遠架堂

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忘却リフレイン

まるで水底から脆い泡沫が発生し浮きあがるように、唐突に意識が覚醒した。
唐突に目を覚ましたのだから、きっと今まで眠っていたのだろう。その眠りは強烈な揺れによって揺り起こされた。覚醒してからもその揺れはしばらく続いたが、徐々に収まり、やがて静止した。どうやら地震だったようだ。
 
ベッド上に半身を起こし、辺りを見回す。
その薄暗い部屋の中で自身と同じように身を起こした刀剣男士の姿が目に留まる。声をかけようとして、言葉が口から出る前に思考がそれを阻んだ。
ここは何処で、ここに至るまでに何があったのか…何故こんな薄暗い部屋で目を覚ましたのだろうか? 自身の存在がどういった物かは理解している。なのに今こうしている経緯が分からない。
それどころか、刀剣男士としての意識を得てからの経験すら、何も思い出せない。
 
「鶴さん…だよね」
 
言葉が引っ込んでしまったがために、無言で見つめることになっていた相手からの誰何が先だった。
 
「…そういう君は、光坊かい?」
 
「あぁ、僕は燭台切光忠で間違いないよ。ところで鶴さんはどうしてこんなところに?」
 
肯定するように燭台切光忠は頷き、ゆるく首を傾げる。
 
「それは俺も知りたいところだ。ところでどうしてこんなところに、と言ったが君、ここがどこか知っているのかい?」
 
『こんなところ』という表現を用いるからには、『どんなところ』か知っていての発言なのかと鶴丸国永は確認したのだが、燭台切は残念そうな、戸惑いの表情を浮かべ自身でもう一度確かめるかのように一音ずつ言葉を紡いだ。
 
「いや…僕も、ここが一体、どこなのか分からないんだ。全然、見覚えがばくって…」
 
「…だよなあ。何だってまたこんな薄暗いところに」
 
ふぅ…と息を吐き出し、鶴丸は一つ頷き改めて薄暗い室内を見渡す。燭台切もそれに倣うように周囲を見渡し、自身を見下ろしたところではっとしたようにした。
 
「あれ…鶴さん、僕の刀を知らないかい?」
 
「ん? 刀?」
 
その問いに、今度は目的を持って周囲を見渡すが『燭台切光忠』は見当たらず、それどころか自身の本体である『鶴丸国永』も見当たらない。
魂を預けた刀が傍に無い、というのはどうも座りが悪く、まして記憶の欠落したこの状態では殊更に落ち着かない気分になる。
せめて何か手掛かりは見つからないかと向けた視線の先に、細長く黒い箱が丁度自身と燭台切の間に置かれていることに気づいた。
 
「…なあ、これは何だろうな?」
 
その箱を、僅かに警戒するようにしつつ鶴丸はそっと手を伸ばす。恐らく蓋に当るであろう僅かな隙間に爪を引掛けてみるが、黒いそれは全く揺るがず長方形のままだった。
 
「開かない、よなあ」
 
「うーん、なんだろうね?」
 
妙なモノではないだろうかと警戒しつつ突く鶴丸へ手を伸ばし、燭台切も検分するようにその箱に触れる。そしてもう一度鶴丸がやったように開封出来ないかと隙間に指を這わすが、びくともしない。
 
「鍵が掛かっている、のかな…?」
 
燭台切の言葉に鶴丸はその黒い箱を注視す。なるほど。良く見れば確かに小さな鍵穴があるが、ただそれだけで特に不審な点はない。唯の黒く細長い箱でしかない。
強いて言えば、丁度太刀を収められそうな大きさ、『鶴丸国永』を仕舞い込むには僅かに短いが『燭台切光忠』ならば収められそうなサイズ。
 
鶴丸の視線を追い、施錠され現段階では開封不可能な箱を確認しそっと置く。
 
「…ここがどこなのか、まったく分からないけれど…ひとまず、僕らの本体を探さないかい?」
 
その提案に鶴丸も頷く。
 
「賛成だ。なんたって落ち着かない」
 
記憶もない、この場に対する知識もない。この不明だらけの現状で迂闊に動き出すことへのリスクは伴うだろうが、燭台切りの提案には賛成だ。
己の魂の所在が不明、というのは何とも地に足のつかないような気分になってしまう。
 
「それに、君がいるなら心強いな!」
 
「ふふ、ご期待に応えないとね」
 
同じく危惧すべき現状に置かれながらも、朗らかに笑う。
刀剣男士としての意識を得てからの記憶がない現状では存在した年数では鶴丸よりも僅かに、もちろん通常の生物にして見れば数度その生涯を終えるほどの年月なのだが、僅かに年若い燭台切のその朗笑に憧憬の念を覚える。
正に先ほど口に出した通り心強い。
もしそれが、今この現状に置いても常と変わらず泰然とした鶴丸に合わせた強がり染みた対抗心だったとしても不明だらけのこの薄暗い室内であれば適切であるように思えた。
 
「それにしても…これは何なんだろうね…」
 
互いに笑みを交わした後に、その顔を顰め燭台切は自身の首元へ手を伸ばす。そこには黒い首輪、と表現するのが最も近いような何かが取り付けられている。
その動作を見た鶴丸も今まさに気づいたように、己の首元へ手を伸ばし確かにそこに有る物を確認した。
 
「何だこりゃ、首輪か?」
 
良く似てはいるが、燭台切の物と違い赤いソレを指でなぞり鶴丸も顔を顰める。
 
「…部屋と言い首輪と言い、悪趣味な奴がいるもんだな」
 
「あぁ…なんだか嫌な感じがするよ」
 
顰めた顔のまま燭台切も同意する。
なぞる指先に小さな鍵穴を見つけるが、箱と同じく今現在これに合うような鍵は持ち合わせていないので非常に不愉快だが暫くはこのままと言うことだ。
 
「全くだ。とっとと本体を見つけてここから離れたいねえ」
 
「同感だよ」
 
そうと決まれば早速行動すべきだろう。
先程は、急な地震に揺り起こされ、互いに記憶も本体も無いことに動揺したためによくよく観察していなかったが、今まさに自分達のいる一室を改めて見まわす。
 
薄暗い室内、記憶は無いので定かではないが暗所はあまり得意ではなかったのか物の輪郭が掴み辛い。じぃ、と目を凝らして辺りを観察する。
存在するものは自分達と、それぞれ目覚めたベッド。扉が一つ。
そして天井の中央に此方を見つめる監視カメラが一つ。
 
「本当に悪趣味な奴がいるようだなあ」
 
音声を拾っているかは分からないが、鶴丸は此方を見つめ続ける監視カメラを睨みつつ言う。
 
「…そうみたいだね」
 
燭台切もその監視する無機質な視線に気づいたのか、天井を見上げる。
 
「しかしまあ、これだけしかないとなるとここには何もないだろうな。本体も、これの鍵も」
 
鶴丸は監視カメラから目を離し、手元にある黒い箱と不愉快な首輪を示す。その結論に燭台切も頷いて同意を示し、たった一つの扉の方を見やる。
 
「恐らく。外に出て探してみるしかなさそうだね」
 
「そうだな、何があるか分からんが、此処にいても仕方がない」
 
もうこの部屋に用はない、と立ち上がった鶴丸は再び手元に戻って来ていた黒い箱を見やる。丁度太刀が収まるくらいの大きさの箱。持ち運ぶにしては些か嵩張るだろう。
 
「この箱はどうする?」
 
大きさとしては『燭台切光忠』が収まりそうなもので、それに当人も気づいていたらしい。
 
「…大きさからして…もしかしたら、僕の本体が入っている、かもしれない…よね?」
 
「君もそう思うかい?…可能性はおおいにある、よなあ…」
 
だがそうすると、何故わざわざ鍵を掛けた状態で当人の傍に置くのかが分からない。
…それとは別に妙な違和感を鶴丸は感じていた。
 
「ひとまず、持っていくってことでいいよね?」
 
「ああ。異論はない。君かもしれない。君が持っている方がいいだろう」
 
持ち運ぶには些か嵩張る箱を燭台切に手渡す段になり、ふと覚えた妙な違和感の正体に気づく。
この箱は太刀を収めているにしては、少々軽過ぎるように感じた。
 
「分かったよ。…なんだか…いや、なんでもない」
 
受け取った燭台切も、その違和感に気づいたのだろうか?
何かを言いかけ、しかしその先は呑み込み、小さく首を振った。
 
鶴丸は扉の前でそんな燭台切を振り返る。
 
「扉、開けるぜ。いいかい?」
 
この先には何が待ち構えているのか分からない。
ひとつ呼吸を整えて、改めて覚悟を決める。
 
鶴丸の問いに燭台切は、黒い箱を抱えて頷き。
 
「行こうか」
 
そうして扉は開かれた。
 
 
 
 
扉を開けたその先は、ある意味予想外のものだった。
何かしらの変化も、直ぐに危険になるような物もなく、ただ部屋の延長線のように薄暗く無機質な廊下が続いているだけで、二人は僅かに詰めていた息を吐いた。
 
「薄暗いね…」
 
「分かれ道か」
 
特段奇異なものはない廊下の左右を確認する。
扉をでて右を向くと行き止まりが見える。左を見ると奥の方に大きな扉が視認できた。
 
「行き止まり、そして扉の次にまた扉…」
 
左右を交互に見た鶴丸は小さな溜息を吐き出す。
 
「奴さんは何がしたいんだかねえ」
 
さっぱりと意図の見えない空間に呟きつつ、ここも監視されているのではないかと天井を見上げてみる。
だがそこには先程のような監視カメラはなく、ごたごたとした配管などが剥き出しになっており精神的にも薄暗い印象を倍化させている。
 
「ふむ、何だろうなここは」
 
天井を見上げたままの鶴丸の言葉に燭台切も上を向く。
 
「排気用のダクトなんかが剥き出しだね…工場とか、研究施設とか、なんかそういうところなのかな」
 
「君はよく知ってるな!」
 
燭台切の推察に、鶴丸は屈託なく賛辞を贈る。
…しかし、ここに至る記憶は全て白紙なのに、自身の存在やこの形を生み出した人間についての記憶は存在する。この差は一体何なのだろうかと首を捻らずにはいられない。
 
「しっかし工場にしても研究施設にしても、どうにも刀とはしっくり来ないなあ」
 
その妙な違和感のある記憶から考えてみても、工場や研究施設に、戦うために在る自身達がいることはちぐはぐに思えた。何かを生産するための工場や、何かを探究するための施設に武器。非常にちぐはぐである。
己の推察の結果が腑に落ちないのか、燭台切も鶴丸の言葉に頷く。
 
「はは、まったくだな! どうしたもんかねえ」
 
どうしたものか、そう呟きながら通路をちらりと見やり何となく左右を覗き込んで抱いた不思議な印象のままにふらりと歩き出しそうな鶴丸の袖をついと引き、燭台切は注意を促した。
 
「ひとまず先に行ってみようか」
 
新たな部屋に入り込む訳でもないので、ふらりと先を見ようと踏み出しかけた足を元に戻し、振り返る。
 
「扉の方かい?」
 
「うん。手前も、通りがかりに見てみようと思うけどね」
 
燭台切の指さす方を見つめ、よし、と頷く。
 
「ああ。敵情を知るのは大切だな」
 
ふらり、とではなく今度は目的を持って、二人が揃って歩み出した。
 
 
 
敵情視察。
 
そういった心づもりで踏み出してみた先に並んでいた物に些か気勢が削がれた。二人が覗き込んだ先には、自販機がなぜかあった。
自動販売機である。しかもデジタルサイネージ型の比較的新しいものだ。
 
「…何だいこれは?」
 
「自販機だね」
 
燭台切もどこか釈然としないように呟く。
 
「値段がないってことは、ここの人間なら誰でも買えるのかな?」
 
確かによくよく見てみれば、スクリーンに表示されているのは様々な飲料の容器だけで値段の表示は見当たらない。
 
「じゃあ俺たちが押しても飲み物が出てくる、と」
 
果たして自分たちが『ここの人間』かというのは、記憶がないため些かあやしいが、まさかこの機械に個人個人を認識する機能が付いている訳でもないだろう。
ただこの工場だか研究所だかで勤める者の権利として様々な種類の飲料を簡単に手に入れるために設置してあるならば、誰が押したところでこの機械はその働きの通りに飲み物を提供するのだろう。
 
普通、物に意思があることの方が奇妙なのだし。
 
「買ってみるかい?」
 
「いいのか!」
 
しげしげと立ち並ぶ自動販売機のラインナップを眺めていた鶴丸は目に見えて嬉しそうにする。
 
「いいんじゃないかな。お先にどうぞ」
 
そんな鶴丸に釣られるように燭台切も笑い、少し位置をずらし鶴丸が真正面に立てるようにする。その動きに「ありがとう」と声を掛けながらそわそわとした心持ちで少し指を彷徨わせ、画面上に表示された商品に指先で触れる。ピッという電子音と被るように、ガコンと少々重たげな音がなり触れた画像と同じ飲料がでてくる。
おお、と初めての体験に心の内のみで小さな感動を漏らしながらその飲料を取り出す。
 
『色んな種類があるんだね』
 
ひんやりとした容器を手に取ると、燭台切のそんな感心したような言葉が聞こえた。いや、聞こえたのではなく自身の中で再生されただけだ。
現に、飲み物を手にしたまま振り返ると、燭台切は不思議そうに見返してくるだけだ。
 
…本当に初めてだったのだろうか? 以前にも、こんな風に二人並んで多種多様な商品を選んだことはなかっただろうか?
 
「…君とこうするのは、はじめてじゃあない、な?」
 
曖昧どころか、全てが抜け落ちた記憶に突然降ってわいたカケラのような記憶は朧気で、正しいものなのか自信がなく、問いかけるような言葉になってしまう。
その言葉を問いだと受け取った燭台切は、当然のように答えを持ち合わせていなかったようで、困ったように、ん? と、首を捻る。
 
「どういうことだい、鶴さん?」
 
「分からん、よく分からんが何となく…? んー…?」
 
確証が無いゆえに、問いかけの形になってしまったため、鶴丸自身にもうまく説明することは出来ない。
 
「君も買ってみろよ、もしかしたらそう思うかも」
 
「なるほど、分かったよ」
 
今度は鶴丸が場所を譲り自販機の前を空ける。少しだけ迷うような素振りを見せてから燭台切もまっ平な画面に触れる。先程と同じようにガコン、と重い音が鳴った。
そうして燭台切も何の問題もなく、お茶の入った容器を取り出す。取り出すのだが、その手元にあるお茶と鶴丸の顔を交互に見て困惑した様な表情を浮かべた。
 
「えっと…特に何もないけれど…」
 
「なんだって! 君は鶴さんとの思い出を思い出せないっていうのかい!」
 
大げさな程に悲しそうな顔を作り、おどけて見せる。
 
「ひどいぜ光坊!」おまけとばかりによよよ…とあからさまな泣きまねなども添えてみる。
 
「え…思い出ってなんのことだい、鶴さん…?」
 
が、期待したような反応はなく、困惑した表情を解いてやることも成功しなかったようだ。
 
「もしかして、鶴さんは何か思い出したのかい?」
 
困惑から、僅かな不安へと表情が揺れる。改めて突き付けられた、記憶がないという不安。
 
「思い出したってほど、確実なもんではないんだが、さっき言ったとおりさ。君とこうしてこの機械の前で飲み物を買ったことがあったような気がしたんだ」
 
先程までのおどけた様子は直ぐに萎み、握ったままの冷たい容器に目を落とす。
燭台切もなんの切っ掛けにもならなかったお茶を見つめ、ゆるく首を振る。
 
「僕の方は…全然思い出せないかな」
 
「それだけのことなんだが、何も覚えてないとなるとその程度でも嬉しくなってしまって、つい浮かれてしまったよ。すまんな」
 
決して不安そうな顔をさせたかった訳ではないのだ。
 
「いや、鶴さんはなにも悪くないから、謝らなくていいよ。…僕も、早く思い出したいなぁ」
 
そう言い、カケラに過ぎない小さな記憶でも鶴丸の思い出したことが温かいものでもあるかのように微笑む。
 
「ありがとう、光坊は優しい子だ。そうと決まれば探しに行こうぜ、どこにきっかけがあるか分からないしな!」
 
「そうだね、先を急ごう」
 
からりと大きく笑った鶴丸に燭台切は頷き、先へ進むことにした。
 
 
 
ここが一体どこなのか分からない以上、道なりに進むしか取り敢えずの所案もないのでそのまま進んだ渡り廊下の先には売店ではないか、と想像できる扉があった。
営業時間ではないのか扉は閉められていたが、そこには明るい色合いのポスターが貼られていた。
「春の和菓子セール」と銘打たれ、今まで無機質な物ばかり見ていた目には華やか過ぎる程に明るく柔らかなレイアウトのその紙をまじまじと見つめてしまう。
桜餅に、大福。美味しそうな写真も添えられている。
 
そういえば、和菓子を買って食べたことがあるような気がした。
 
『ずんだ餅が無かったのは残念だけど、この大福おいしいね。…鶴さんと一緒だからかな?』
 
本当にその大福が美味しかったかの記憶はない。ただ、同じ物を食べたのは確かだという気がする。一つの大福を半分にして、分け合って食べたのだから。
 
「へぇ…和菓子のセールかぁ」
 
まじまじとポスターを眺める鶴丸に釣られたように、燭台切もその華やかな紙面を眺めている。
先程のように彼が何かを思い出したような素振りは見受けられず、純粋に今目から取り入れた視覚情報に対して『美味しそう』と今現在思考しているだけなのだろう。
 
「美味そうだよなあ。君、どれを買って帰りたい?」
 
帰るべき場所の記憶は無いが、今こうして刀剣男士としてのカタチを持っているからには、どこかの本丸にこの姿を与えた審神者がいるはずなのだから。
だから、今あえてその帰るという言葉が示す先を明言する必要はない。
 
「そうだね…このポスターの中なら、桜餅かな。ずんだ餅があれば、それを選んでいるんだろうけれど。鶴さんは?」
 
「俺は…そうさなあ、君と一緒に大福が食べたい、かな」
 
「いいよね、大福。鶴さんと一緒ならきっととても美味しいと思うよ」
 
甘い物の話をしながら、先程同様燭台切には記憶が戻っていないようだが、にこにこと嬉しそうに笑いかける顔に鶴丸も嬉しくなる。
思い出せなくとも、『元』は変わりないのだからまた二人で『美味しい』と言うことは出来るのだと、心底嬉しくなったのだ。
 
「ここを出たら一緒に食べてくれるかい?」
 
「そうだね、こんな得体のしれない所を出たら…一緒に食べたいね」
 
「約束だぜ?」
 
言質はとったぞ、絶対だからな! と実際に存在した年数からは想像もでき程に明るく弾んだ言葉とともに、燭台切に笑顔を向けた。
その鶴丸の表情に、顔を綻ばせてうん、と頷く。「約束だね」と。
 
「そのためにも、早く本体をみつけたね…」
 
「そうだな。本体がなけりゃどうにもならん」
 
「先を急ごうか」
 
殊更先ごうと思ったのは、『その後』の目的が出来たからだろうか?
 
 
 
売店の先には大きな自動ドアが有った。その向こうには渡り廊下が続き、また別の建物へ行けるようになっている。
そうしてここに来て漸く、外が見える窓を見つけた。
窓の外は真っ暗であり、今が真夜中なのだろうことが察せられる。
 
「夜か…」
 
燭台切の呟くような声に、ああ、とだけ相槌を打つ。今まで無機質な薄暗い場所を見ていたせいか改めて夜の黒い空を見るのは何だか不思議な感じがした。
 
「外が見えるのは初めてじゃあないか?」
 
「なんでか、窓がなかったしね…」
 
そんなことを話つつ、大きな自動ドアへ近づく。人気のない薄暗い建物の中や、営業時間外なのか閉められた売店の扉のせいでもしやこれも動かないのでは?という心配が有ったのだ、近づいて見ればあっさりと扉を開ける。
 
「お、開いたな。行こうぜ」
 
「あぁ、行こうか」
 
動くということは、ここは普通に使用されている施設なのだろうか? と考えながら渡り廊下を進む。
 
「しかしなんで窓が一つも無かったんだろうなあ」
 
鶴丸の素朴な疑問に、燭台切はうーんと少し考えるようにしてから言葉を続ける。
 
「工場とかは日光で変色したら困るから、太陽の光が入らない造りになっているんじゃなかったっけ?」
 
ほおー、と感心するようにしながら渡り廊下の窓の外に何か見えないかと目を向けるが、暗いせいか様々なことを考えていたせいか、せっかく外が見えるようになっていてもめぼしい物は何も見つけられなかった。
代わりに燭台切は何かに気づいたように、あ、と声を上げ窓の一つに近寄る。
 
「どうやらここは二階みたいだね。それにほら…工場みたいな建物が並んでる」
 
暗くてそれ位しか分からないけれど、と付け足す。
 
「んん、どこだい?」
 
燭台切の隣に並んで同じものを見ようとするが、やはり暗く何かの形が結ばれることはなかった。んんーと目をすがめるようにする鶴丸に寄り、燭台切は同じ方向を向きながら窓の外を指さす。
 
「ほらほら、このあたり一帯、建物が並んでいるよ」
 
「ほお…俺にはやっぱりよく見えないが…」
 
燭台切の方を振り返り破顔する。
 
「君、よく分かるなあ! さっきから工場のことも詳しいしな!」
 
やるじゃないか! という想いを込めて、じゃれるようにばしばしと燭台切の背中を叩く。
 
「いた、いた…もう、鶴さんったらちょっと痛いよ」
 
勿論全力では叩かないが、気心が知れた仲ゆえの些か乱暴な褒め方に、燭台切は照れ隠しのように苦言を呈する。
 
「それに工場のこととかは刀時代から知ってただけだよ」
 
そんな凄いことでもないから、と言って苦笑する。
 
「博物館にいると、保管とか、そのあたりのことは職員さんが話してたから。日光がだめ、とかね」
 
話を聞いて、覚えていただけだよ、と。
 
「そうか、こう長く在るとお互いの知らない時間もあるもんだなあ…」
 
気心の知れた、長い付き合いだったような気がしていたが、傍に有ったのは『生まれて』からこれまでの時間で考えるとほんの短い期間だったということに思い至る。
刀剣男士としての記憶が抜け落ちているためか、尚更、今隣に立つ『燭台切光忠』については何も知らないような気がしてしまう。
それは、少し寂しさを伴う思考だった。
 
「鶴さんと、いろいろゆっくり話したいな…」
 
燭台切も同じことを思ったのだろうか。俯き加減に小さく呟く。ああ、と鶴丸も小さく頷くがその声には力が込められていた。
そんな話をしている内に、渡り廊下を進み切っていた。
 
 
 
「ああ、したいことがたくさんあるな。ん、あれは何だい?」
 
今後のやりたいことを脳内で羅列しつつ渡り廊下を渡り切り、先程向こうに見えていた建物に辿り着いた鶴丸は何かを見つけた。
そこは扉の並んだ廊下で、床に鍵束が落ちていた。
 
「鍵、だね…あ、こっちの扉の鍵かな」
 
燭台切が廊下の奥に並ぶ扉を指し示す。
鍵を拾い上げた鶴丸がよくよく検分してみると、鍵にはそれぞれ名札が付けられたいた。曰く、「保管庫」「薬品庫」「資料室」「倉庫」「第一棟」「第二棟」「玄関」。
 
「……ふーん。どこかの部屋に本体があるってことか?」
 
一つずつ札を確認していた鶴丸が呟く。札には名称だけで流石に部屋ひとつひとつの仔細は書かれていなかった。
 
「どのみち入ってみるしかなさそうだな。行くだろ?」
 
「あぁ。…本体を手にしたら、僕も鶴さんみたいに、何か思い出せるといいんだけど…」
 
どこか沈んだ声で、燭台切はここまで抱えて来た黒い箱に目をやる。その視線を追い、「思い出せるさ」と言ってやりながら、当人は中身が些か軽いことに気づいているのだろうか、言及すべきか、と悩む。
 
「うん…まぁもっとも、重さからして少なくとも『鞘』はなさそうだけどね」
 
やはり、というか当人にも『自身』にしては軽いことに気づいていたようだった。
 
「抜き身ってことか? ああ、それで…俺はまだ本体を手にしていないから何とも言えんが。はは、それは困っちまうなあ」
 
もしも、刀身と鞘…どころか拵えまで全てばらして置いてあったらどうしようか、と考えてしまう。人間は服を着ないで公衆の面前に出れば犯罪だが果たして刀は…。
そんな冗談よりも、刀身だけ鞘だけ、などと言うのも本体がまるまる無いのと同じく座りが悪いだろう。誂えらた拵えも含めての今の姿なのだから。
 
「確証はないけれどね」
 
真剣に思案し始めた鶴丸に燭台切は苦笑しながら言った。
 
「ま、ひとまず調べてみないことには分からないな。手前からでいいかい?」
 
「賛成だよ」
 
二人は廊下へと侵入し、一番手近にあった扉を見やる。扉にはご丁寧に「保管庫」と書かれていた。
ふむ、と鶴丸は一つ頷く。
 
「光坊、まずは全部の部屋の名前を確認してからでも?」
 
「いいよ。鶴さん。見ていこうか」
 
そういうことになり、二人が順に扉と鍵に付けられた名札を照らし合わせていった結果、渡り廊下から侵入して直ぐの地点から「保管庫」「薬品庫」「資料室」「倉庫」であることが分かった。廊下のつき当たりには「第一棟」と書かれている。
 
「奥が第一棟、ということはここは第二棟、玄関があまったな…ああ、ここは二階だったな」
 
鍵をより分けながら鶴丸がそう結論を出す。
 
「名前からして保管庫が一番、怪しいかな?」
 
燭台切が少し思案すするように言った。
 
「お、そうだな。君の言う通りかもしれん。まずは行ってみるかい? 本体と御対面、と洒落込みたいな」
 
「そうだね」
 
そうして一番手前にあった保管庫まで戻り、解錠した。
 
 
 
保管庫、と書かれた扉の先には予想通りに大量の刀が保管されていた。ただ、その全てに魂は宿っておらず、ただの物として棚に静かに並んでいる。
 
「僕らが扱うには、ちょっと短いね…」
 
棚に並ぶのは全て脇差以下の短い刀身のものばかり。
 
「そうだな、俺たち程の長さがあるものはないか?」
 
全てを確認した訳ではないが、大量の刀達を見渡してみても太刀があるようには見えなかった。
 
「なさそうだけど…とりあえず、借りようか? 丸腰はちょっと落ち着かない」
 
「ああ、あるとないとじゃ大違いだしな」
 
ここが何所だか分からない、何がいるか分からないという危機感もだが、やはり燭台切の言う通り落ち着かないのだ。
 
「…一応、刃毀れや錆が無いかどうか、確認した方がいいんじゃないかな?」
 
確かに、と頷く。保管、と言いつつただここに置かれていただけで、『保つ』ことが疎かだった場合もある。
 
「君は本当に気の回る男だなあ! 有難いぜ」
 
礼を言い、一番手近にあった一振りに手を伸ばす。
鞘を払った刀身には刃毀れや錆等は見当たらず、きれいなままの白刃が見えるだけ。
 
そうして思い出す。『燭台切光忠』が折れた瞬間。なぜ、なぜ、とどうしてか分からないままにその亡骸を抱きしめて泣いた記憶。
彼が折れた原因が、己の白刃による一撃だと、知っている。否定できない事実として実感している。それなのに何故そんな行動を取らなければいけなかったのかが分からない。
 
気持ちが全てぐちゃぐちゃに撹拌され、ぐらぐらと揺れる思考の中で床に投げ出されたままの刀が目に入る。
せめて、形見だけでも、大切に仕舞い込まなくては…。
ただ、漠然とそう思った。
 
そんな、記憶。
 
唐突に湧き出た、決して明るくない類の記憶に咄嗟に棚の刀達から手を離し、音でもしそうな勢いで燭台切の方を見る。
 
「どうしたんだい、鶴さん?」
 
同じように棚に並べられた刀を確認していた彼は、白い刃を見ても何も思い出さなかったのか明らかに目に見えて狼狽した様子の鶴丸を、不思議そうに、不安気に見返す。
 
「…みつぼ、君…」
 
ふらふらと一気に血の気が引いた気のする指先を伸ばすが、燭台切に触れる寸前で動きは止まる。
触れても、良いのだろうか? 燭台切光忠を折った自分が図々しく手を伸ばしていいのだろうか?
 
「顔色が悪いよ、鶴さん…大丈夫かい?」
 
自身へ伸ばされていた手を、躊躇なく燭台切は握る。そうして顔を覗き込むようにして問いかける。
やっとやっとで、詰めていた息を大きく吐き出し、握ってくれた手をなんとか握り返した。その指先は僅かに震えていたが。
 
「鶴さん…?」
 
案じる声に、大丈夫だと言うように頷いて見せてから、燭台切へ真摯な目を向ける。
 
「君、おかしなところはないかい。人の身でも…その手にしている本体でもいいが」
 
「いや、僕は何も。この借りている刀も変なところは…なさそうだね」
 
先程鶴丸が棚の刀を確認してから様子がおかしいと思ったのか、借りた刀の刀身を覗き込んでから答える。
 
「…そうか。いや、ならいいんだ」
 
彼の方は何も不具合は無いようで、辛い思い出が蘇った様子もなさそううなので、安堵する。
 
「もしかして…また鶴さんだけ何か思い出した、とか?」
 
「いや、大丈夫さ」
 
大丈夫、と繰り返す通りに平静を装うことが出来ているかは、少し怪しいと思う。それでも僅かに震えながら握った手をそっと放す
 
「君が何か思い出したら教えてくれ。拝借する刀はそれでいいか?」
 
「あぁ、僕はとりあえず、この刀でいいかな」
 
まだ少し心配そうにしながらもそれ以上は踏み込まずに答える。
 
「しばらくのおともだな。さて、俺はどれを拝借するか…」
 
心配そうにしつつも、そっとしておこうという結論をだしたらしい燭台切に心中で感謝しつつ、鶴丸は改めて棚から一振り、刀を選ぶ。
先程のように刀身を確認するが、問題は無いようだった。
あれ以上の記憶を思い出すことも無いようだ。
 
「さて…次はどうしよう。順番に調べるかい、鶴さん」
 
「そうだな…。どこに何があるか分からんし、順番に行こうか」
 
自身の本体が有りそうな名称の部屋に無かった以上、総当たりしておいた方が見落としはないだろうという判断だった。
 
 
 
保管庫から廊下の奥へと向かって、次に開けた扉は薬品庫、と書かれていた。鍵を差し込み、捻ればかちゃりと解錠される音がする。
そうして、そっと扉を押し開けた瞬間に、つんと薬品独特の臭いが鼻を突く。
室内を見渡せば内容物の性質に合わせた、白や茶といった遮光を考えられたガラス瓶、プラスチック製の容器が所狭しと並んでいる。
 
自然な呼吸と共に脳に突き刺さるような薬品の臭気が襲う。その瞬間に、叫びか、当時の感情の発露か、どちらかは判然としないまでも強烈な記憶が呼び覚まされる。
 
『嫌だ、嫌だ、忘れたくない!!!』
 
それは忘却の記憶。一体何を忘れまいとしたのか、何を忘れたくなかったのか。重要なその点は一つも思い出せない。ただただひたすら、必死に叫んで忘却を拒否しながらも、押さえつけられ打たれた注射。
そこまでの記憶しかない。その時点からの記憶は曖昧になり、『忘れてしまった』という記憶になり代わっている。
 
思わず、部屋の入口で立ち止まってしまった鶴丸には気づかず一足先に燭台切は踏み込む。
 
「うわ、薬の匂いがすごいね」
 
「ああ、嫌だな」
 
「でも、薬ばかりかぁ…これじゃあ、僕らには何がなんだか…って、鶴さん?」
 
未だに中へ踏み込めず燭台切の背中を見ながらぽつりと零す。
その言葉を拾ったのか、僅かに離れてしまった存在に気づいたように燭台切が振り返ると、未だに入口に立つ鶴丸を見た。
 
「あんなにも嫌だったのに、それが何かも分からないなんてなあ」
 
「…また何か思い出したのかい?」
 
呆然と、独り言のように零した言葉に燭台切は心配そうな表情で問いかける。
 
「君は、まだ何ひとつ思い出さないかい?」
 
逆に問われ、「うーん…」と真剣な面持ちで考え込む。そうして考えてみても、結局「何も思い出せない」という答えに辿り着き首を横に振る。
 
「そうか…悪いな。余計な心配をさせた」
 
何も思い出せないことは、この場ではその方がマシなのではないだろうか。そもそも記憶の欠落に至る過程に差があるのか。
そもそも、今目の前にいる『燭台切光忠』は自身が破壊した彼なのだろうか?
陰鬱な思考が巡るも、言葉にすることはせずに沈黙を選んだ鶴丸と向き合う燭台切はふぅ、と小さく息を吐き出し、どこか情けなそうに言葉を紡ぐ。
 
「…せめて本体があれば、何か分かるのかもしれないけれど…」
 
本体。
その言葉に反応してしまう。
思い出した、カケラのような記憶のなかで自身は投げ出された『燭台切光忠』の本体を見つめていた。
形見、そう認識し、せめてそれだけは大切に、そんな思考が過ったことを覚えている。その思いは覚えているのに、結局その形見がどこに行ってしまったのか判然としない。
 
「さぁ、本体を探しにいこうか、鶴さん」
 
「ああ、次の部屋だな」
 
頷きあい、不快な臭気の充満した部屋を後にする。
重量の足りない、鍵のかかった黒い箱へちらりと視線を送りながらその部屋を後にした。
 
 
 
廊下に戻った鶴丸は意を決したように燭台切を見つめる。
 
「その箱、もう一度見せてもらってもいいか?」
 
「鶴さんだったら、構わないよ」
 
様々な思いの果てに意を決して頼んでみたところ、拍子抜けするほどあっさりと燭台切は黒い箱を差し出す。
 
「ありがとうな」
 
改めてその黒い箱を抱え、見えはしない中身に意識を集中するようにじいっと見つめる。
確かに軽いな、という違和感を覚えたがこうして意識して持ってみると、拵えまできっちり備えた刀が収められていると考えるのはやはり無理があるような気がした。箱それ自体の重量を考えれば尚更だった。やはり中身は何かが足りないのか…。
 
「ん、いいぜ。ありがとうな。次は資料室でいいな?」
 
箱を返しながら問いかければ「あぁ。そうしよう」と燭台切は頷いた。
 
 
 
薬品庫の隣、資料室というプレートが掲げられた部屋に向かうが、その部屋には明かりは灯っておらず、人の気配もない。
 
「人はいないか…」
 
「そうみたいだな」
 
二人で明かりを探してみれば、あっさりとそれは見つかる。スイッチを入れると直ぐに何らかの論文が収められたファイルがあることに気付いた。
鶴丸がその論文をぱらぱらと目を通して行くと、概ね『主を殺害された刀剣男士による計画殺人が発生。しかし刀解処分による戦力低下は望ましくない。彼らの記憶を消す薬を開発すべき』『緊急時に、一時的に完全な支配下に置くための制御装置を開発すべき』といった趣旨の記載だった。
 
「あー…つまり…?」
 
読み込むわけではなく、ぱらぱらと重要そうな言葉を拾っていく鶴丸はこれまでに目にしたもの、この現状とその内容を結びつけながら資料を捲っていった。
 
「気になる資料が見つかったのかい、鶴さん」
 
難しい顔をする鶴丸が気になったのか、別のファイルを捲る音をさせていた燭台切が声をかけてきた。そちらには目ぼしい物は無かったようだ。
 
「これなんだが」
 
今まで睨みつけるように見ていた資料を燭台切にも見えるようにし、思い当たる点を示す。
欠落した記憶はこの論文に書かれた薬のせいなのではないか、と。
 
「制御装置…。コレって、もしかして…」
 
文面を目で追いながら、その言葉を拾い燭台切は自身の首元にある首輪へ手を伸ばす。鶴丸も同じようにこの首輪は正にソレなのではないかと考えていた。
 
「おそらくそういうことだろうな。そうなればあの監視カメラも、俺達に記憶が無いのも納得がいく」
 
「監視カメラ…僕達は実験動物、ってことか」
 
そして、記憶が欠落した状態で何所とも知れない場所にいる理由こそがこの論文を書き、『開発すべき』と唱えた研究者たちなのではないか、と。
 
その推測は、当然のように酷く不愉快なものだった。
 
「なんとか外したいね、コレ…」
 
いくら元が無機物だとしても、今こうして意思を持ち思考する個として存在する以上、他の意識に支配されるというのは、決して気分のいいものではない。
 
「まったく、嫌な話だな。今こうしているのも、どこかで見られていたりしてな」
 
自身の首元へ手を伸ばしながら、今は視認できる範囲にはない監視の視線を牽制するように言う。
 
「…だけどどうして、鶴さんは色々と思い出せて、僕は何も思い出せないのかな…。投与された薬の量が、僕だけ多い…とかかな?」
 
「そこが奇怪なところだよなあ。投薬量ねえ…」
 
斜め読みし、重要そうな部分を拾い上げただけだがそういった記述は無かったように思う。
 
「まぁ、ただの憶測だけど」
 
様々な情報と断片的に蘇る記憶にそこはかとなく嫌な感覚を覚えるが、あえてここで言うことでもないと鶴丸は口をつぐむ。
曖昧な記憶で不安を煽ることもない。
 
「この装置とやらを外せれば、少しは思い出せたりするんじゃないか? 少なくとも何者かの支配下からは逃れられるだろう」
 
「あぁ、こんな物は早く外さなくっちゃね」
 
不明な状況に、不穏な記憶。
何とか薄暗い現在と不明瞭な過去からこの先へと意識を向けようと言葉を交わしてみるが、重苦しい想いが軽減されることはなかった。
 
「…一刻も早く、本体と鍵を探さないとね。行こう、鶴さん」
 
明らかになりつつある真実の断片に、急かされるように燭台切は資料室を出る。鶴丸も同じくその気分の悪くなるような事実に追い立てられるようにして後に続いた。
 
 
 
「次で第二棟最後の部屋だな」
 
第一棟と書かれた扉がそちらへ繋がる物だとすれば、この廊下の最奥に当たる部屋の前で鶴丸は呟く。倉庫、と書かれた札のついた鍵を使い解錠する。
もし、ここに本体も鍵も無ければ第一棟もくまなく探さなければならないだろう。
そう覚悟しながら開いた扉の先に進んだ瞬間に感じた。
 
「…ここだ」
 
「…そう、みたいだね」
 
倉庫、と書かれていた通りに何の関連性もない雑多な物が仕舞い込まれた空間に、自分の『本体』があることはすぐに分った。
魂を預けた物が、こうも雑多な中に放置されているのは何とも言えない微妙な気分になるが、今は一刻も早く取り戻したいと、整理はされているが物が多い倉庫内を探す。
 
そうして『鶴丸国永』を発見することができた。
手元に本体が戻り、地に足のつかぬどこかふわふわと頼りない心持ちが、僅かに落ち着く。
 
本体のすぐ近くにお守りと二つの大きさの違う鍵を発見した。
お守りは本来戦場での刀剣破壊を防ぐものだが、それを手にしてもそれが審神者から渡されたものなのか、自分達とは全く関係のない物品なのかは判断出来なかった。
それよりも今はこの現状に大きく関わりそうな二つの鍵の方が重要だった。
 
「大きさからして…首のコレの鍵と…その箱の鍵なんじゃないかな…?」
 
「そのようだなあ。まずコレ、外そうぜ。光坊、貸してみな」
 
しげしげと二つの鍵を眺めていた燭台切へ手を伸ばす。
 
「まぁ、待ってよ。まずは鶴さんのを外させてよ」
 
しかし彼は鶴丸の手を避け、一つの鍵を掴みそっと鶴丸の首に手を添えるようにして忌々しく首元に居座っていた装置に鍵を差し込む。
 
「動かないでね」
 
本当なら、先に燭台切の首輪を外してやりたかった鶴丸はなんとなく悔しいような、恰好をつけようとして失敗してしまったような気分になりながらも、大人しく燭台切が小さな鍵を捻るのを待つ。
 
特に音も無く、首に付けられていた物は解錠され、外すことができた。
大した重量でも無かったが、とても肩が軽くなったような気がした。
 
「あぁ、良かった…」
 
異物がなくなった鶴丸の首元を見て、燭台切が心底安堵したように息を吐く。
 
「ここは君が先だとまったく…。ほら、君も」
 
「お願いするよ」
 
今度は差し出した鶴丸の手へ鍵を渡し、僅かに仰向くようにして首元を晒す。
だが…。
 
「え?あれ?」
 
鍵の大きさは同じくらいだと言うのに、回せないどころか差し込むことさえできない。
その事実に鶴丸は慌てる。
 
「あれ、もしかして、入らなかった?」
 
そんな訳はない、と見つけたもう片方の鍵を見てみるが、此方は明らかに大きさが違い、試してみるのも馬鹿らしい程だった。
 
「君のものと俺のもの、鍵が違うのか…?」
 
「まぁ、色も黒と赤で違うし…鍵も違うのかな…」
 
「他にもあるってことか?探してみようぜ」
 
はやる気持ちのままに立ち上がった鶴丸を燭台切が見上げる。
 
「待って。大きさからして…この箱の鍵なんじゃないかな」
 
黒い、例の箱を示す。
 
「…君の装置が先じゃないかい?」
 
出来ることなら、この首輪のような形の不穏な装置を早々に外してやりたかった。それに、正直、それを開けることが躊躇われた。
不明瞭な己の記憶の断片が、躊躇わせる。
 
「いや、その箱の中にあるってこともあるかなって…」
 
「…分かった、開けようか」
 
「開けてみよう」
 
『燭台切光忠』を折った記憶。その亡骸に縋りつき、呆然と形見を、と思考した記憶。
忘れたくないと嘆きながらも忘却してしまった、記憶。
心を圧迫されるようなその感覚に、緊張を覚えながら、そっと黒い箱へ鍵を差し込む。それはぴったりと嵌り何の抵抗もなく解錠することが出来た。
カチッ、と乾いた音が嫌に大きく聞こえた気がした。
 
そっと、箱を開くとそこには無数の金具が収められていた。
いくつも、いくつも、数えきれないほど。それが一体なんなのか、余りにも沢山ありすぎてそれそのものの形を認識できなくなる程の数。
そこに在る物が何なのかすら一瞬理解できずにいたが、漸く気づく。
燭台切光忠の眼帯の金具だ。
それが、箱の中、布に包まれて数えようという気すら起きなくなる程の数が収められていた。
 
『実験は成功か。…しかし、再現性がなくてはな。実験とはそういうものだ』
 
記憶の中に、誰のものとも知れない声が再生される。
声に合わせいつかの自身の記憶が再生される。
己が折って…殺してしまった燭台切光忠の亡骸に縋りつき泣いていた記憶だ。そこに現れた男達の内の誰かの言葉だ。
 
『さぁ、次も期待しているよ。ひとまずは全て忘れてしまうといい』
 
虚ろな目をした刀剣男士達に床へ押さえつけられる中、その男が何かを注射する。そこから記憶の中の意識は薄れ始めた。
そんな意識が途切れる前の記憶。
 
『形見くらいは遺してやろう。俺はこれでも、慈悲深いんでね』
 
投げ出されたままの本体同様、抱えていた鶴丸の手を離れ、床へ投げ出されていた燭台切光忠の眼帯から、小さな金具を取り外し黒い箱へ仕舞い込むよう。
 
「なん、だ、これ…」
 
何か、なんて分かっている。だが記憶が現在の風景と重なり、動揺で震えた声が漏れる。
 
「……なんで、こんなに沢山…?」
 
当人、いや箱の中に収められていた物の持ち主ではないにしても燭台切は意味が分からない、と言うように首を傾げる。
 
「…燭台切光忠のものだろう」
 
「そう、だね…僕の眼帯の金具だ。でも、なんだってこんなにあるんだろう…」
 
妙に据わった声の鶴丸を怪訝に思いながらも、燭台切は純粋な疑問に首を傾げる。
 
「形見だ」
 
不思議と凪いだ声音で告げ、箱の中の大量の金具を両の手で掬い上げる。それでも全てを掬い上げることは出来ない。それ程の量のものが、全て、形見。
 
「形見…? いや待ってよ鶴さん。これ十個や二十個どころの数じゃないよ。百個以上…は……え…?」
 
「それだけの数、殺されたってことだ」
 
余りにもな残酷な真実に感情が振り切れ、かえって平坦になったのか、或いは、既に全ての覚悟を決めたのか、目に見えて狼狽する燭台切とは対照的に鶴丸はしっかりと彼の目を見つめる。
顔を上げた、その小さな動作で両掌に掬い上げられていた金具が一つ転げ落ち、小さな音を立てる。
 
「ころ、された……」
 
「ああ。燭台切光忠は、殺された。…鶴丸国永に」
 
きっぱりと言い切った後に、いや、と首を振る。
掌の上の金具をそっと、音さえ立てない様にそっと、箱の中に戻す。
 
「言い直そう。君は、俺に殺された。…何度も何度も、くりかえし、な」
 
そう。なんども。それこそ十や二十では利かない。百以上。数えきれないほど。
 
「……そう…。僕は何振り目なんだろう、ね…」
 
すっと、俯く様に視線を逸らす燭台切から鶴丸は目を離そうとはしない。全て目の前の燭台切光忠の決断に委ねる覚悟は出来ていた。
 
「なるほど…道理で鶴さんしか思い出せないわけだ…」
 
思い出せないのではなく、最初から記憶を持ち合わせていなかっただけだ。
どこか気が抜けた様な声で燭台切は呟き、顔を上げた。
 
「ああ。これで合点がいった。…なあどうする?」
 
「どうするって…なんとか『コレ』を外すよ。こんな馬鹿な物のせいなんだろう? 鶴さんの意思じゃ、ないんだろう…?」
 
改めて、鶴丸を見つめる燭台切の口調は期待や懇願ではなく、ただ事実を確認する様な声音。
 
「外すことには同意だ。ただ、気持ちの問題は違うだろう?」
 
思い返せば、確かに燭台切の言う通り、記憶の中の自身は先程外したばかりの首輪の様な装置を着けていた。しかし実際に数多の燭台切光忠を折ったのは紛れも無く今ここに存在する鶴丸国永なのだ。
別の、という訳では無く。
 
「俺の意思がどうあれ、燭台切光忠をそれだけ殺してきたことは紛うことなき事実だ。…君は、“燭台切光忠”はそれでいいのかい?」
 
真っすぐに問われ、僅かに視線が揺れる。
自身ではないが同一の存在はどう思うか、思案するようにするがそれもほんの一瞬。
 
「…他の僕のことは、分からない。けど、僕は鶴さんと一緒に此処から出て…そうだね。さっき約束したみたいに、一緒に美味しい物を食べて、笑いあって…そんなことが出来たらいいなって、思っているよ」
 
漸くしっかりとかち合った視線の先で燭台切が微笑む。
 
「…嬉しいねえ。光坊、君のことを殺したくない。…たしかじゃあないが、燭台切光忠を殺した俺は装置をつけていた。…今回は違うと、願ってもいいかい?」
 
「…勿論。さぁ、一緒に生きていけるよう…頑張ろう」
 
「はは、君は恰好いいな!」
 
右手を差し出す燭台切に、小気味良い音が鳴る程の勢いで握手を交わし、力強く握り返し笑い合う。
もうこれ以上、燭台切光忠を殺したくない。今こうして記憶を明かし、それでも握手を交わしたことも、一緒に生きたいと感じた想いも、何一つ忘れたくない。
 
「うん、それじゃあ本体を探して、装置を外して…あと出来ることなら…こんな馬鹿げた研究はなんとかしたいね」
 
「そうだな、こんなもん跡形もなく壊してやりたいもんだが…というか監視されてるんだよな?」
 
「そうだと思うけれど…夜中だから、監視担当者が寝てるのかな?」
 
もしもそうだとしたら、こんな大それたことをやっておきながら間抜けなものだ、と呆れ顔を作る。
 
「大概呑気なもんだなあ。ま、そのおかげで好きに動けんだったら重畳。君の鍵を探そうぜ」
 
「そうだね、探そう」
 
入室した瞬間にその気配を察していた本体は直ぐに見つけることができた。
鍵のことですっかりおざなりになっていた鶴丸も、鞘から刀身を抜き、確認するが燭台切共々、どこにも異常が無いようでほっとする。
 
「ふむ、問題なさそうだな。君は?」
 
「よかった…異常はなさそうだ。…僕の方の鍵は見つからなかったけれど。向こうの第一棟の方にあるかもしれないね」
 
当然、僅かな落胆は覗くが手元に本体が戻ってきたことですこしばかり気持ちに余裕ができる。
 
「本体があるのとないのとじゃあ大違いだ。さて、第一棟に乗り込むとしようか?」
 
「あぁ、行こう」
 
 
 
二人揃い、第一棟への扉の前で燭台切がそうだ、と何かに気づいたように立ち止まる。
 
「この脇差は返却しようか、鶴さん」
 
保管庫から拝借してきた刀を示す。
 
「ああ、連れていくわけにもいかないか」
 
再び、多くの刀が並べられた保管庫に戻り、借りていた刀をきっちりと元の棚に戻す。
 
「短い間だったけど、心強かったよ、ありがとう」
 
「君たちにまた会えること、期待しているぜ」
 
まだ魂の宿らない状態とはいえ、感謝を伝えてから保管庫を後にする。
 
「さぁ、頑張ろう」
 
改めて頷きあい、今度こそ第一棟へ向かった。
 
 
 
第一棟へ向かった二人は、明かりの漏れる部屋があることに気づく。
どうやらこの夜間にも目覚めている人物が存在するようだった。
 
「…誰だ?」
 
意見を求めて燭台切の方へ小声で問いかけるが、さぁ、と困った様な返答がなされる。
 
「扉を開けてみないことには、なんとも…」
 
さすがに閉められた扉越しでは姿が見える訳でもなく、声も聞こえはしない。
正体を知ろうと思うなら、扉を開けてみるしかなさそうだった。
 
鶴丸が目配せし、そっと気配を殺して扉へ近寄る。
細心の注意を払い警戒を怠らずに扉を押し開けたはずだが…そんな努力もむなしく建て付けが悪いのか、ぎぎぎ、と鈍い音が立ってしまった。
 
振り向いた白衣の男は、扉のこちら側にいる二人を見て、嫌そうな顔を隠そうともせずに舌打ちをする。
 
「チッ…脱走かよ、めんどくせぇ…おい、アイツを殺せ!」
 
一体誰に向けたか分からない言葉と共に手元の装置のボタンを押す。ここにはその男と自分達しかいないのに、といった疑問は直ぐに消え失せる。
 
燭台切が淀みない動きで鞘を払い、鶴丸へ刀を向ける。
 
「ぐっ…鶴、さん…逃げてくれ…!」

悲痛な声と表情の筈なのにその構えた刀の切っ先は揺らぐことはなく、真っすぐに鶴丸へ向かって走る。
咄嗟に、漸く手元に戻ったばかりの【本体】を抜刀し迎撃に転じようとするが、拾い集めた記憶とそれを紛れも無い事実として突き付ける黒い箱の中に納められた形見の存在が過り、結局攻撃としてなされることはなかった。
 
「なんで…っ」
 
自身の意思を無視して動く四肢へか、己へ危機が迫っているにも拘わらず自身へ危害を加えることを躊躇する鶴丸への言葉かは、燭台切にしか分からない。
当人も押しつぶされた様な声音のそれが、一体どちらなのか判断がつかぬようで、そのまま再び構えた【太刀】が鶴丸へ向けられていた。
 
鶴丸は、未だに自身が殺してしまった数多の燭台切光忠の記憶に動きを封じられたかのように、迎え打つことも避けることもせずにその一太刀を真正面から受けることになった。
 
打ち下ろす様に振られた刃は鶴丸の白い戦装束を断ち、皮膚も、その下の人間ならば必死の【心臓】を傷つけ身体を支える【脊椎】にまで衝撃を入れる。
大きく裂かれた傷口から【腸】が零れ落ちるが、そんな状態でも技術力で編み上げられ自我を宿した肉体は動く。よろめきながらも半歩後じさる。
その動作に悲鳴や呻きは漏れない。今そんなものを漏らしてしまえば、斬られた筈の鶴丸よりも痛そうな表情を浮かべる燭台切を追い詰めることになる。
 
悲惨としか言いようのない事態を目前に、『殺せ』と命じた白衣の男は淡々と二丁の拳銃を構え鶴丸に向けて引き金を引く。
銃弾は太刀の大きな斬撃の余韻から完全に立ち直ることが出来ないでいた鶴丸の頭部へ向かい、【顎】を粉砕する。
もう一丁の銃口が次弾を吐き出す前に、鶴丸はふらつきながらも燭台切を後方へ突き飛ばし未だに此方へ銃口を向ける男へ向かって肉薄する。
 
「くそっ、外したか」
 
戦うために作られた肉体との差か、迫る鶴丸へ次弾が当たることはない。
しかし接近は許さないとばかりに、白衣の男の元に現れた刀装弓兵が鶴丸へ向け【一斉に射かける】。が、その矢が追い付く以前に既に男の目前。
焦った様に極至近距離にまで迫る鶴丸へ再び銃口を向けるが、肉薄する勢いのまま【植物の蔦】が絡み付く脚で【足払い】をかけ、背面から盛大に転がしてやれば引き金に掛けられていたままの指がそれを引く。
あらぬ方向へ放たれた弾丸で【弓兵】は粉砕される。
 
ぐっ、と背中を強打して人間らしい呻きを漏らす男へ向かって勢いのまま太刀を振るう。
その白刃は男が握っていた【凶器】ごと【腕】を斬り飛ばす。
 
「くそ、くそっ…ふざけやがって…」
 
余程、今の現状は白衣の男にとっての想定外らしく鬼気迫る顔で悪態をつく。人間らしい、などと思ってみたが男の方もネクロマンシー技術に依っているのだろう。そんな悪態を付けるならば追撃が来るはずだ。
しかしそんなものに構っている暇もなく、再び弓兵が【射かける】。胴体が断裂しそうな重傷で【足を縺れさせた】まま矢を避け、辛うじて急所への損害を回避する。が、【肩口】から【手】にかけて幾本か矢が突き刺さり、腕の動きを阻害する。
 
だがまだ、刀は握れる。まだ燭台切も鶴丸自身も折れてはいない。
 
腕ごと拳銃を斬り飛ばされた男は、それでも悪あがきの様に酷く原始的な【噛みつこう】とするが、当然の様に躱される。鶴丸は接近してきた男に向け名刀たる【鶴丸国永】をしっかりと構え直し振う。肩から手の甲へかけ突き立つ矢が筋繊維の動きを阻害し僅かに狙いが狂うが、意思に反して力の抜けかけた【腕】を叱咤し刃先を上げる。
その切っ先はまるで終わりを宣告する【死神】の様に過たず男の胴を断つ。
 
「ぐぁ…くそぉ!」
 
男の呻き声に呼応し、復讐だと言わんばかりに弓兵からまたも鶴丸に向かい【矢が放たれる】。今度は易々と受けてやる訳もなく、【鞘】で飛来する矢を振り払う。
 
降り注いだ矢が晴れた先に、燭台切の蒼白な顔を見た。
今にも倒れそうな顔色をしている癖に、その体は命令通りに鶴丸を殺そうと淀みなく【太刀】を振るう。大きな動きでもって矢をいなした直後のため、それを回避できる体勢ではなく、燭台切の一撃をまた真正面から受けることになる。
 
「ど、うして…」
 
震える声で、避けることも容赦ない反撃をすることもなく、ただ攻撃を受ける鶴丸の瞳を見つめて言う。
 
「大丈夫さ、心配するな」
 
今しがた【骨】を砕かれ【足】としての機能を失ったばかりの鶴丸よりも悲痛な面持ちの燭台切に笑いかけてやる。顎がとんで砕け、見れた顔ではなかったかもしれないが、兎も角も安心させてやりたかったのだ。
まだ大丈夫。まだ、死んでなどいない。
 
燭台切が鶴丸と対峙する間に、男は悪態をつきつつ後退する。
 
「逃がすか!」
 
腕を失い瓦解した胴体を抱えさがる男へ、自身も半壊した【足】を引き摺り追いすがり、逃げ出そうとする男の足を目掛け白刃を振るう。
 
「くそ、くそっ…ふざけやがって…ちくしょう!!!」
 
殺せと命じた男の怒声が響く。
もう殺したくないと願って、共に生きようと誓って、それでも実態はこうして意思を押し込められて自我を削り落としていく。
その場には狂気が満ちていた。
 
「に、げて…」
 
本来の燭台切光忠からは考えられないような、今にも泣きそうな震える声が聞こえる。今まで淀みなく振るわれていた【本体】の軌道が僅かに逸れる。それが彼の意思がもたらすものなのかは分からない。
ただ、刀を振るう腕を止めることは叶わないようで、まるで【舞踏】の様に軽やかな動きで間髪入れずに追撃が来る。再び逸れそうになる切っ先は、今度はその意思を反映することは出来ずに鶴丸の【額】を割った。
 
「鶴さんっ…!」
 
「そんな顔しなさんな」
 
悲鳴の様に名を呼ばれても、割れた額から流れる血で前が見えない。流血が無かったとしても、片【目】が潰れ良く見えなかったかもしれない。
それでも燭台切光忠のことなら、声だけでも分かる。きっと、斬られた鶴丸よりも傷ついた顔をしている。
 
鶴丸はこんな現状を作り出した男へ向き直る。
向けられて当然の怒りに、男は生物の反射の様に【噛みつこう】とするが、それは身を守る様に構えた【鞘】に阻まれる。
ただ、やはり白衣の男も純然たる人間の様な見た目とは裏腹にネクロマンシー技術を取り入れた身体なのか、食らいついた鶴丸国永の【鞘】をその勢いのままに噛み砕く。
 
人間の様な姿のモノが鞘をかみ砕いたという事実に、僅かにだが怯んだ鶴丸の反応は遅れる。
弓兵の【放った矢】が鶴丸目掛け飛来する所だった。
 
握った抜き身の刀で打ち払おうとする動作へ移る前に、それらは鶴丸へ到達した。
その内の一矢が、【鶴丸国永】の刀身を射貫く。
 
その光景に、燭台切の血の気が引いていく。
 
「鶴さん、嘘だ、嘘だ…どうして!!!」
 
矢じりが白刃を射抜き大きな罅が生まれる。ぎし、ぎしり…と不穏な音を立てたそれは白銀の刀身を浸食していく。
ぐらりと、鶴丸の意識も浸食される様に罅割れ薄れる。
 
「何だ光坊、伊達男が、台無し、だぜ」
 
その一言の後に、ぴしり、と硬く鋭い魂が砕ける様な音を響かせ、鶴丸国永の刀身が砕けた。
 
無事な所を探すのも困難な程瓦解した人の器と、無残に砕けた刀身を見る間も無く辺りを眩い光が包み込み、しかしそれは一瞬で収束し元の視界が訪れる。
そこには損傷した肉体ではなく、傷一つない体と曇りない白刃の『鶴丸国永』が在った。
足元には、倉庫で本体と共に見つけた【お守り】が落ちているが、内側から爆ぜた様にぼろぼろになっている。
 
「……こいつは驚いた」
 
万全の四肢を見下ろして鶴丸は軽く目を見開く。
 
「鶴さん…っ…良かった…」
 
もしも意思と心の儘に身体が動くのならば、燭台切は安堵のあまり崩れ落ちていたかもしれない。
だがそんな空気など関係ないとばかりに、未だ男は執拗に鶴丸へと攻撃を仕掛けてくる。
勢いのままに、倒れ込むようにして鶴丸の【臓物】を食いちぎっていくが、よろめくことすらせずにしっかりと、傷一つない【鶴丸国永】を構える。
 
「悪いな、心配かけただろう。一緒に、出るぞ」
 
燭台切へ向け、淡く微笑んだ次の瞬間には獲物を捉えた様な鋭い視線に切り替わる。
本来の儚げな外観とは打って変わり野性味を帯びた好戦的な表情へと変化する。その刺さる様な怜悧な空気に『殺せ』と命を受けた燭台切は、その決意に満ちた動きを【妨害】しようとするがそれでも鶴丸の動きは止まらない。
 
「紅白に染まった俺を見たんだ……後は死んでもめでたいだろう!」
 
いくどもいくども繰り返した記憶も、こうして望まずに傷つけ合わされる今も、全てを断ち切る様に、【破壊の渦】の様に振るわれる【鶴丸国永】は、まるで天災、災厄その物の様に周囲へ破壊をもたらした。
 
災厄が過ぎ去った後には、自力で再生することが困難な程に損傷した誰とも知れない、戦うことを強要した男が倒れ伏し、起き上がるどころか幽かに動く気配もない。
装置の拘束力も消えたのか、気が抜けた様に燭台切は膝をつく。
 
脅威は消えた…と肩で息をしながら、鶴丸も詰めていた息を大きく吐き出した。
 

「っ光坊!」
 
息を吐いて間髪入れずに燭台切へ駆け寄る。
 
「鶴、さん…大丈夫みたいだね…」
 
「君こそ大丈夫かい!?」
 
ほう、と安堵の息を吐きながら駆け寄る鶴丸を見上げる。見上げたその顔には大きな傷が走り真っ赤になっていたが、そんなものは一度折れてしまった鶴丸の比ではないとでもいう様に少し困った様な笑いを浮かべる。
 
「なんとか…ね…」
 
「悪いな。また、傷つけた」
 
屈み込み、最後の一撃、男を完全に壊した際に巻き込み、斬りつけてしまった顔にそっと手を伸ばし触れる。傷を刺激しないようにそっと添えられた手に頬を寄せるようにして燭台切はゆるゆると首を振る。
 
「大丈夫だよ…折れてないから。きっとなんとでも出来る」
 
「…そうだな、折れて、いない」
 
その真実を噛み締める様に呟く。
 
「操られていただろう、身体は思い通りに動くのか?」
 
傷ついた顔からそのまま、未だに燭台切の首に居座る装置へ触れながら尋ねる。無理やり四肢を動かされて何か不具合はないのかと当然の様に不安に思ったのだ。
 
「ん、ん…今は大丈夫だよ。とはいえ、コレは外したいけど…」
 
「しかしこれ、どうやったら外れるんだろうな。あいつの懐とかに鍵はないのか?」
 
すっと倒れ伏したままの男を見やる。
 
「探してみようか」
 
ここまで損傷が激しい状態で動けるとは考えられないが、若干警戒しながら漁ってみれば、内ポケットに小さな鍵を見つけた。
 
「光坊、首、首」
 
その大きさと形状は倉庫で見つけた物に酷似しており、はやる気持ちのままに急かす。
 
「どうかな」
 
期待と僅かの不安が乗った声音とと共に、軽く首を反らせるようにして示す。
焦りで手を震わせながらも鍵穴へ鍵を差し込めば、以前とは違いぴったりと嵌まり込み何の問題も無く解錠され、外すことができた。
 
「!! 外れた!!」
 
「あぁ…良かった…ありがとう、鶴さん」
 
燭台切はそっと鶴丸を抱きしめて、漸く、本当に息がつけたというようにゆっくりと息を吐く。
 
「ああ、よかった…ほんっとうに、よかった」
 
錠が外れ鶴丸の手の中に転がった装置なんぞ、もう気に留める価値もないとばかりにぞんざいに振り落とす。燭台切の背に腕を回し、労う様にやんわりと叩いた。
 
「君を折らなくて、本当に良かった」
 
「…うん、僕も鶴さんを折るようなことがなくて、本当に良かった…」
 
漸く、意思も自我も魂も誰の支配も受けることなく存在することができる。
 
「ちょ…もう鶴さん、痛いってば…ってそうだ、鶴さんまだ怪我してるじゃないか」
 
そこに在る確かな存在を確かめる様に回した腕に、知らず力が篭っていた様でやんわりと燭台切に背を叩かれ、それに気づいた。
 
「ん? ああ、いや、君もだろう」
 
「あー…このままじゃ、ちょっと恰好悪いね。治そうか」
 
「ああ、そうだな。いつまでも赤く染まってるのもなあ…」
 
お互いの様子を改めて確認し、苦笑を交わした。
 
 
 
『マスターの死亡確認から10分経過しました。ここを爆破します』
 
壊れた個所を自力で修復し、改めて二人揃って存在していることにほっとしていると、突然けたたましい警告音が鳴り響き、無機質な生気を感じさせない合成音声が淡々とそんなことをのたまう。
その音声が終了するのと間髪入れずに、近くで爆発音がする。
 
「逃げよう!!」
 
燭台切は鶴丸の手を取り駆け出した。
施設全てを万遍無く、何も残さず破壊しつくすつもりなのか、あるいは建造物の解体はこういった手順なのか二人の知る所ではないし、考察する暇もない。
あちこちから響く爆発音と、伝わる振動に足を取られそうになりながらも、二人は駆け抜けた。
 
なんとか建物が崩れ始める前に二人は脱出することが出来た。
基礎部分を吹き飛ばしていったのか、目の前で先程までいた建造物が瓦解する様子に、今更ながら妙な汗がでた。
 
「っはー…良く逃げ切れたな俺達の足で…」
 
「あはは…そうだねぇ…あまり速くないからね、僕ら」
 
そんな乾いた笑いを零して、冗談めかして語れるのも無事に生還出来た証だ。
 
 
 
それなりの規模の建造物の爆発騒動に、早々にやって来た警察官に二人は保護された。
事情聴取を受けはしたが、鶴丸や燭台切に何か咎がある、という結論には至らないようだ。現代の法というものに明るくない二人にはそれがどういった処置なのかは判断できなかった。
 
「えーっと…今後、どうしたいか希望はありますか?」
 
現場に真っ先に駆けつけ、二人を保護するに至った女性警察官がこてん、と首を傾げ二人に問いかける。
 
「もしも何処かしらの本丸に行きたいとか…取り敢えずしばらく休みたい、とか…」
 
「そうだなあ…」
 
その問いに、鶴丸は並んで立つ燭台切の表情を見やる。その視線に気づいた彼も、鶴丸を見返した。
 
「どうしようか、鶴さん」
 
「俺はこの子と一緒ならどこだっていい。もちろん、君が良ければだがな?」
 
「勿論だよ、鶴さん。一緒に居よう」
 
燭台切は力強く頷き、肯定する。
 
「とのことだ。よろしく頼む」
 
頷き返し、カラリとした笑顔で警官に向き直った。
 
「…おっとその前に、ひとつ行きたいところがあってな!」
 
その清々しい程の笑顔に、一瞬面くらった様に瞬きながらも真摯な表情で彼女は先を促す。
 
「はい、どこでしょう?」
 
「お嬢さん、このあたりに和菓子屋はあるかい? すぐにでも行きたいんだが」
 
悪戯っぽく笑い、燭台切の方をちらりと見る。
そこはかとなく伝わる明るい期待感に、すこしおろおろとしつつ自身は悪くないだろうに警官は申し訳なさそうな顔になってしまう。
 
「和菓子屋ですか? ありますけど…夜中なので、まだやっていないかと…」
 
「残念。日が昇ったら行こうか」
 
「そりゃあ残念だ。光坊、明日の予定は決まりだな」
 
残念だ、と言い合う割に二人の表情はちっとも残念そうではなく互いに穏やかな表情で笑い合う。確実に二人揃って迎えられる明日があるから。
 
「そうだね。綺麗な朝日が昇ったら、一緒に、ね」
 
一緒にいられる明日が確実に有る。
二人の様子に何かを察した警官は、ゆるりと微笑み頷く。
 
「はぁーい、じゃあ上に外出許可もらってきますねー」
 
夜半に発生した唐突な職務だったというのに、嫌な顔一つせずに女性警察官はおっとりと告げてその場を後にする。
 
「ああ、よろしく頼むぜ!」
 
人気がないため、その場で立ち去る後ろ姿へかけた鶴丸の声が、些か大きく響く。警官は振り返り、一つ会釈した。そうしてそのフロアに、鶴丸と燭台切だけが残される。
しばし警官の後ろ姿を見送り、その背が見えなくなってから燭台切を振り返り確りと見つめる。
燭台切もそのいつになく真摯な鶴丸国永の顔を見返し、発せられるであろう言葉を静かに待つ。
 
「なあ、聞いてくれるかい“燭台切光忠”」
 
「…なんだい、鶴さん」
 
酷く改まった呼称に応え、先を促す。
 
「何度も、何度も燭台切光忠を折った。そのたびに亡骸を抱き締めて泣いた。…本当に、すまなかった。そして忘れたくないと嘆いて、それでも忘れて繰り返した。君に言っても仕方がないのは分かっているさ」
 
目の前の彼と同一であって、違う彼。ネクロマンサー技術によって肉体へ植え付けられた自我ではあるが、確かにその元は同じであり、魂は同一だった。
 
「悪いことをしたとも、許されないとも思っている。…だがなあ光坊」
 
一瞬、鶴丸の金の瞳が揺れるが再び強い意志を持って目の前にいる、今、そこにいる燭台切光忠に目を向ける。
 
「君のことが救えて、本当によかったと、俺は思っているよ」
 
言葉と共にそっと手を伸ばし、まるで頭を撫でるようにしながらその後頭部にある、しっかりと使用者のために役目を果たしている眼帯の金具に触れる。
 
「悪かった、燭台切光忠」
 
その言葉は今、目の前にいる彼へ向けた言葉ではない。今ここに至るまでに幾振りも幾振りも、破壊した数多の燭台切光忠に向けての言葉。
 
「…きっと、どの“燭台切光忠”も…貴方と一緒に生きていたかっただろうね」
 
いくら元は同じであっても、折られた数多の燭台切光忠ではない。それはきっと鶴丸自身だって理解している。だがこれが本心。今ここに有る燭台切光忠の言葉。
伸ばされた腕へそっと触れる。
 
「だって、僕がこんなにも…貴方と一緒に生きていたいんだから」
 
そう言って柔らかむ笑む。
 
「…はは何だい、嬉しくなってしまうじゃないか…!!」
 
その穏やかな微笑みに、温かい燭台切の掌の温度に、涙が溢れそうになる。
ああ、確かに今ここに存在しているのだと。
 
「一緒に生きていこう。約束だよ」
 
「ああ、約束しようぜ。一緒に生きて、いこうなあ」
 
夜間のため、フロア全体の照明は落とされ窓の外もそのほとんどが明かりを落としている。広がるのは暗い藍色の夜空ばかりだが、やがて朝日が昇りその色を鮮やかに変えるだろう。
 
 
出会い、絆を結んで、殺して、忘れて。
繰り返し、繰り返し紡がれる終わらない悪夢。
その連鎖を断ち切って、新たな一歩を踏み出した刀達に幸あれ。

おくづけ

原案 「刀剣乱舞 -ONLINE-」より
(DMM GAMES/Nitroplus)

シナリオ制作     シャルレナ

リプレイ小説     くろいぬ
文章校正       雨里

鶴丸国永       うさた
NC兼燭台切光忠   シャルレナ
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