しを戻した。
先程の騒ぎを繰り返す訳には行かない、これは今は関係ないから、己の胸の内に留めておこう、とそっ閉じを結構したのだ。
 
「黒髪ロング…堀川のかな」
 
繰り返すまい、とはしたが加州は見つけ出したものを一度引っ張り出し、その内容を確認してから遠い目をしてしまった。わざわざ一度出す意味はあったのだろうか…というところに長谷部の絶叫が響く。
 
「これは何だ加州!!」
 
相当取り乱している様で、今に握りつぶしかねない程に拳に握りこんでいた冊子をばーんとに突きつける。
そしてその名状しがたき冊子は皆の目前にさらされた。
 
「あ、長谷部凄いの見つけてきたね」
 
部屋の住人と大本を同じとする筈の加州は、その名状しがたき衆道本をあっけらかんと受け入れた。しかもまるで大物でも捕まえて来たのかのように。
 
「……加州か大和守にそんな趣味があったとは…」
 
巴形が何とも言えない声音と横目で加州を見るが、そんな視線も物ともせず、そして間髪入れずに加州はきっぱり言い切る。
 
「いや違うよ、あれ和泉守のだよ」
 
最早推測でもなく、きっぱりと断言した。
 
「まあまあ、誰にだってそういう……ねえ」
 
亀甲までも、動揺なしに目の前の物を見つめて言い切る。彼らが純然たる道具として存在していた時代には衆道文化に理解があったり、男色は嗜みだったり流行だったり、そもそも元の主にそういった逸話があったりするのだが、それとこれとは別である。
 
「そんな…平然と…」
 
明らかに長谷部は消耗している。主に精神的なものだが。
 
「しかし…調度品や部屋の広さから言って、加州と大和守の部屋ではないか…?」
 
じっと、純粋な疑問としてなぜ堀川や和泉守の私物があるのだ? と聞きたそうな瞳で巴形が加州を見つめるが、華麗にその視線を躱す。
 
「…まぁ、今回の調査とは直接関係ないだろう」
 
そういうことにしておき、どことなく顔色が悪くぐったりとしている長谷部に目をやる。どこか覇気がなく、淡々と真顔で呟く。
 
「…忘れることにする。そう努める」
 
「それがいいんじゃないかな」
 
「長谷部は意外と初心なのだな?」
 
「そうだよね。少し意外だったよ」
 
衆道本など、鼻で笑って投げ捨てそうな気さえするのだが。
 
「煩いぞ貴様ら…ここぞとばかりに…!」
 
先程までぐったりと疲労困憊といった顔をしていたにも拘わらず、四方八方から構われあっと言う間に復活をはたしていた。
 
「あ、そうだ、これ見つけたんだ。綺麗じゃない?」
 
長谷部も方向性はともかくとして、元気を取り戻したのを確認してから、加州は小箱を取り出す。その箱そのもののデザインも凝っており非常に美しいものだった。
 
「素敵だね」
 
それを覗き込み、亀甲もその綺麗な細工に頷く。
 
「たぶんここの俺のだと思うんだ。ちょっとだけ見ていってもいい?」
 
この本丸を訪れる前に、もしもこちらにも加州清光がいたのなら、この前演練で見かけた他所の審神者の綺麗に塗られた爪を真似してみたくて、どんな技術がいるのか会えたなら相談してみたかったのだ。
ただ、当人に会うことは出来ずに見つけたのは小箱だけだったのだが…。
 
「まぁ、それくらい良いのではないか?」
 
「ほう? もちろんだ、調べていくといい」
 
巴形も長谷部も、見せてもらえばいいと言い、亀甲もこくりと賛同する様に頷く。
 
「ありがとー」
 
加州が開けた小箱の中には黒地に赤と金で彩られた美しい意匠の付け爪が収められていた。十指分きちんと統一感はあるが、それぞデザインが異なり一つ一つが凝った文様を描いている。
 
「凄いな……どこの加州くんも器用だね」
 
「これは自分で塗っているのか? 綺麗だな」
 
揃って箱の中を覗き込んでいた亀甲や長谷部も感嘆の声を上げる。
ほぅ…とその出来に加州はため息を吐きながら言う。
 
「なるほど、加州ならば似合うのではないか?」
 
「この本丸の加州くんも愛されてたんだね」
 
「俺は今のお前の爪の色も好きだ。目の醒めるような深紅。綺麗だと思う」
 
「え、やだみんなして、なに、照れる…!」
 
どことなく、冗談めかして台詞めいた言いようをするが、その顔は嬉しそうで加州が本気で照れているのが窺えた。
その様子を可愛らしく思い、亀甲は自然と笑みがこぼれた。
 
「ふっ、呆けた顔をいつまでもしているんじゃない。思った事を述べたまでだ」
 
おどけたような態度を取ったものの、その実本当に照れくさく、くすぐったい気分になってしまう。
そのため加州は俯いて綺麗な着け爪をじっと眺めていたのだが、ふわりと優しく触れられたことに驚き小さく飛びあがる。
 
「って、うわ、なに」
 
顔を上げると何時になく穏やかな表情をした長谷部が、加州の黒い艶のある髪を撫でていた。
 
「たまには、な。主の配下として、共に主命を果たそうではないか」
 
常に、四振りとも「主! 主!」とその隣にいようと競うようにしているが、それに険悪なモノは含まれない。もちろん稀に行き過ぎ、随分と直球な言い合いに発展することもあるが、それ以前に皆それぞれ主に仕える者同士としての意識と、それぞれが主の為にと動いていることを認め合っている。
それが今こうして目視できる形で現れただけだ。
 
「もうなんだかな…。わかったよ。みんな、時間とってくれてありがと。次行こうか」
 
既に長谷部は撫でるのを止め、次へと進んでいた。
 
「わぁあ……」
 
と亀甲は何故か恥ずかしそうにしながら、長谷部と加州を交互に見やる。
 
「じろじろ見るな」
 
先程の穏やかな顔はどこへやら。むすっとした表情の長谷部に睨まれてしまう。
 
「そ、そうだね!じゃ、じゃあ巴くん、ぼくたちも行こうか!」
 
「あぁ、そうだな。そろそろ行くとしよう」
 
巴形を促し、亀甲も後に続いた。
 
◇◆◇
 
次に訪れた部屋にも「誠」の旗が掲げられている。
じっと部屋を見回した巴形が加州を見る。
 
「ここは…和泉守と堀川の部屋か?」
 
「さっきのが俺たちの部屋だと、こっちは和泉守たちかな」
 
「そのようだな」
 
もう一度、部屋の様子を見回して頷く。
加州や安定の部屋は、可愛いらしいと言ったら語弊があるが、二人の人としての姿形にどことなく似た雰囲気が部屋の調度品からもしていたので、それならば此方の部屋はそうなのだろう、と納得できた。
 
「なるほど? 鍵が一刻も早くみつかると良いのだがな」
 
二連続で大変な目に遭ってしまった長谷部が少し警戒しながらも目的は忘れずに辺りを見回す。
 
見回した視野の端に、加州が何かを見つけた。
それは机の上にあった一枚のメモだった。
 
「『兄弟が心配、兄弟に相談する』 堀川の字かな、これ…」
 
拾い上げ、それをそのまま読み上げる。
この本丸で初めて見つけた、刀剣男士の言葉、あるいは意思の痕跡だった。
 
「心配…何があったんだろう?」
 
亀甲がその単語に眉をひそめ、長谷部は堀川の…と呟く。
 
「…それに、これではどちらがどちらなのやら…」
 
誰かに宛てたものではなくメモは自身へ宛てた呟きだ。
 
「文章はそれだけか?」
 
他に、続きや類似の案件に対してのメモがあれば少しは内容が見えてくるかも知れないと考え、何らかの拍子で軽い紙が飛ばされたのではないかと、机の上や下など部屋の隅々まで見渡すが、新たなメモを発見することはできなかった。
 
「うん、これだけ。…巴形の言う通り、どっちがどっちだか…」
 
山伏、山姥切、堀川の国広兄弟はお互いを「兄弟」と呼びかける。メモの書き手が堀川である以上、その内容は「山伏国広が心配だ、山姥切国広に相談する」という内容か「山姥切国広が心配だ、山伏国広に相談する」というものかのどちらかになる。
 
「そうか…。手掛かりが少なくて何が何やらだ」
 
長谷部の言う通り、これでは当人が何を思って書いたものか判断はできない。
 
「…もう少し詳しい情報がないと、何とも言えないな」
 
「そうだね。…次の部屋にならもう少し情報があるかも」
 
そうして四振りは次の部屋に向かうが、ここで見つけたメモ「心配」という言葉が、重く不気味な雰囲気に拍車をかけ、一層暗くなったような気がした。
 
◇◆◇

壁に埋め込むタイプの棚が壁面を覆い尽くし、それでも足りないとばかりに多くの本棚が並び、机が入ることで更に家具の多い印象を受ける部屋に来た。
ここで物を探すのは大変そうだ、と思いながらも手分けして鍵を探し始める。
 
「物が多くて目が滑る…」
 
様々な物を一度に眺めているせいで、中々めぼしい物を見つけることができず加州はごしごしと手の甲で目を擦る。
 
「何か見つかったー?」
 
すっかりここで何かを発見することを諦め、他の三振りに声を掛ける。
 
「ちょっとこちらに来てくれないか」
 
「なになに?」
 
丁度何かを発見したらしく、返答するタイミングで亀甲が皆に声を掛け、いち早く加州が傍へ寄る。
 
「ふむ、何か見つけたのか?」
 
「どうかしたか、亀甲?」
 
巴形も長谷部も呼ぶ声に応えてそそくさと集まる。
 
「先ほど見つけた神棚なんだけどね、ここ、手前にあの審神者の写真が飾ってあるんだ」
 
亀甲が指さす方には神棚が設えられ、神鏡や瓶子、榊よりも手前に玄関で見たこの本丸の審神者の写真が置かれていた。
指さす方を見て、確かに同じ人物だと巴形は頷く。
 
「そうだな…しかし、それがどうかしたのか?」
 
「違和感を感じないかい?」
 
「…と、言うと?」
 
全ての巴形薙刀の集合体、というしっかりとした確固たる存在が実在しないせいか、時々どこかズレている感のある巴形は首を傾げる。
 
「ここがあの審神者の本丸なら、自分の写真を神棚には飾らないような…」
 
この国は昔から、物を食うだけで自然と手を合わせ拝み、自然全てのものには神が宿ると言葉にせずとも無意識に理解し、北枕を避け、敷居を踏まず、方位を気にして旅に出る。そういう自覚なく信心深いことをやってのける人々の国だ。
神棚には神が宿るので、住むものの頭よりも高い位置に置く。
そういう人間たちであり、ましてや審神者だ。彼らの主の先輩に当たる人間が、己で神と同じ位置にあるなどと驕ることはないだろう。
 
「そう。普通生きている人間を神棚に飾ったりはしないと思うんだ」
 
もし、審神者に体を与えられ、自我を与えられた刀剣男士が絶対の存在と仰ぎ見てそこに飾ったのだとしても、当人が本丸にいるのなら止めさせていただろう。
 
「あぁ、なるほど。確かに言われてみれば…」
 
ようやく納得した巴形は頷き、長谷部もほう、とその神棚を見上げる。
 
「だよね…。審神者が亡くなってる…?」
 
言い淀み、加州が一つの推測を口にする。
 
「可能性としてはあり得るな。この状況からして…」
 
日課が行われた様子のない鍛刀小屋に、鍵の掛かった審神者部屋。
 
「葬儀が行われた痕跡は今のところ無いし……断定は出来ないけれどね」
 
でも、と亀甲は希望はあるのではないか…と発言する。
 
「主にどんな顔をして報告すれば…」
 
しかし長谷部は暗い顔をして、己の主の顔を思い浮かべる。
 
「…ありのままを報告するしかあるまい」
 
嘘をついても仕方がない。巴形の言う通りなのだが…。
 
「…主と親交のあるお方だろう。主の悲しむ顔を見たくはない」
 
連絡がつかないことを心配し、彼らに様子を見てくるよう送り出したのだ。世話になった先輩が知らぬうちに没していたと聞いてどんな思いをするだろう。
そう考えただけで、既に長谷部の顔がいたましそうに歪む。
 
ねぇ、と既に落ち込みつつある三振りの注意を加州が引く。
 
「待って、主がそうだったとしても、じゃあ誰もいないのはなんで?」
 
刀剣男士の肉体は審神者のネクロマンシー技術によって生み出され、魂は霊力の込められた依代の刀剣に宿る。もしも審神者が何らかの理由で急逝してしまうことがあったとしても、こんな風に誰もいなくなり、何もなくなることはない。
それに、粟田口部屋には全ての荷物がまとめられていた。いなくなることを想定し、全ての片づけを済ませたかのように。あれをした誰かや、審神者が亡くなった後に神棚に写真を置いた誰かがいるはずなのだ。
 
それななのに、ここには今誰一人としていない。
 
「問題はそこだね。詳しい事情を聞くにも……長谷部くん? どうかした?」
 
一体どういうことなのかと考えていた亀甲の目に、突然顔を上げじっと何かを見つめる長谷部の姿が映った。
 
「おかしい」
 
そして一言それだけを呟いた。その視線の先は卓上に置かれたカレンダーへ向かっている。
 
「ん、何がおかしいのだ?」
 
視線を辿りカレンダーに行きついた巴形が尋ねる。
 
「このカレンダー、三月の日付で止まっている。連絡がつかなくなったのはひと月前、だとすると…」
 
つまりこのカレンダーは二ヵ月もの間、日付が進んでいないのだ。
 
「それ以前から異変が起こっていた、ということかい?」
 
主が最初に連絡を取ったのが一ヵ月前。今回一ヵ月ぶりに連絡を入れても相手側の応答がない、ということで丸まる一ヵ月間も音信不通と成っていたということだ。
彼らの主が、その最初の一ヵ月前の連絡以前で先輩審神者と連絡が付いたのは一体いつだったのだろう。
 
「そう、考えられないか。空白の一ヵ月に何かが起こったのだろう」
 
「…少なくともこの部屋の住人は、三月以降はいなくなっていたのかもしれないな」
 
時が進むことなく、二ヵ月前で止まってしまったカレンダーを見つめ巴形が言う。
 
「この部屋の状況だけだと、三月にはもう審神者が亡くなっていて、この部屋の持ち主が神棚に写真を飾ったってことかな」
 
再び、加州は神棚の中の審神者の写真を見上げる。
幸福そうな顔をした刀剣たちの主の顔。
 
「核心が掴めないな」
 
「何にせよ情報が少ないね。もう少し調べてみる必要があるようだ」
 
「まぁ、なにはともあれ次の部屋を探してみよう」
 
もう一度、神棚に置かれた審神者の写真を見上げ、その部屋を後にした。
 
◇◆◇
 
次に訪れた部屋には、炬燵が置かれていた。
調度品の全てが三つずつ置かれている。
 
「三人部屋かな」
 
「この部屋も一通り調べてみようか」
 
どこにどんな断片があるのか分からない以上、小さな違和感も取り落としたくはなかった。
 
「棚の上に、左文字兄弟の写真があったぞ」
 
巴形が指さす方には、確かに左文字の三振りが写った写真が飾られている。
 
「へえ、左文字部屋か」
 
「そうか、彼らの部屋だったんだね」
 
彼ら兄弟が炬燵を囲んでいる光景は、想像するだけでもほっこりとするが、今は誰もいないという現実が付いて回る。
 
「こっちには写経をした紙の束がたくさん…左文字兄弟の部屋で間違いないはずだ。江雪左文字のものだろう」
 
長谷部が一枚二枚では済まない、本当に「束」の様になった写経を示す。
 
「はて…彼らはよく写経をしていただろうか?」
 
「沢山……日常的にやっていたのかな?」
 
「まぁ、一日二日の量ではないな」
 
経文の種類にもよるが、般若心経でも約三百文字。ただ文字をコピーするのではなく、祈願成就や親しい者の供養を願い、一字ずつ想いを込めて書いていくのだ。これだけの写経を行うのに数日の訳がなかった。
 
「誰かの供養のため……なんて、考えすぎかな」
 
「審神者が亡くなったあとってことなのかな。出陣はできないだろうし…」
 
審神者がいなくなり、本来の存在理由であった戦うということもなくなり、ただ一心に主への供養のために毎日毎日経を写し続ける江雪左文字の姿を想像し、妙な寒気を覚えると共にとても切ない気分になった。
 
もし、突然自分たちの主が死んでしまった時、あの本丸の仲間たちや、今この場にいる者たちはどうするのだろう…。
 
「審神者が亡くなり、供養のために写経…ふむ…ありえなくはないか」
 
「疑念が確信に変わりつつある。薄気味悪いな」
 
変わりつつある、とは言うが半ば確信してしまっている。ただそうだ、と言い切ってしまうことが恐ろしいのだ。
 
「うん、いよいよ審神者死亡説が濃厚になってきたね」
 
◇◆◇
 
整然と整理され、本棚の中まで効率を考えきっちりと収められた部屋だった。
部屋全体や家具は黒を基調として、落ち着いた印象を受ける。
 
全てが綺麗に片づけられているので、本棚の上へ視線を滑られるだけで何が収納されているか分かるのだが…。
 
「亀甲なにか見つかった?俺 全然」
 
「ぼ、ぼくもまったく……」
 
加州と亀甲はどこか遠い目をしながら、成果がなかったことを報告しあった。
 
「俺、たぶん本棚と相性悪い…。調子よさそうな巴形たちに任せようか…」
 
あはは、と亀甲は肯定も否定もせずその相性の問題について、触れずに曖昧に流しておくことにする。そうして今一度周囲をぐるりと見渡した。
 
「それにしても、落ち着いて整理の行き届いた部屋だね。誰の部屋だろう」
 
「うーん、黒っぽい刀は結構いるからなあ」
 
自身の揃えと同じような雰囲気は、何となく落ち着くし自然と部屋にまでその雰囲気がでていることは多々ある。
誰の部屋だろうか…探索の調子があまりよろしくない彼らが、本丸にいる刀剣男士の顔を思い浮かべ今この部屋と照らし合わせていると、長谷部が答えを出す。
 
「恐らくここの本丸の俺の部屋だろう。心なしか少し居心地がいい」
 
「言われてみれば確かに…お前の部屋と似ている気がするな」
 
物の配置の癖や、片づけ方。そんなものが一致するのか、違う主、違う環境にいても似通った部屋が出来上がるらしい。
 
「あ、そうなんだ。で、何か見つかりそう?」
 
そう聞いた加州は、長谷部の持つものに直ぐ気づいた。
既に何かを見つけていたようだ。
 
「見覚えのないものがあるな。随分古いもののようだ」
 
同じような思考で揃えられた部屋の中で、見慣れない物は直ぐ目についた。
それは古い日誌のようで、表紙や中紙が日に焼け、所々変色していた。
 
「中を見てもいいのかな」
 
まだ表紙も開けられていない日誌をのぞき込むように、亀甲が長谷部に尋ねる。彼本人の物ではないのだが一応、許可をもらいたかった。
 
「へえ、何が書いてあるんだろ」
 
「気になるな…」
 
加州と巴形もすこし、わくわくとした面持ちで寄ってくる。
堅物、と言ったイメージの長谷部の日記かもしれない。どんなことが書かれているのか、気になるのだ。普段表に出さない本音のようなものがあるかも知れない。
 
「一旦俺一人で見てもいいか? 情報は後で伝える」
 
変色し少し脆くなった冊子を一つなぞった長谷部は、そのとあるページに栞が挟まれていることに気づく。
何が書かれているのか、自身と照らし合わせても心当たりがないものなので予想が出来ず、一旦自分自身のみで確認したいという意思を伝える。
 
「……分かったよ。プライベートな内容もあるだろうしね」
 
亀甲は少し残念そうな顔をするが、特に食い下がることもせずに少し距離をとり長谷部が日誌を開きやすいようにする。
 
「いいよー。長谷部の部屋だし、それでいいんじゃない」
 
「ふむ…そうだな」
 
加州と巴形も亀甲に倣ってすこし距離を取る。
 
「すまない」
 
その配慮に感謝しながら、長谷部は栞の挟まれた個所を開いた。
 
 
 
 
俺の失言が主の耳に届いたらしい。
何故、写しの刀などを近侍にお選びになったのか。
 
主曰く。
本科無くしては成りたたない写しは、どうしても本科と比べると存在の重さで劣る。
顕現できる物は殆どない。
だが奴は、号を得て人の身を持つに至った。
稀代の刀工、その最高傑作として。
写しは本科を超えられないという定説を打ち砕いて、本科に決して引けを取らぬと謳われる刀。
 
たまに、刀剣男士なんて本物のコピーに過ぎないと言う人もいるけれど。
彼を見ていると、本物ではない、それがどうした。
写しだってなんだって、美しいものは美しいのだと。
そんな風に思うのだという。
 
主は、人の身の働きで刀を区別しない。
ならば俺は決して主の一番にはなれないだろう。
 
 
一番にはなれない。
 
そう、己と良く似た筆跡で断定された一文。
この本丸の自分は、近侍だった訳ではないようだ。ただひたすら主の傍に。そう思い、常に主の隣へ…。
主の一番でありたい。そう願い、尽力しても報われることはなかったのだろう。そうして「写しの刀など」と発言してしまった。どんなに足掻いても隣には行けない。
失言だ、言ってはいけない言葉だと理解しながらも発してしまったのだろう。それ程に、本当の意味で初期刀の彼を差し置いて主の隣にいたいという願いが叶わなかったのだろう。
その後のページにも日々の覚書は続いてゆくのに、このページには栞が挟まれていた。
それ程、この出来事を重く捉えたのだろうか。
 
 
 
少し距離をとり様子を見守っていた亀甲が、動きの止まってしまった長谷部を見て小声で加州と巴形に囁く。
 
「長谷部くん黙っちゃったけど大丈夫かな…」
 
「何が書いてあるんだろうね…」
 
あの、「主命とあらば」と、自己を抑え込む長谷部が沈痛な表情を浮かべている。
 
「…かなり、眉間に皺が寄っているな…」
 
小さな声で話していた加州や亀甲にお構いなく、巴形がそう呟くが皺が寄っている当人が顔を上げるそぶりはない。
 
「玄関に飾られていた写真を見る限り、相当信頼されていたようだし、心配だな」
 
「でも冊子自体は結構古いんだよね。最近のことも載ってるといいけど」
 
「あぁ…昨日、今日のことではなさそうだが…」
 
心配しながらも読み終わるのを待っていた面々にようやく顔を向け、長谷部が概要を話す。顔は未だに険しいままだった。
 
刀としての本質。その来歴と謂れ。
写しであることも含めて、本科と同等の存在を認められた写しであるという事実。そして今目の前にある真実に重きを置いたある審神者の価値観と、一番にはなれなかったある刀剣の記録を伝える。
 
「この本丸の俺もそれなりに葛藤があったようだな」
 
そう、長谷部はその記録について締めくくった。
そうか…と亀甲が何とも言えない顔で俯いてしまう。
 
「うーん、生まれでそうなるとなあ…。頑張っても無駄だって思うのはつらいよな」
 
刀としての歴史は既に確定してしまっている。それを覆すことはできない。
 
「この本丸の山姥切くんは審神者から誰よりも愛されていたんだね」
 
初期刀だという思い入れを抜きにして、その刀剣としての存在そのものが。
 
「山姥切に俺が及ばなかった。それだけの事だ」
 
栞を戻し、既に閉じられた日誌の表紙を未だに眉間に皺をよせながら、長谷部は重々しく言う。
 
「…あくまで此処の本丸の『へし切長谷部』の話だろう、それは」
 
以前面と向かい側仕えを譲れといっとまで言った巴形が言う。一番に及ばなかったのはお前ではない、と。
加州も、なんとかフォローを言おうとするも、自分でも何を伝えたいのか分からなくなる。一番でいたい、愛されていたい、と思うのは彼も同じなのだから。
 
「まあ、人にも色々いるからね。価値観はそれぞれ。それで幸福になる刀も不幸になる刀もいるよ」
 
「…そうだな。そうだった。俺は俺だ。こいつとは別の、へし切長谷部だ」
 
巴形と加州の言葉に、目を伏せながらも頷く。
 
「その日誌は目立つところにあったの? 最近のじゃないならしまってありそうなものだけど」
 
「引き出しを開けたら出てきた。この日誌、内容もかなり古いもののようだな」
 
最近の様子や、この今起きている異変に関わりのありそうなことは書かれていなかった。
 
「ならこの本丸がこうなった原因は書かれていないんだね?」
 
「一通り読みはしたが、関連した事柄は見つけられなかった。折れた、のかもしれんな」
 
過去の記録だけで、最近のものは無かった。もしかしたら、このようなことが起きる前にすでに折れていたのかも知れない。どこか投げやりな口調で、別のものとは言え、根本を同じくする人物が死んでいるのでは無いかと口にする。
 
「……そうかな?」
 
と、亀甲は長谷部のその様子にいささか危ういものを感じながらその可能性を否定する。その意見を擁護するように加州も続いた。
 
「玄関の写真にめっちゃ長谷部いたよね」
 
「あぁ、殆どの写真に写っていたな」
 
まだ人数の揃わない頃の写真に写っていないだけで、その後の写真にもしっかりと審神者の隣に写っていた。
 
「きみの心配するようなことはないんじゃないかな」
 
「そうだったか? それなら、いいんだが…不可解だな。続きの日誌がないのは妙だ。…まあいい。先へ進もう」
 
「そうだな…」
 
長谷部が古びた日誌を元の引き出しにしまい、皆でその部屋を後にした。
 
◇◆◇
 
次に訪れた部屋は、今までの部屋と比べると、どうにも古風だった。
誰が使っていた場所か分からないが、皆無言のまま手掛かりを探しにかかる。先程の部屋でのダメージがかなり大きかったらしく、淡々と手を動かしていた。
 
そうして、加州が文箱を見つけた。
 
「何か見つけたか? 加州」
 
その様子を目に留めた長谷部が問えば、加州はその文箱をそっと開ける。中には短冊が収められており、一首の和歌があった。
 
 
写しの主  
 
「これは今剣の…」
 
長谷部の言葉に亀甲は首を傾げる。
 
「今剣くんがどうかしたのかい?」
 
「これは…辞世の句だな。源義経の…」
 
「だよね…」
 
「ずっと前に教えてもらったことがある。そうだな、今剣の前の主のものだ」
 
この世を去る前に残される、詩。
文人が死期を悟り残し、武士が切腹の前に残したもの。
 
「何故、このようなものが…?」
 
明確に死ぬことを予期して遺すもの。
 
「整理された粟田口の部屋もそうだし、何かの事情で刀たちは自分の意志で消えていったような印象を受けるんだよね」
 
加州は文箱から掬い上げた短冊を見つめながら言う。
 
「あぁ、俺も同じような印象を受けるな…」
 
「そう考えると色々と合点はゆくがな」
 
「そうなのか…」
 
亀甲は悲し気に呟く。
絶対的な主を亡くし、後を追った刀剣たち。あり得ないことではないだろう。
 
「しかし全体像が見えてこないな」
 
「そうだね、審神者が亡くなったあと、何が起こったのか分からないよね。鍵も見つからないし」
 
「落ち込んでいても仕方がない。先へ進もう。俺たちの主のために」
 
この本丸の刀剣たちは、主のためにと後を追ったのかもしれない。もしそうだとしても、自分たちもまた己の主のために何が起きたのかを確かめないといけない。
 
◇◆◇
 
そこはひどく閑散とした部屋だった。
まるで生活感がなく、部屋の住人の顔が全く想像できない。まるでこの本丸全体の空気をそのままこの一室に移し替えたようだった。
 
物の少ない部屋で、皆が一点へ視線を向ける。唯一の家具らしい家具である机。
ここで何かを探すとしたら、その机か押し入れの襖を引いてみる位しかないだろう。目的の鍵を探すとなれば、押し入れよりも机の引き出しだろうか。
そしてすっと引いた引き出しの中にあっさり手掛かりを見つける。
 
「また日誌か。俺のものとは装丁が異なるようだな」
 
「何か手掛かりがあればよいが…」
 
「そうだね。この部屋の住人のものかな。取りあえず開いてみよう」
 
あまりにもこざっぱりとしていて何もなく、この部屋の住人を思い起こさせる物はないが…中身を見てみれば分かるだろうか、とページを捲る。
 
 
最期に長谷部は俺の方を見て、「初期刀」と呼んだ。
俺をそう呼ぶのは死んだ主、ただ一人だったのに何故。分からない。
 
 
「えっ」
 
何となく開いた最初のページに書かれていた文面に亀甲は、紙の端を摘まんだ指先も表情も、驚きで固まる。
 
「は? 最期? 山姥切の日誌だってことはわかったけど…」
 
初期刀、と呼びかけられていたのなら、この日誌を書いたのは山姥切国広で、この部屋も彼のものなのかもしれないが…。
最期、と記されたその文面。
誤字などではないだろう。審神者が職務で使うような機械では同じ読みの文字を間違って打ち出すこともあるが、手で書かれた文字でそれはないだろう。
明確に、死に瀕して、といった意味合いで書かれている。
 
「審神者は死亡しているのが確定したな。しかし…」
 
亀甲の頭越しに日誌を覗き込んでいた巴形は、長谷部へと視線を向ける。
当の視線を向けられた長谷部は、やはりか、と静かに呟いた。その声を聞き漏らさず、加州は長谷部の顔を見上げる。
 
「やはり?」
 
「そんなような気はしていた。大丈夫だ、続けてくれ」
 
促され、亀甲はページを捲る。
見慣れないカタカナの用語が羅列され、何のことだかさっぱり分からないが、その文体や構成から推測するに、何らかの仮説を立て検証していく過程が綴られているようだ。
 
「何かしてたってことしかわからないな」
 
「何が書いてあるのかさっぱり分からないな。次もこんな文章が続くのかな?」
 
「読み進めてみるしかあるまい」
 
「さっぱりピンとこないな。うむ」
 
理解し得ない言葉に、ずっとこの調子で続いていたら何も分からないのでは…と思いながらも先を読むしかないようだった。
 
 
沢山沢山、鍛刀して 検証を進めているが あまりうまくいかない。
 
 
鍛刀小屋に、一切資材がなかったのはそういうことだったようだ。
 
「鍛刀して…?」
 
「資材がなかったのはこれか。何してたか知らないけど」
 
審神者がいなくなり、戦場へ出ることのできなくなった本丸で新たな戦力を増やそうとするのは、一体どういった理由なのだろう…と加州は首を傾げる。
検証というものが具体的にどういうものなのかが分からないので、なんとも言えない。
 
 
主がいない生活に耐え切れなくなったのか、秋田が折れた。
秋田も俺のことを初期刀と呼んだ。
「ねぇ 私は」とも。
 
やはり主が霊力を込めた刀でないと駄目か。
粟田口の短刀が次々に立候補し始めた。
 
 
立候補。
それが一体何に、というのは分からないが、すっかり片づけられた粟田口の部屋を思い出し嫌な予感がした…。
それにしても、
 
「これって、もしかして…」
 
その続きを言いよどむ亀甲の言葉を、加州が続ける。
 
「主の自我を刀剣に…?」
 
「そういうこと、だよね?」
 
「おそらく、は…」
 
書かれた文面から察し、皆がそう結論付ける。その事実を確認する言葉に、長谷部も無言で頷き頭を抱えた。
そもそも霊力というものは、良く分かってはいない。体や自我をネクロマンシー技術で組み上げ、霊力で魂を再現する。ではその魂を再現しうる霊力の元とは一体何なのだろう。
審神者の自我や記憶を残しうるものなのだろうか。
 
 
一期一振がこんなことをしても主は蘇らないと言う。
それはそうだろう、俺とて主が元通りになるなどと思ってはいない。
それこそ、写しという程度で構わない。
一言二言、喋れる程度の機能でいい。
 
 
「だからあんな綺麗さっぱり整理を…」
 
やはり消えてしまうことを前提に、もう使うことはない、と分かっていたから全ての物がしまいこまれていたのだ。
 
「この本丸の山姥切くんは、一体どれだけ思い詰めていたんだろう」
 
亀甲はその胸が潰れるような気分、正体の見えない焦燥を思い、沈痛な面持ちで瞠目する。
この本丸の主に一番愛されていた刀。最初期から主を支え続けた彼は、写しであるという部分さえ価値だと言い切り、認めた主の自我が言おうとした言葉が聞きたかったのだろうか。
「初期刀」と呼びかけたその先を、最も傍にいた自身への言葉を。
 
「先を読むほかない」
 
「あぁ」
 
その思いつめ、苦悩した先に何が起きたのか、長谷部はなお一層険しい顔をして先を促す。
 
 
短刀たちを使った検証はうまくいかなかった。
サイズが小さいのだろうかと考えて、全員繋げてみた。
主が好きだった歌を繰り返し歌うようになった。
すごい進歩だ。
 
 
「え、は、繋げる?」
 
その言葉の意味なら分かるが、その光景は一切映像にならず、どういうことだと加州は意味が分からないとばかりに戸惑った声を上げる。
 
「すごい進歩だって、え、何故そんな、そんな、じゃあ、他の刀剣も…」
 
「…犠牲になったのではないか…?」
 
ページの端を摘まむ亀甲の指先が震え、その先を続けられずにいると、巴形が遠慮がちにその先の言葉を続ける。
 
「嗚呼、なんてことを…」
 
「誰もいないってことは、そうだよね…」
 
誰も居ない本丸。
亡くなった主を追ったのではなく、亡くなった主の断片でもいい、作り直そうとした結果、皆いなくなってしまったのだ。
 
 
短刀全振りを犠牲にしたことで左文字の二振りから反対の意見が出たので折った。
誰にも邪魔はさせない。
 
 
 
「これ、もう…」
 
明らかに何かが壊れ、瓦解し決定的なまでに歯止めが利かなくなってしまった文章。
誰も加州の言葉を継ごうとはせずに、黙してしまう。
 
 
兄弟から反対意見が出た
折ろうと思ったが出来なかった
 
 
 
主の写しはとうとう、他の歌も歌うようになってきた
歌の合間に時々「初期刀」という声が聞こえる
本当は、その先の言葉が聞きたい
だがもうそろそろ限界かもしれない
 
 
 
そこで日誌が途切れている。
どうやらこれが、この本丸での一番最近の出来事で間違いないのだろう。
 
「『山姥切が心配、山伏に相談する』か…」
 
堀川と和泉守の部屋で見つけたメモの真意が見え、加州は淡々と呟いた。
 
「何が、そろそろ限界なんだろう」
 
「…それは、分からないな…」
 
「山姥切自身か、それとも『主』の方なのか…」
 
精神的なものでは、とっくに限界を超えてしまっているように見えるが…。そうこの日誌から漏れだしている、追い詰められたような狂気に長谷部は呟く。
 
「山姥切も身を削っていたのかもしれんな」
 
「なんにしても、彼と「主の写し」が心配だ」
 
「…そうね。見つけて、真実を俺たちの主に伝えないと」
 
「…もう少しこの部屋を探そう。ここが山姥切の部屋なら、この内容が真実ならきっと、審神者の部屋の鍵もここだろう」
 
「そうだ、鍵! 審神者の鍵がどこにあるか明記されていないかな!?」
 
巴形の言葉に亀甲ははたと思い出す。もともとは審神者の部屋の鍵を開けるために探していたのだが…徐々に輪郭がはっきりしていく事実に、鍵のことはすっかり追いやられていたのだ。
 
加州は日誌のしまわれていた引き出しを大きく開いて覗き込み、あ、と声を上げる。
 
「引き出しにあったよ」
 
そう言いながら、中の鍵を拾い上げた。

鍵

 
「これであの部屋にいけるね…」
 
とは言いつつもその声音はあまり乗り気ではない。長谷部もこれで任務は果たせるのだが、喜んで足を運びたい気分ではない。
 
「良かった、な。気は進まないが…」
 
「行くしかあるまい」
 
「巴形の言う通りだ。先へゆこう」
 
「そう、だね」
 
「うん、行くしかない。何があるか知らないけど」
 
巴形の言葉に気を取り直し、長谷部が皆を促してあの鍵の掛かった審神者部屋の前に再びやって来た。鍵を見つけた加州が、そのまま解錠する。
 
かちり、と鍵を外す音が嫌に大きく響いた気がした。
それを確認した加州は僅かに後ろへ下がっていた三振りを振り向き尋ねる。
 
「鍵、開いたね。皆準備はいい?」
 
「あぁ、かまわない」
 
巴形は肯定し、亀甲も無言で頷く。
 
「あぁ。行こう」
 
長谷部の言葉に頷き返して、加州は審神者部屋のと扉を開けた。
 
◇◆◇
 
扉を開いた四振りは皆、驚愕に固まり絶句した。
部屋の中央には、巨大な脳みそが浮遊していた。それは実在の生物の頭蓋骨の中に納まる様なモノではなく、ましてやこんなものが実在する訳はない。
生々しい桃色をした脳の表皮に張り巡らせた神経は、まるで意思をもった触手の様に蠢き、視覚的機能を備えているのかも怪しい無数の眼球が不規則にぎょろりぎょろりと視線を巡らせる。
そんな不気味なモノの下には、譫言をとうとうと繰り返す意思の抜け落ちた虚ろな瞳の刀剣男士たちがいる。正気はそこにはないようで、どれだけ声を掛けても反応を返すことはない。
ただ巨大な脳が浮遊し、返答をするかのように神経を震わせるだけだ。
 
その常軌を逸した、異形のモノたちの姿に、狂気が伝播するのかのように、皆も正気がぎりぎりと砕けて行くような感覚を覚える。
 
「酷い……な……」
 
亀甲は確かに、その姿に恐れを抱くが…これを成した者の気持ちは分かった。姿も方法も重要ではない。もしも突然主を失うようなことが起きたとして、もう一度自分に向けて言葉をかけてくれるなら…それでも構わないと思ってしまう。
 
長谷部が無意識に口元へ手をやり驚愕に目を見開き、力が抜けたように膝から崩れ落ち、僅かに震えた声で言う。
 
「こんなもの、主が望むはずがないだろう…」
 
「恐ろしい妄執だな…」
 
巴形も、ぽつりと呆気に取られたように呟く。
 
「な、に、あれ…」
 
加州の震える声と、ぶしゅり、と湿った音に目をやると、呆然と異形を眺めている。震える身体を宥めようとするように、自身を抱いた腕が脇腹を突き破り筋繊維の下にあった腸を溢れさせている。
 
「なにあれ、あれをあるじとよぶの…」
 
「か、加州くん!? 何やってるんだい!?」
 
混乱により、力の加減を忘れて腹を抉り腸を引きずり出してなお、その指先を脇腹に突き立てた加州の腕を亀甲は慌てて傷口から引きはがす。
 
「あ、ごめん、亀甲…」
 
怒鳴り声に、ふっと亀甲の方を見るがその動きは鈍く、現実から遊離してしまったような動作で謝罪する。
 
「落ち着けとは言わない。でも、堪えるんだ。アレはぼくらのご主人様じゃないのだから。違うんだよ」
 
まだ意識がはっきりしない加州の腕を掴んだまま、じっと目を合わせゆっくり言い含めるように語り掛ける。
 
「うん、うん…、そうだよね、ありがと、亀甲、もう大丈夫…」
 
亀甲の言葉に少し落ち着いたように加州も頷く。そう、違うんだ。と己に言い聞かせるように数度うん、うん、と頷く。
 
「みんな、気付いたかい? 今の音……転送ゲートの起動音だ。誰かがやってきた!」
 
そこで、すっと亀甲が顔を上げ、皆の顔を見回す。
 
え? と再び加州は亀甲の顔を見上げる。呆然と前方の異形を眺めていた長谷部も振り返る。
 
「……そういえば、いる筈の者がいないのだったな」
 
初めて、この本丸で聞いた自分たちが立てたものではない音。残された日誌から、「写しの主」と「初期刀」がいるはずなのだ。
巴形は静かに、薙刀を構える。
 
緊張に身構える四振りの前に、件の山姥切国広が現れる。
浮遊する異形や、正気を失った刀剣男士達と違い、そこに確かな意思を持った、ごく当たり前に山姥切国広だと認識できる姿で皆を見つめる。
その視線は刺さる程に冷たく冷ややかだが、そこには確か怒りが込められている。
その瞳や佇まいから凄まじいプレッシャーを感じる。駆け出し審神者の下で修練中の自分達とは違い、熟練の審神者を最初期から支え続けた刀との力量差と、それだけ共に過ごした審神者に対する執着。
 
「…さて、見られたからには…生かしてはおけないな!!」
 
言葉を交わす暇もなく、彼は鞘を払い、抜き身の刀を構える。
 
「問答無用かよ!」
 
その動きに反応し、加州は咄嗟に皆を庇うために前に出る。
 
「……正直言うとね、君の行動に、ぼくは共感を覚えているんだ。ご主人様が大事だ。ご主人様はぼくの、ぼくらの全てだ。ご主人様のためならなんだって出来る…だからきみの行動が間違っているだとか、そういったことは言えない」
 
だから先ずは話をと前に出るが、あちらの切っ先が下がる事はなく、真っすぐに切り込んで来る。
 
「…うわ!」
 
「っ、危ないっ」
 
慌てて巴形が亀甲の腕を掴んで引き、下がらせる。
 
「…っ、貴様…」
 
その、言葉の届かない様子に長谷部も抜刀して構え、山姥切国広に向き直る。
 
「駄目か…話を聞いてもらえる状況じゃない!」
 
「まず生き残らないと! あとにしよ、亀甲!」
 
◇◆◇◆◇◆◇
 
 
まるで出来の悪い作り物じみた、それこそ冗談のようにつるりと薄い桃色の表皮に騒めく神経を絡み付かせた巨大な脳。数多の目玉はその視線を方々へ向けるがそこに意思は見当たらない。
逆に刺さる程に明確な敵意を向け、会話の余地もなく一太刀目を叩き込んで来た山姥切国広と相対する。
 
思考が宿っているのか疑わしい、異形の脳が身動ぎするように震える。それは周囲へ不可視の力で埋めるように。何かを訴える聞こえない声か、霊力の残滓か…。
 
次の一手は誰から動くか…普段の戦場よりも嫌な緊張感が募る中で、長谷部はちらりと亀甲へ視線を寄越す。刀剣男士としての経験に大きな差がある以上、この【先の展開】を見極める必要があるのだ。
圧がかかり過ぎて内側から崩壊してしまいそうな空気の中、初めに行動に移したのは巴形だった。己の魂の在処たる【巴形薙刀】を山姥切国広へ勢いよく薙ぐ。
 
「斬る」
 
だがその刃は目標へ届くことはなく遮られる。
 
「こんのすけ…!」
 
驚いた声は誰のものか。確実に山姥切国広を捉えた筈の軌道は【庇う】ように躍り出た獣に阻まれる。彼らの本丸でも見かけるお馴染みの管狐が躊躇わずに盾になったのだ。
いつの間にか、彼らの近くにも見慣れた軽歩兵が存在している。
 
斬り付ければ当然のようにこんのすけも【はらわた】を零す。
巴形の一撃がこんのすけに防がれたのを認識し、今度は亀甲が【亀甲貞宗】で斬り込む。腕を狙い、あちらの攻撃手段を全て【切り離せれば】まだ会話は可能ではないかという期待を込めて。
 
しかし経験の差か、そこまで深く斬り込むことはできず、山姥切自身も亀甲の動きを見切ったように【手甲】でその斬撃を緩和する。
それでも、腕を丸ごと断つ心算で放った重い一撃を防ぐために突き出した【拳】が砕ける鈍い音がした。
一瞬できた隙にもう一太刀、と振う。その軌道が再び山姥切腕を捉えるが、中に浮かぶ巨大な脳が身震いするように蠢き、周囲に歪な力を振りまく。
実際に空間が歪んだのか、亀甲の【認識が歪んだ】のか定かではないが、刃の向かう先がずれ、山姥切の足を断つ。断たれたと言っても、刀剣男士は頑丈なのだ。人間ならばその後一生歩行を諦めるしかないような損傷だろうと、立ち続け、戦い続けることができる。
しかし全てを切り落とす勢いの攻撃に、山姥切も僅かに体勢を崩しそうになる。
が、それを小さなこんのすけが助け、そのままとんと前に押し出す。
 
「参る」
 
体勢を立て直すのではなく、そのまま斬り込む。静かな淡々とした声は、初めに動いた巴形へと向かう。立っているのでやっとのはずの足で踏み込み、砕けた手で【名刀】だと言われた自身を構えて。
 
その刃は真っすぐに巴形に迫るが、間に加州が立ち、その一撃を阻む。まだ鞘に納められた状態の【加州清光】で攻撃を受け止めたのだ。
しかし、流石に経験を積んだ刀剣の一撃は重く、衝撃で本体を握った【拳】から嫌な音がする。それでも刀を離すことはしない。
 
【庇われた】巴形も、今礼を言ってせっかく加州の作った隙を無駄にすることはしない。再び【薙刀】を振るう。
加州に斬撃を止められ、納刀状態の加州と拮抗状態に陥っている山姥切を正確に捉える。が、やはり経験の差か、致命傷は避けようと動くのを咄嗟に長谷部がその刀身を掴み、阻止する。
勿論素手ではなく、義手の方でだ。金属同士の触れる高い音が鳴った。
 
「ああ、そこだ」
 
過たずに、【巴形薙刀】が振るわれる。そう確信した時に、またあの浮遊する脳が身震いし、周囲へ歪み広げる。
意識があるのかも怪しいソレが、己の刀剣を守るように。
【知覚を歪められ】巴形の手元が僅かに狂うが、加州の【腕】に支えられ、それにはっとして正確な認識が戻り、己の【腕】にも力を入れ直す。
 
「…っ甘い…!」
 
山姥切は立っているのがやっとなはずの崩壊しかけている【足】で蹴り上げ、標的をずらそうとする。
その動きを【余分な目】を開いたことで認めた長谷部に阻止される。
 
今度こそは何にも阻まれることなく、巴形の振った薙刀は山姥切に達する。
ごとり、という音を立て【刀】を握ったままの腕が床に転がる。それでも、この本丸に一番最初からいて、誰よりも戦歴を重ねた初期刀の目から戦意が消えることはない。
 
それを読み取り、ここで止まってはいけないと亀甲が再び斬り込む。
すると、再びあの脳が蠢き、震える。数度目のその様子に、やはり意識があるのではないか? 己の初期刀を守っているのではないか?と思い、亀甲の精神から平静が失われ、僅かに切っ先がぶれる。
その切っ先は腕を丸ごと失い、衝撃でたたらを踏んだ山姥切の【額】を斬り付け、鮮血を流させる。出血量の多い額を斬ったことで【視界】を奪う。
その隙に、【亀甲貞宗】を構え直し、今度こそは、と山姥切に向かう。今度こそ、あの異形に惑わされないように、もしも自分の主がなどと、思考しないよう、動揺しないように…。
 
ぶちり、と音を立てて亀甲は自身の【腸】を抉り捨てる。人間と比べれば痛覚は随分弱めらているが、それでも僅かに脳へ届く痛みの信号で、思考がはっきりし、今の現実だけを見据えられる。
 
そこまでやってのけた亀甲に、長谷部が【腕】を添えまだ僅かにぶれていた刃を修正する。
 
やはり、山姥切に攻撃を与えようとすると異形の脳は阻んでくる。
当人も、既にぼろぼろになった【鞘】を残った方の腕で掴み弾く。審神者がいなくなり、手入れができなくなった今、本体を限界を超えて酷使すればどうなるか分かっているだろうに、それでもまだ戦える、まだ【平気】だ、というように山姥切は本体を酷使する。
 
それでも完全には防ぎきれずに、胴を裂く。
人として作られた体の【臓器】が零れ落ち、【背骨】を砕く。
 
一層大きく、浮遊する異形の脳が震える。
 
まるで、大事な初期刀を傷つけられたことに怒るように、打ち震える。
 
その光景に、正直、戸惑ってしまう。
悪い冗談だ、そんなにまでして主が喜ぶのか、そう思っていたにもかかわらず、目の前の奇怪なソレは刀剣を庇うように、守るように脈動し、触手のような神経を振るうのだ。
刀を思う、主、そのもののように。
 
では自分達が今していることはなんなのだ? 主を求めた刀剣と、一人戦う刀剣を守ろうとする主に余計な横やりを入れているのか?
 
そんな思考が、四振りの精神を蝕み、狂気を加速させる。
 
 
胴に大きな損傷を受けた山姥切を気遣うように、こんのすけがひょこりと足元に寄り添う。
今度は残った腕で、刀の方を拾い上げ、利き手とは違う腕でも山姥切は鋭く切り込んでくる。
 
「亀甲!」
 
彼に向う白刃の間に、加州が入り込み【庇う】。腰から生えた【羽】が斬撃を受け止めたことにより傷つくことは避けられた。
だが、それだけで山姥切が止まることはなく、そのまま間に張り込んだ加州へその刃が向く。
 
横から胴体へ叩きつけられる斬撃に、一部人とは違う【装甲の様な皮膚】のおかげで被害は少しはましになるが、強烈な一撃を全て防ぎきることはできずに【臓器】も【背骨】も損傷を受けてしまう。
 
「加州くん…!」
 
先程から少し様子が変わり、加州の動きを目で追っていた亀甲が悲痛な声を上げる。自分を【庇った】せいで加州が大きく壊れてしまったと焦ったのだ。
 
へーき、へーき、と軽く手を上げる。
今は目の前のことに集中しなければ、と。
 
あれだけ人体を破損しているのに、山姥切の動きは止まらない。加州に一撃入れた流れのままに、長谷部へと刀を打ち込む。
長谷部もそれを自身の本体である【へし切長谷部】で受け、弾き返すが、利き手でないにもかかわらず山姥切の一撃は重く、無理な角度で受けた【腕】から【拳】にかけて酷い衝撃が抜け、がくりと腕が垂れさがる。
 
ぐっとその衝撃に長谷部が耐えている間に、弾き返した山姥切の切っ先は巴形に向かう。
長谷部が【足】を上げ、蹴り飛ばすことを狙うが、その打撃にも壊れかけた足で踏み止まり、そのまま巴形の顔面を斬り付ける。
 
「軽微だ」
 
【額】から、【眼球】を通り、【顎】に至るまで真っすぐに切り裂かれ、顔の半分を血で塗らしながらも巴形はそんな風に言い切る。
 
すっかり存在を忘れかけていた軽歩兵が、加州へ斬りかかり【骨】を砕いていく。
その攻撃に驚き、一瞬意識を逸らした加州へ山姥切の一撃が届く。腰に生える【羽】で慌てて防ごうとするが、その【羽】を丸ごと切り落とされる。
 
がたがたと歪になった体に、これはまずい…と応急処置的に、辺りに散らばる【肉片を集め】、潰れた【拳】に宛てがう。
これがネクロマンシー技術によって作られた刀剣男士の人ならざる肉体だ。
先程は存在を忘れていた軽歩兵が、今度は長谷部に向かうのを認めて加州は【庇い】、【肩】を壊してしまう。
そんな加州を目で追っていた亀甲に、山姥切が斬り込む。
 
その攻撃も、あちこち破損した加州が前に出て【庇った】。先程から、妙に加州ばかりを目で追っていた亀甲は、さっと顔を青くし、切り込んできた山姥切に【己の本体である刀】を叩き込む。
 
が、再び小さなこんのすけが飛び込み、山姥切を【庇う】。
怒りと焦りの篭った太刀の一撃でこんのすけの大きな【狐の耳】は潰れ【心臓】も粉砕される。
 
先程から、皆を庇い破損していく加州は、これからも庇い続けられるように切り落とされた肉片を集め自身に接いでいく。
加州がいては、他にダメージが入らないと見極めたのか、山姥切の攻撃は加州へと向かう。
直したばかりの【腕】を掲げることで何とか大きな傷を避けようとするが、装備してきた【刀装】も再び【拳】も崩れ落ちてしまう。
 
辛うじて管狐の形状を残したこんのすけが、ずりずりと体を引き摺りながら山姥切に寄り添う。
 
 
「俺は偽物なんかじゃない」
 
 
低く、聞き取りづらい声だったが、それは確かに響き、相対する四振りに緊張が走る。
 
どこかしこも破損だらけで、なぜこれ程までに殺気と脅威を感じるのかと考える。
 
やはり経験の差か、執着か、後ろには「主」がいるという気概か。
 
「俺を写しと侮ったことを、後悔させてやる。死をもってな!」
 
山姥切国広の強い意志と重い執念の篭った叫びと同時に、今までとは比べ物に成らないような【真剣必殺】の一撃が容赦なく襲い掛かる。
敵味方構わずに、己の刀装まで砕く。
長谷部の人間の肉よりは頑丈なはずの【腕】が全損し、加州、亀甲、巴形に至っては、魂を預けた【本体】にまで損害が及ぶ。
 
「重症っ!?」
 
「ぐぁっ、ぼくの秘密が!」
 
「…っ、ここで…!?」
 
「っ、深手を負ったか」
 
思わず漏れた焦りの声を、強い光が覆う。
一体何かと一瞬疑問に思うが、直ぐにそれの正体に気づく。本体まで破損していたはずの三振りの刀は綺麗に修復されていた。
 
彼らの主が持たせてくれていた【お守り】の効果だと。
彼らの主が、彼らの身を案じて、彼らの安全を祈って、彼らのために与えてくれたものの恩恵だと、直ぐに気づいた。
 
「ぼくはね……ご主人様を悲しませたい訳じゃないんだ」
 
役目を果たし、壊れて消えるお守りを見つめながら亀甲が呟き、加州は既に消えてしまった物を追うように手を伸ばした。
 
「せっかく主からもらったのに…!」
 
「力を解放する。後悔しても遅いぞ」
 
お守りのお陰で、手入れをしたばかりのように美しい刀身を取り戻した【巴形薙刀】を構え、巴形は言う。振りぬいた薙刀が正確に山姥切を捉える。
 
「…まだだ! まだ…終わらせはしない…!!」
 
その表情さえ読み取れない程の損害を受けながらも、山姥切は尚、向かって来ようとする。
 
日誌を読み、作り上げられた写しの主を見てもなお、この初期刀に共感を示した亀甲だが、これではだめだ、このままでは…と【亀甲貞宗】を構える。
お互いに、次の一手を読みあおうとする中、山姥切と長谷部の鋭い視線が一瞬交錯する。
 
主への執念に正気を削ぎ落し、狂気に呑まれかけた刀剣にそれがどれ程の意味があったのかは定かではない。それでも、山姥切の動作を一瞬止めたのは事実だった。
 
「ご主人様のために、斬るっ!」
 
その一閃は間違いなく山姥切国広の【心臓】を貫き、まだ戦える、まだ【平気】だと瓦解した身体を動かしていた機能の全てを止めた。
 
「…あぁ…ここまで、か…主、ある……」
 
もう起き上がる余力もない彼は、仰臥したまま呼びかける。
それは室内に浮かぶ「写しの主」へか、幸福そうな刀剣達に囲まれていた写真に写っていた「主」への呼びかけか。どちらともつかぬままに、その声は途切れて消えた。
 
  ◇◆◇◆◇◆◇
 
彼も、彼が作った写しの主ももう動くことはない。
「主」と山姥切国広が呼んだきり、室内は静寂に包まれた。
 
本体の方は主にもらったお守りのお陰で破損は無いが、人体の方は皆、結構な損傷具合で誰も何かを語る気にはなれずに皆、淡々と肉体の修復をした。
 
それが一段落した所で、足元の床を小さく揺らす振動に気づく。
振動だけではなく、何かを打ち付けるような、断続的な音も響いていた。音と振動を頼りに辿り着いたそこには、地下へと続く扉があった。
 
「何か、音がしたよね。開ける…?」
 
扉を見つけた加州は振り返り、皆に尋ねる。特に鍵などもないようで開けようと思えば今すぐに開けられるだろう。
 
「本当だ。開けてみようか」
 
ひょっこりと覗き込んだ亀甲が扉を開ける。その先には、人影があった。彼らが自身の本丸を出発する際に送り出した脇差と同じ顔。
 
「堀川!?」
 
「堀川…! 生きていたのか!」
 
加州は驚いたように、その名を呼び、長谷部も声を上げる。確かに日誌は途中で途切れていたが、全くといっていいほど本丸内が静けさに満ちていたものだから、てっきり…と。
 
「やっと外に出られた…助けてくださってありがとうございます」
 
ペコリ、と頭を下げるその堀川の両手はボロボロだった。皆、先程まで聞こえていた音を振動を思い出す。
 
「ところで、皆さんは…?」
 
「他の本丸の刀剣だよ。連絡が取れないから来てみたの」
 
「ぼくたちは別本丸の審神者の命で様子を見に来たんだ」
 
それより、と言って亀甲は堀川の両手へ視線を落とす。
 
「きみ、両手が……大丈夫かい?」
 
「…そうですか、ご迷惑をおかけしてすみません。えっと…手はまぁ、大丈夫です」
 
どう見ても大丈夫ではないのだが、この本丸で起こったことに比べれば、ということなのか堀川は困ったように微笑む。
 
「生存者がいたのか…」
 
その堀川の弱々しい笑みを見ながら、巴形が呟く。
 
「…そう、ですね…兄弟も、僕だけは折れなかったようです…」
 
僕だけ、という言葉に、亀甲は俯いてしまう。彼の兄弟は先程…。
 
「えっと、山姥切は俺たちが…」
 
「っ、その、山姥切くんのことなんだけれど…」
 
黙ってはいられないと、亀甲も再び口を開くが、どうしてもその続きが出てこない。長谷部も言葉に詰まり、先程までいた審神者部屋にちらりとける。
 
「…いえ…音は聞こえていたので…兄弟を止めてくださってありがとうございます」
 
そういい、堀川は深々と一礼する。
 
「すまなかった。ああいう形でしか、止めることが出来なかった」
 
顔を上げ、堀川はどこか悲し気な顔をしながらも微笑んで首を振る。
 
「…堀川はこれからどうするの?」
 
審神者は既に亡くなり、他の刀剣も、主の写しを作り出そうとした兄弟も、その写しの主も何も無くなってしまった本丸だ。
 
「ぼくらはこれから自分達の本丸へ報告に帰還するけれど、君は……残るのかい?」
 
問いかける亀甲の手に力が入る。無意識に拳をつくり、握りしめていた。
 
「それ、は…いえ…」
 
堀川は背後にある部屋に残された異形の何かを見つめ、そして小さく首を振った。
 
「皆さまにご迷惑をおかけしましたので、そちらにお詫びをしないといけない、かなと…」
 
「今、そんな気を遣わなくてもよいと思うのだが…」
 
随分と律義な堀川の発言に、巴形が首を傾げつついい、長谷部もそれに同意する。
 
「俺達のことよりも、お前自身のことが大事だろう」
 
「いや、迷惑だなんて」
 
「とりあえず、俺たちと一緒に来てくれるってことでいいの?」
 
加州が堀川の顔を覗き込むようにして尋ねる。
 
「お前が望むなら、だがな」
 
そう長谷部が付け足す。
 
「……そうだね。君さえ良ければ、色々と話を聞きたいし」
 
そして何よりもゆっくり休んでもらいたい、と亀甲は言う。
 
「はい。…兄弟がいなくなった今、『あれ』も長くは持たないでしょう、し…皆を埋葬するにしても、今は難しい、ですし…」
 
今のままの堀川がそれを一人で行うのは無理だろう。色んな意味でも。
 
「じゃあ、うん。……行こう、か」
 
「手入れも必要だしね」
 
「そうだな…此処のことは、我々の主の判断を仰ぎたい」
 
「ひとまずは休息の時間をとってくれ。時間をおいて、主の指示を仰いで…それから、また…」
 
加州は、まだ背後の部屋で僅かに蠢いて見えた、異形の脳をちらりと見てことさら明るい声をだす。
 
「さー、帰ろっか!」
 
そっと堀川の背中を押し、本丸の外へと進む。
 
「分かりました。…お世話になりますね」
 
堀川はもう一度頭を下げ、歩き出した。
 
 
 
自分達の本丸に帰り着き、近侍である骨喰藤四郎へと軽い報告を済ませた後、皆はある一室で堀川国広の話を聞くべく集まっていた。
 
「話しづらいとは思うのだが…その、経緯を聞かせてはもらえないか」
 
少し言い淀みながらも、長谷部はそう話を切り出した。
 
「…はい、分かりました」
 
堀川は少し躊躇ってから、こくりと頷き語り始めた。
 
「半年くらい前に、僕らの主は病気になりました。そして…多分、二ヶ月くらい前、だと思うんですが…その頃に亡くなりました。…最初に、長谷部さんが主の後を追いました。…主は長谷部さんを目にかけていましたから…」
 
声には出さなかったが、そうか、と内心のみで長谷部は呟く。一番にはなれない。そう書かれたあの日誌の事を思い出していた。
 
「そうしたら、長谷部さんが死ぬ間際に、兄弟に向かって『初期刀』と言って、事切れました…。僕たちの本丸で、兄弟をそう呼ぶのは主だけ。…それから、兄弟はおかしくなってしまったんです…」
 
そこまで言って、少し俯く。
 
「そっか、それで?」
 
気遣い、堀川の背中を撫でつつ、加州は続きを促した。
小さく息を吸い込んでから、堀川は続ける。
 
「…主によって顕現された僕たちの魂ならば、主の意識…のようなものを再現できるんじゃないかって…。長谷部さんが最期に、『初期刀』と呼んだのは、本人の自我がかき消えて、肉体が消える、その一瞬に主の意識が再現されたんじゃないかって。僕たちの身に残る、主の霊力の残響、というんでしょうか…」
 
もう一度、言葉を切って俯いてしまうが、そのまま語り続ける。
 
「それで、主の『写し』を作るんだ、って言って…それで、皆を、その…」
 
そこから先は、日誌の通り、目撃した通りのことなのだろう。無理に言葉にする必要はない、という意味を込めて亀甲は静かに頷いてみせる。
 
「僕は『主はそのまま安らかに眠ってもらおう』と反対したのですが…結果は見ての通りです。地下に閉じ込められて、何も出来なかった…」
 
そこまで一息に言い切って、深く息を吐き出した。
 
「えっと、堀川の部屋でメモを見つけたんだけど、堀川は山伏に相談したんだよね?」
 
「えぇ、まぁ…ひとまず自分の想いをはっきりと告げるべきだって言ってくれました。…でも、それで僕は地下に…」
 
「…そのあとは?」
 
「詳しいことは、ちょっと…分からなくて…」
 
巴形の言葉に、堀川は困った顔をする。
 
「地下にいたのは一人だけ?」
 
あの本丸を後にする時にいたのは堀川だけだったが…。
 
「僕だけ、ですね…」
 
「そうか……」
 
亀甲も、思わず俯いてしまう。
それは一体どんな気持ちだったのだろう。外の様子が分からない中、止めることの出来なかった兄弟が今どうしているのかも知らないまま、たった一人で。
 
「辛かったろう。想像を絶するほどに壮絶な状況で、よくぞ正気を保ったな…」
 
「そっか…。ごめんね…」
 
話してくれてありがとう。と加州がもう一度堀川の背を優しく撫でる。
 
「いえ…他の方に話せて、少し落ち着きました。現実なんだなぁ…って思ったら、逆にこう…納得したというか…」
 
「…ゆっくりするといい。時折煩いくらいに賑やかだが、温かい本丸だ」
 
「お気遣い、ありがとうございます」
 
長谷部の方を見て、ぺこりと頭を下げる。
 
「しかし…何故『写し』など作ろうとしたのだ、彼は。よりにもよって、あの山姥切国広が…」
 
この本丸にも山姥切国広はいる。巴形も彼がどういった性質なのかは知っている。巴形薙刀の集合体であり、名も逸話もない自分とはまた違ったわだかまりを持っているように感じた。
 
「多分、俺だろう。お前のところの」
 
顔は堀川の方へ向けながらも、長谷部は視線を逸らしながら、低い声で言う。
 
「いえ…長谷部さんは何も、何も悪くないですよ…」
 
その言葉に堀川は首を振り、否定する。
 
「いえ…長谷部さんは何も、何も悪くないですよ…」
 
「恐らく…普通の『山姥切国広』であれば…写しを作ろうなんて思わないんだと思います。ただうちの主は…兄弟が『写しの身でありながら傑作と評された』そのことを評価していました。『写し』ということ自体をある程度、前向きに肯定していたんです。…それが、まさか…こんなことになるとは…」
 
「日誌に書いてあった俺の失言が、奴を傷つけてしまったのではと思ったが…なるほど、そうだったのか…」
 
失言についての記述は、やはり気が引けてしまい皆には言っていなかったが、これで少しだけ安堵することができた。
 
「本科山姥切の写しであるからこそ愛されていた彼だから、か」
 
「そうですね…写しを作る人達が、本科に負けない刀を、あの『山姥切国広』のような立派な刀を!』…と。そんな希望を持って、写し作りに挑む、その希望の光のような存在かもしれない、なんてことを言う程度には」
 
「山姥切にとってはあの『主』は希望だったんだね」
 
写しだからこそと。「山姥切国広」であるお前だからこそ、とその価値を認めてくれた審神者。
 
「そう、ですね…」
 
「なるほど…ようやく合点がいった。そういうことだったか…」
 
「お互いを想い合っていた末の悲劇か。やるせない気持ちになるね」
 
「…分かるような、分からないような…何とも言えないな」
 
こくり、とまた巴形は首を傾げてみせる。
 
「まあ、当事者じゃないとそんなもんでしょ」
 
むむむ、と考え込む巴形の肩をぽんぽんと叩き加州は言う。
大本は同じ刀だったとしても、今ここに自我を持って存在するのは別々の「人物」であり、周囲と交わす言葉も、交わされる思いも皆別物で、そこから歩む新しい歴史も千差万別なのだから。
 
「ともかく、話してくれてありがとう」
 
亀甲はそう言い、労う様に肩を擦る。
 
「写しであろうが、本科であろうが。あいつは主が本当に大切だったのだろうな」
 
「…その点は、分からなくもないな」
 
「そうだね、ぼくたちと同じ…」
 
どこまでも主を信頼し慕っていた。
 
「うん、俺はドン引きしたけど、でもやらないなんて一言も断言できないしね」
 
あの取り乱し具合を「ドン引き」で片づけていいのかは疑問だが、確かに加州の言う通りである。もし、主が死んでしまった場合、その時自分達はどう思い、何を願うのか、それはその時にならなければ分らない、自分自身の心の話だ。
 
「まあ、ともかく主が帰ってきたら報告しよ」
 
「…お前のところの長谷部は愚かだ。主の死に際して、自ら死を選ぶなど。だが、羨ましい気もする。最後の一瞬でも、主とともにあれたのだから…なんだ」
 
腕を掴まれた長谷部は、掴んでいる亀甲を見つめるが、当の亀甲はゆるゆると見つめ返し、首を振るだけだ。
 
「いやもうみんな休んでていいよ。俺が報告しとくから」
 
そんなやりとりを見て、加州は言う。はやく部屋に戻って休め、とでも言うように手をひらひらと振りながら。
 
「じゃあ、お任せしようかな」
 
まだ長谷部の腕を掴んだままの亀甲が言う。
 
「じゃあ行こうか」
 
「…あぁ」
 
一瞬不服そうにするが、大人しく亀甲と長谷部は退出する。その様子を見ていた巴形が、加州に向き直り、しみじみと言う。
 
「…さすがは最初の一振りだな、加州」
 
「ありがと。じゃあ、巴形も一緒に休んでてね」
 
「あぁ」
 
巴形も頷き退出する。
部屋の外では案内するからおいで、と亀甲が待っている。
 
「はい、それじゃあお言葉に甘えます…」
 
堀川は目を閉じ、深く、息を吐いた。
 
「はーい、堀川またあとでね」
 
その重い吐息を霧消させるように、加州は軽やかに手を振って、堀川を送り出した。
 
 
 
 
閉ざされた箱庭、醒めない夢、微睡みは甘美な毒。
命という刹那の瞬きに焦がれ、その手に掴もうとした狂った一振りの刀がいた。
その愚かで、ささやかな願いを貴方達は打ち砕いた。
主の写しを作ろうとした、写しの刀の物語は、これでお終い。




おくづけ

原案 「刀剣乱舞 -ONLINE-」より
(DMM GAMES/Nitroplus)

シナリオ制作     シャルレナ

リプレイ小説     くろいぬ
文章校正       雨里

加州清光       杏夏
亀甲貞宗       北坂今日
へし切長谷部     とみこ
NC兼巴形薙刀    シャルレナ

タイトルロゴ     snoko
イラスト       ひなた水色
イラスト(鍵)     ととつか
筆文字        kofudeya
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